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くすんだ空から舞い降りる


数ヶ月ぶりに尸魂界に戻ってきた私達は、戻ってきた途端に自室待機を命じられた。先遣隊は全員総隊長に報告をしなければならないと思っていたのに、遣いとして現れた隠密機動の一人が「日番谷隊長のみ」と言ったのだ。それに今更噛み付く気力もなく、私達は押し黙るしかなかった。班目さんと綾瀬川五席は更木隊長と、朽木さんと阿散井副隊長は朽木隊長と、それぞれの隊舎に足を向けた。乱菊さんは「途中までになるけど日番谷隊長と、」と言って難しい顔をしている小さな隊長の隣に立っていた。
そして私は一人、九番隊の隊舎へ向かったのだった。

檜佐木副隊長に挨拶をしなければと思ったけれど、真っ直ぐ部屋に帰れという指示を受けては隊務室へ向かうことも出来なかった。のろのろと足を動かしながら、ふと顔を上げると空が眩しかった。雲一つない冗談みたいに青い空。太陽が容赦なく照らしていて、私は顔を顰めた。ああ、まるで、これは。

「…………」

歩いてきた道程を、思い出せない。ぐらぐらと足元が揺れていて、堪らず閉じた瞼の裏側がちかちかとしていた。辿り着いた自室で後ろ手に扉を閉めてから、私はずるずるとその場に座り込んだ。数ヶ月ぶりの自室は少々埃っぽい以外は特に以前と変わらなかった。

『香波ちゃん、』

浮かんだのは、屈託なく笑って名前を呼んでくれる彼女の顔だった。初めて会った時、泣きじゃくる私に「大丈夫?」と声をかけてくれた。それ以降も、ほんの少ししか関わっていない私を案じて励ましてくれた。その優しさがいつだって救いだった。

織姫ちゃんは、もしかしたら尸魂界を裏切ることがあるかもしれない。彼女の意と尸魂界の意向が相反するのなら、そういうことが起きる未来がないとは言い切れなかった。けれど一つだけ確かに言えることは、彼女は絶対に黒崎くんだけは裏切らないということだった。

―――これは罠だ。

穿界門内で襲ったくせにそこで拉致せず敢えて現世に痕跡を残させる。その上護衛を生きて帰して状況を想像出来るだけの情報を与える。意地も質も悪い策だ。お陰でまんまと尸魂界はそれに嵌ってしまっている。

『四十六室の決定は覆らぬ。証拠も揃っておる』

忌々しい記憶が蘇って、私は歯を食い縛った。百年前のあの夜の直後は、断片的にしか覚えていない。それでも、はっきりと脳裏に焼き付いた総隊長の声。

『当人が行方不明となっては今更どうにもならん』

でも、とどんなに声を上げても聞き届けて貰えなかった。決定は覆らないの一点張り。隊長はそんな人じゃないと何度も叫んだけれど、彼は私を一瞥しただけでそれ以上何も言わなかった。その時の絶望を、まだ私は忘れていない。

「……行かなきゃ」

呟いた声は掠れて音にならなかった。額に手を触れて乱暴に前髪をかき上げる。
助けに行かなくては。尸魂界は彼女を見捨てた。黒崎くんはきっと一人でも虚圏に向かおうとするだろうけれど、彼一人で何とかなる問題ではなかった。そこに私が追加されたところでどうなるとも思えないが、いないよりはましなはずだ。

―――でも、

そこまで考えて、私は額に触れていた手のひらをずるずると下ろした。瞼を覆って目を閉じると、窓から差し込む陽射しが少しだけ遠ざかる。
虚圏は虚の世界だ。尸魂界とも現世とも離れたところに位置していて、それがどこにあるのかは現状技術開発局ですら把握出来ていないはずだった。把握していない場所へ向かうことなど出来るはずもない。総隊長が黒崎くんへ虚圏の場所を教えなかったのは、彼を行かせない為だけでなくそもそも知らなかったからだ。

「…虚圏なんて………」

思わず漏れ出た声が思ったよりも絶望的で、更に気分が落ち込んだ。座り込んだ床がぐにゃぐにゃと歪んでいくような気がした。時間が遠い昔へ巻き戻っていく。憎悪と悔恨に支配される。黒く塗りつぶされるような、そんな感覚。


『香波サン、』


ふわりと肩口の花が香って、私は目を開いた。同時に私を呼ぶ優しい声が脳裏に過ぎって大きく瞬く。

「……、浦原隊長」

そうだ、彼なら。
こちら側の誰もが解明出来ていない虚圏への入り方を、彼なら知っているかもしれない。以前朽木さんが現世で行方不明になった際返却された義骸は、現技術開発局がどんなに手を尽くしても作れないものなのだと聞いたことがあった。だから浦原隊長なら、或いは。

「…………」

その顔を思い浮かべて、反射的に胸が軋んだ。たった1日前の出来事なのに、夢のように遠い。触れられた時間はもしかしたら本当に夢だったのかもしれないと今でも半信半疑だ。けれども至近距離にあった煙草の香りを、手を取った温もりを覚えている。

ぐし、と目を擦るように手のひらで拭って、私は立ち上がった。
彼のところへ行こう。その為に、まずは現世に向かわなければならない。この人手不足の時期にまさか私のところにまで見張りをつけてはいないだろうけれど、現世に行く為には地獄蝶と穿界門が必要だ。隊舎に忍び込むしかない。昼間では無理だ。

視線を上げると、秋の陽はそろそろ傾こうとしている。夜はすぐそこだった。私は祈るような気持ちで赤い花に触れる。甘い香りを吸い込んで、そっと目を閉じた。

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