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影法師は重ならず


指先に灯した光が、いつになく落ち着いている。先の震えが嘘のように消えて、ただただそこへ霊圧を流し込むことが出来ている。
外の戦闘音は激化していた。あっという間に散らばった虚のような霊圧が、巨大虚の霊圧を次々にかき消していっている。破面とも死神とも違う感覚。けれども昔のあの人達のそれと全く違っているわけではなくて、どことなく感じられる名残に安堵を覚えると同時に、ほんの少し胸が軋んだ。


『浦原隊長。……猿柿、副隊長』


何度もその姿を探して隊舎を彷徨った。もうはっきりとは思い出せない、朧げな記憶。あの日私は絶望の底に叩き落とされたけれど、同時に彼らも突き落とされていたのだ―――私よりももっと深い、闇の底へ。他の人達がどうかなんて分からないけれど、少なくとも私の大好きだった彼女は誰よりも嘆き苦しんだのだろうと思う。それを想像することさえ意識が拒絶してしまうほど、深い深い絶望。振るわれる馘大蛇の霊圧を感じながら、私は目を伏せる。
けれども今彼女はここにいて、私達と共に戦っている。その事実を、嬉しいと言ってしまったら彼女は怒るのかもしれない。

浮竹隊長はまだ目を閉じていた。外側の止血はもうまもなく完了するだろう。後は抉られた中身を回復させていけばいい。溢れ出るようだった赤が止まっただけでも、心理的には大きく違う。

「…桜木谷、」

掠れた声で名前を呼ばれて、私は慌てて視線を動かす。うっすらと瞼を開けた浮竹隊長がこちらを向いていた。

「この、霊圧は……」
「平子隊長が」

吐き出す息の音の方が多いような、そんな囁かな声に短く答えると、彼は一拍置いてからそうかと呟いた。そうして少しの間真っ直ぐに頭上を見つめてから、目を閉じて再び「そうか」と小さく頷いた。いつも以上に蒼白な顔に浮かんだその表情が、苦笑のような、申し訳なさそうな、安堵したような、色々が混ざった表情だったので私はそれ以上何も言えなかった。

―――平子隊長、

揺らいだ指先を叱咤して、再び視線を翳した手のひらに戻す。百年ぶりの再会だというのに、誰も彼も感傷に浸る暇さえない。けれどもだからこそ彼らがやむを得ず受け入れられているというのもまた事実だった。浦原隊長に再会した時のように話したいことはたくさんあったはずなのに言葉が出てこない。それはきっと、浮竹隊長も同じなのかもしれなかった。

結界の外の巨大虚の霊圧が驚く程あっさりと消え失せて、最後にあの怪物の霊圧も弾けるように消えた。少しの間沈黙が訪れて、戦っていた彼らはそれぞれ十刃に対峙していた護廷隊の元に移動する。ほんの一呼吸流れた沈黙は、それぞれの戸惑いから生まれたものだったのだろうか。

平子隊長は全ての元凶の前に立っている。激しい霊圧の高鳴りといくつかの剣戟に頭を揺さぶられながら、それでも私が今落ち着いていられるのは一瞬笑ってみせた彼のあの表情があったからだ。多分、彼らが百年待っていただろう好機。全てを終わらせる為に。

「浮竹隊長、」

薄く血が滲むのみになった浮竹隊長に小さく呼びかけると、彼はゆっくりとこちらに視線を向ける。まだ応急手当程度にも回復していない。血の気の失せた顔と反対に所々赤く染まった銀色の髪の毛が痛々しかった。私はこの人を見捨てられない。いや、見捨てたくないと言ったほうが正しい。だから、もう少し。

「最低限の治療が終わったら、私行きます」

その言葉に小さく反応したのは、浮竹隊長でなく斑目さんだった。ちらりと目を向ければ、彼は口を尖らせて斜め下を向いている。何を考えているかは大体想像が出来た。けれども、彼だってまだ体力は回復していない。だから、戦闘に向かわせることはできない。

「斑目さんに薬を渡していくので、動けるようになるまでもう少し休んでいてください」

重ねて班目さんに対して言うと、彼の眉間の皺が更に深くなった。斜めを向いていた視線が挙げられて、その鋭い目が私を睨む。

「……俺ァ回道なんて使えねえぞ」
「だから最低限私が治療していくんです。斑目さんは、浮竹隊長を守ってください」
「…………」
「倒山晶とは言わずとも、簡単な結界くらいは何とかなるでしょう?」

砂埃だらけで汚れた頭が、馬鹿にすんじゃねえよと小さく呟く。もしかしたら頭が汚れると力が出なくなるのだろうか、と一瞬考えたけれど、口に出せば間違いなく怒られるので言わない。代りに、私は彼を真っ直ぐ視界の真ん中で捉える。

「お願い出来るのは斑目さんだけなんです」

あちこちで十刃との戦いが始まっていた。聞こえる戦闘音は全て結界に阻まれて尚大きく鼓膜を揺らす。既に平子隊長が藍染と対峙しているのなら、もうこうして回復を優先させられる時間なんてない。
班目さんは暫く私と視線を合わせてから、そっぽを向いて大仰に舌打ちをした。それが了解の意味なのだと、私は知っていた。

浮竹隊長は何も言わず、ほんの少し苦しげな表情で目を閉じた。

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