なにいろの花束

君がいちばん魔法に似てる

「―――名前っ!!」

暗い水の底から浮き上がるように、意識が浮上して私は目を開いた。ぼやけた視界で見下ろす三白眼と視線が合って、ゆっくりと瞬く。

「ひ、らこ、さん」

喉が掠れて上手く声が出ない。体を起こそうと思ったのだけれど、鉛のように重くて指一本動かせなかった。
私を見下ろす平子さんは、見たことのないほど眉間に皺を寄せている。焦りのような怒りのような感情が読み取れて、彼でもそんな顔をするのだとぼんやり思った。

何度も瞬くと、段々焦点が合ってぼやけていた視界がクリアになっていく。怖い顔をしている彼は体中ボロボロであちこち汚れたり破けたりしていた。そこに暗い赤の染みが広がっているのを見て、私は軽く眉を顰める。

「大丈夫か。痛いところあるか」

いたいところ、と口の中で反芻して、私は自分の腹に同じように広がった赤い染みを思い出した。そうだ、私は刀で刺されたんだ。重い腕を叱咤して持ち上げて、その辺りを触ったけれど傷どころか傷跡もなく、痛みもない。体が重い以外は、特に何の違和感もなかった。

ゆるゆると首を振ると、彼は「そうか」と溜息のように呟いた。眉間の皺が少しだけ減る。ほっとしたような、そんな表情に見えた。

「ひらこさん、は」

途切れ途切れに訊ねると、彼はぎゅっと唇を引き結んだ。それから少しして、「俺は何ともないわ」と絞り出すような声が降ってくる。その言葉に、私も細く細く息を吐いた。あちこち怪我しているように見えたので、何ともないならよかった。

彼は私の背中に腕を差し込んで上半身を起こしてくれた。力が入らなくて彼の胸に凭れるような形になってしまったけれど、それを恥ずかしいと思う余裕はなかった。瞼が重い。物凄く眠い時のような、そんな体の怠さだった。

ただでさえ現実離れしたことばかり起こっていて、半分くらいは夢のような感覚だ。だからかもしれない。夢と現実の境目が分からなくて、けれども彼がそこにいてくれるということがただただ嬉しかった。

「…何笑てんねん」

不機嫌そうというか、不本意そうというか、そんな低い声で彼が訊ねた。ふわふわしたこの気持ちが、どうやらそのまま顔に出てしまったようだった。私は小さく笑って、重い右手を持ち上げる。彼の頬に触れると、薄く感じる体温。

ずっと会いたかった。そばにいてくれるだけで良かった。彼のいない世界で生きていくことはつらかった。

「ありがとう」
「……何が、」
「見つけてくれて」

彼は大きく瞬いた。息を呑む小さな音が聞こえて、私はもう一度笑った。
瞼が重い。持ち上げているのがしんどくなった右腕がぱたりと落ちる。ああ、もっとたくさん言いたいことがあったはずなのにな。なのに、言葉が出てこない。眠気に負けた頭は上手く回らなかった。もう少し彼の顔を見ていたかったのだけれど、私の意地はあっさりと負けてしまった。

瞼を閉じると、真っ暗な視界に私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。そこで私の意識は再び途切れた。



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