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劫火失墜


立ち並んでいる大きな建物の間を抜けて駆ける。私のすぐ傍を班目さんが駆けていて、時折眉を顰めているのが視界の端に映っていた。それでも彼を止めることなんて出来なくて、私は見ない振りをしている。
建物の上を駆けていければもう少し短縮出来るのかもしれないけれど、それは敵の目の前に躍り出ることと同義だ。私一人ならともかく、班目さんを今そんな場に引き摺り出すわけにはいかない。

上空ではあのよく分からない破面が大きな声を上げている。同時に硝子が割れるような綺麗な音がして、見上げると白くて透明な柱が折れるところだった。あれは日番谷隊長の氷柱だ。落ちていく欠片が光を反射して場に不相応なほど美しかった。

あちこちで大きくなる破面の霊圧とは反対に、死神側はぼろぼろだ。まともに戦える人員は片手で数えられる程度。多くの人が手傷を負っていて、しかもそれが悉く重傷なのだから手に負えない。戦闘はおろか、逃げることすら儘ならぬ人が一体何人いるのだろう。

―――どうか…!

祈るような気持ちで辺りを見回すと、彼はすぐに見つかった。瓦礫の隙間に埋もれるように倒れているその姿に、心臓が竦む。

「…っ浮竹隊長!」

駆け寄って抱き起こすと、ごぽりと音を立ててその腹から赤いものが湧き出る。それが死覇装越しに私の手のひらも濡らした。噎せ返るような血の匂いを一度に吸い込んで目眩を覚えた。彼を挟んで反対側に膝をついた斑目さんが「桜木谷、薬」と短く声を上げる。私は小さく頷いて、彼をそっと地面に仰向けた。
袂に手を入れて、再びいくつかの瓶を取り出す。蓋を開けようと力を込めたけれど、震えと相まって血で濡れた指先が滑った。上手く開けられない私の焦燥に気がついた班目さんがすぐにそれを取り上げて、改めて蓋を開けてくれた。同時に浮竹隊長が小さく呻いて、うっすらと目を開けた。

「浮竹隊長!」
「桜木谷か…」
「今治療します!」
「ああ…すまない……」

咳き込んだ隊長の口元からも血が伝う。いつにもまして青白い顔に、鮮やかなほど赤い線が走って私は唇を引き結んだ。横から班目さんがいくつかの錠剤を差し出して、「飲めますか」と声をかける。小さく頷いた浮竹隊長の口元に薬を持って行って、少しずつ含ませていった。
その隣で、私はもう一度結界を張る。再び視界を逆三角形の膜が覆って、向こう側の景色が少しだけぼやけた。ここはあの空の穴から程近い。こんな結界に意味なんて無いだろうけれど、それでも無いよりはましだと信じたかった。

カタカタと震える指先を必死に叱咤して開く。今もまだ血を吐き出す腹に手を翳して、集中しろ、と力を込めた。集まった霊圧がぼんやりと光を灯す。目を閉じて苦しげに息をする姿が、いつかの朽木さんに重なった。私は眉を顰めて細く息を吐き出した。大丈夫。彼女は助かった。浮竹隊長は彼女よりも強い。だから、隊長だってきっと大丈夫。

霊圧を感じたからか、浮竹隊長が再び薄く目を開けた。その瞳が不意に細められて、苦しげな中に穏やかな笑顔を浮かべる。

「…桜木谷に、よく似てるなぁ……」

小さく零した言葉に、意味が分からず一瞬呆けて、私はすぐに大きく顔を顰める。

「そんな今際の際みたいなこと言わないでください…!」

翳した手のひらはそのまま視線だけ合わせるように向けると、彼は小さく笑って「すまないな」と呟いた。
彼が今見たのは多分、私ではないのだ。もう顔も思い出せないほど昔に亡くなった私の兄。兄上は、十三番隊だった。

私が護廷十三隊に入った時、自隊の隊長よりも先に私に声をかけてくれたのが浮竹隊長だった。彼は真っ先に私の元へ来て、私の顔を見て、ほんの少し寂しそうに笑った。「桜木谷によく似ている」と言って。

私にとって浮竹隊長は、もういない家族みたいな人だった。父であり兄であるような。兄上が最後まで守りたかった人。兄上の死を、私以上に悲しんでくれた人。あんなに寂しかった百年の間ですら、私の後ろにはいつだって浮竹隊長がいてくれた。

「こんな所で浮竹隊長に死なれたら、私が兄上に叱られます…!」

絞り出すように叫んだ私の声に浮竹隊長は伏したまま、そうか、と小さく笑った。

「絶対に死なないでくださいね……っ」

彼は小さく頷いて、そうだな、と笑った。

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