なにいろの花束

この手は離さないといけないね

「もし世界が明日終わるとしたらどうする?」

晴れた日の夕方だった。縁側に座っている彼の斜め後ろに立って、私は何気なくそんなことを尋ねた。
何の意味も持たない、ただの世間話の一つだ。何でそんな話題を思いついたのかなんて、もう思い出せないくらい些細なことだった。彼はきっとまともに取り合わないだろうし、私だって真面目に回答されても困る。そんな、軽い質問だった。

彼は私を振り仰いで何かぶっきらぼうに言った。その三白眼が呆れたように細められたのを見て、私は「まあそうだよね」と笑った気がする。本当はそれで終わりだった。それで終わりで良かったのに。

「けど、」

彼が思いついたように私の手を引いた。ぐいと引っ張られて元々膝を屈めていた私はバランスを崩してよろけた。それを器用に片手だけで支えながら、彼は私の耳元に唇を寄せた。

「何度終わっても、何度でもお前を見つけたる」

息が止まった気がした。風の音も、遠くの喧噪も、全ての音が止んで、時間が止まったみたいだと思った。一拍おいて、絞り出すように「なにそれ」と笑った私の目を真っ直ぐ見上げた色素の薄い瞳は、じっと私と視線を合わせた後柔らかく細められる。

「しゃーから、そないな顔しなや」

どうでもいい、世間話の一つだった。私がどんな顔をしてたのかなんて知らない。けれども、いつも茶化したり適当に流す彼が珍しく真剣そうにそんなことを言ったので、私は彼を直視できなかった。思いもよらなかったその言葉に、私は碌な言葉を返すことができなかった。


『九番隊に異常事態!』

その日私は早番で、その警鐘が鳴った時には隊舎を既に出てしまっていた。夜には彼が家に立ち寄ってくれると言っていたので、一足先に帰って夕食の準備をしようと思っていたところだった。

夕食ができるかできないかのタイミングで、伝令神器が鳴った。ディスプレイを見ると彼の名前が表示されていて、即座に私は残業かなとピンときた。彼は隊長だ。席官とはいえ末席の私と違い、非常に忙しい。だから、こんなふうに急遽連絡がきて予定がなしになることにも慣れっこだった。もちろん、残念ではあったけれど。

ピ、と通話ボタンが音を立てて、私は「もしもし」となるべくいつも通りの声で出た。一拍おいて、名前か、と返ってきた低い声に口を尖らせる。

「残業?」
『ああ。すまんな』
「仕方ないよ。なんてったって隊長さんだもんね」
『埋め合わせはどっかでする』
「ん。頑張ってね」
『おう』
「じゃあね」
『名前』
「なに?」
『愛してんで』
「…!なに急に」
『すっぽかされた名前チャンのしょんぼり顔を受信したからやけど』
「馬鹿言ってないで早く仕事終わらせてきなさい!」

受話器越しの低い声が笑って、ほなな、と言った。そして通話はあっさり切れて、私は「もう」と息を吐いて作りかけの夕食に目をやった。一人で食べるには量が多すぎるので、半分明日のお弁当に回そうか、なんてことを考えていた。

そこから先の記憶は曖昧だ。

彼が死んだのだ、という話を聞いた。いや死んでいない、彼らは死神が手にしてはいけない力を手にして現世へ逃げた大罪人だ、という話も聞いた。どちらでもよかった。どちらでも同じだ。結局彼は、私の隣にいない。

『何度終わっても、何度でもお前を見つけたる』

うそつき。
どんなに泣いても、叫んでも、喚いても、彼は帰ってこなかった。
愛してると言ったのに。見つけると言ったのに。

それでも彼無しのまま、世界は回り続ける。欠けた人々の席は埋まり、誰も彼らの話を口にしなくなる。
頭がおかしくなりそうだった。違う。もうとっくにおかしくなっていたのかもしれない。

ある任務の最中だった。内容は虚討伐で、私は私の部下と一緒にその場所へ向かった。そんなに大したことのない、普通の任務だったはずだ。けれども予想外の動きをした虚に対応しきれなかった部下が吹き飛ばされて、それを庇い虚に向かった。

―――ああ、そうだ。

彼がいなくなっても、私の世界は終わらない。歯車が欠けても、世界は回り続ける。

ーーーこんな世界で、生きていくくらいなら。

『何度終わっても、何度でも見つけたる』

虚がその大きな爪を振り上げた。体が動かなかった。ゆっくりと確実に私の心臓を狙うそれが振り下ろされるのをただ見上げながら、私は彼の名前を呟いた。




*prev next#