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ペシミズム


―――あの子が泣くとこを見るんは苦手やった。

最初にあの子に会った時のことを覚えている。
百年前のあの夜から一月も経っていない頃だと思う。陽も傾いてそろそろ空を赤く染めようという時間だった。どこかの隊へ書類を届けに出たその帰りだ。彼女は行きのボクと同じように書類の束を抱えたまま、そこに立ち尽くしていた。

中庭を挟んだ向こう側の廊下だった。じっとどこかを見つめている彼女はボクに気がついていない様子だった。名前は知らなかったけれど、見覚えのある顔だと思った。どこで見たのかを思い出す前に、横顔しか見えない彼女の唇が小さく動いた。声は聞こえなかったけれど、何と言ったのか理解してしまった。

「浦原隊長はおらんよ」

堪らず口を開いたボクに、彼女は大きく瞬いた。薄らと濡れた瞳が、瞬いた瞬間に赤い光を弾いた気がした。
初めて彼女はボクの方を向いた。差し込んだ夕焼けが照らしていて、一瞬喧騒が遠くなったように思った。決して近くない距離で視線が合って、ボクはもう一度口を開いた。

「浦原隊長は、もうおらん」

その時の彼女の表情を、忘れない。

一言で表せばそれはきっと『絶望』だったのだと思う。まぁるく見開いた目が、みるみるうちに歪んでいった。今にも叫びだしそうな表情なのに、彼女の唇は震えるだけだった。懸命にこらえていたのかもしれない。たった一度触れるだけで壊れてしまいそうなほどぎりぎりのところに、彼女は立っていた。

「知ってます」

ぐっと一文字に唇を結んで、ボクを睨みつけた彼女は俯いて小さくそう零した。そうしてすぐに身を翻して駆けていってしまった。その背を追うこともせずただぼんやりと見送りながら、ボクは漸く彼女が十二番隊隊士だったことを思い出していた。
最後に見た彼女は隊長と副隊長の間で困ったように眉を下げながら、けれど幸せそうに笑っていたはずだ。彼女の顔をすぐに思い出せなかったのはきっと、その表情と今の彼女が結びつかなかったからかもしれない。


『ギン、』


それから度々、彼女の姿を見かけるようになった。十二番隊だった彼女がいつの間にか十番隊に異動し、隊舎が少しだけ近くなったせいかもしれない。
見かける彼女は決まって無表情か、そうでなければ今にも泣きそうな表情をしていた。ボクに気がつくこともあれば気がつかないこともあった。彼女が見つめているのは大抵十二番隊の隊舎や技術開発局の建物で、その壁の向こうに何を見ているのか想像に難くなかった。

彼女が泣いているのを見るのは苦手だった。そういう状況に陥れたその一端を自分が担っていたのだと分かっていたけれど、それはやっぱり切なかった。時折彼女が見せる瞳が、誰かにとてもよく似ている気がした。そんな表情をさせているのが自分だと知っていて、それでもそんな顔をしないでほしいと願ってしまう。無責任だと自覚していた。

「香波ちゃん、」

ボクは見かける度に彼女に声をかけた。彼女は決まって嫌そうな顔をしてから、そっぽを向いて適当に返事をする。それで良かった。泣きそうな顔をしているよりずっと良い。ボクはこんなやり方しか知らない。


『どこ行ってたの、ギン』


雪の中ボクを追いかけてきた小さな体が、不意に蘇っては繰り返す声が、その姿に重なるくらいなら。


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