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死が二人を別つまで


瞬きも忘れて、ただ浦原隊長―――喜助さん、の姿を見つめていた。俯いてしまった彼の表情は見えないけれど、触れたままの指先はひんやりと冷たい。何度目かになる思考停止状態で、ぼんやりと思い浮かんだのは百年前のあの夜だった。

永遠にあの幸せな時間が続くだなんて、百年前の平和ボケした私ですら思ったことはなかった。いつか誰かが命を落とすかもしれない。死神とはそういうものだ。それは遅かれ早かれで、ただもしそうなるのなら、私は彼を守って死にたいと思っていた。彼の為になら、命を捨てられると思っていた。

「今後、戦況は激化します」

不意に静かな声で彼が呟いて、私は瞬いた。私の手を握る指に力が篭って、ぴくりと肩が震えたことに気づいたはずなのに彼は手を離さなかった。振りほどくことも握り返すことも出来ないまま、私はじっと彼の声を聞いていた。

「護廷十三隊は勿論、今回は総隊長も前線へ出てくるでしょう。藍染サンだってそれを予想しているはずッス」

現世に行くぞ、と班目さんに言われて、私はここまでやってきた。他力本願で人に手を引かれ背を押されて漸く踏み出した一歩だった。その理由は間違いなく、彼に会いたかったからだ。言いたいこともあったけれど、それより何よりもただ会いたかった。その為に私は現世にやってきたのだ。でも、それだけじゃない。

「向こうもそれだけの準備をしてくる。恐らく総力戦になります。その時貴方が生き残れる保証なんてない」

淡々と話す彼の声は静かだけれど微かに震えている気がした。何か言わなくちゃと思えば思うほど、空転する思考は関係のないことばかり引きずり起こす。なのにどこか冷静な自分が隣にいて、じっと彼を見つめているようだった。

彼が言うことはきっと嘘じゃない。
ここまでの話は現世に残っている私達先遣隊だけでなく、現在この件に関わっている全ての死神が想定しているだろう。今尸魂界は大きく戦力を削がれた状態だ。四十六室も隊長格の穴も埋まっていない。抜けた三名の隊長がそのまま破面側についたのだから、戦力の温存なんて生温いことを言っている場合では無かった。更に言えば崩玉を持っている藍染隊長の能力は未知数だ。これで総隊長が出ずに済むと考える方がどうかしている。

「けれど今先遣隊の任を退けば、貴方の席次では前線でなく尸魂界の守護に回される可能性が高いッス。その方が間違いなく安全だ」

ぼんやりと彼の言葉を聞いていた。彼の言うことは限りなく正しかった。反論も思いつかないまま、その通りだ、と腑に落ちないような納得をせざるを得ない。ああ、けれど私はこの感覚に覚えがある。

―――あの夜隊長を追いかけられなかったことを、何度後悔したんだっけ。

すぐ戻ります、と彼が笑ったから私はその場から動けなかった。見送った背中を忘れたことなんて無かった。私が追いかけてどうにかなるものではなかったのだと分かっている。それでも、何も知らないまま過ごした百年を何度後悔したのだろう。

「香波サン、だから貴方は」
「……嫌です」

言いかけた彼の言葉を遮って、私は口を開いた。そうだ、私は彼と話をする為にここに来たのだ。何も知らないまま、動かないまま、ただ時間を過ごすだけなのはもう嫌だった。それでは私は進めない。ここで退いたら、永遠に後悔するに決まっている。それが例え彼の意に反することだとしても。犬死することになるのだとしても。

『ちゃんと自分の目で見てくるといい』

班目さんが手を引いてくれた。浮竹隊長が背を押してくれた。乱菊さんが支えてくれた。
私は、納得をしにここへやってきたのだ。その為に戦わなければならないなら、命だって賭けられる。

「何も知らないままのうのうと生き延びることなんて出来ません。私はその後悔を、百年の間ずっと繰り返してきたんです」
「…ですが、」
「死なないでほしいと、言っていただいて嬉しかったです。……それだけで百年間の私は報われます」
「…………」
「百年間、ずっと私の時間は止まったままでした。私はここへ、前へ進むために来たんです」
「……香波サン、」
「だから例え浦原隊長の言でも、今回は絶対に聞けません」

ずっと考えていた。私の百年に意味はあったのか、と。
彼がそう望んでくれたのなら、私の百年にはちゃんと意味があったのだ。もう一度会う為に、ただそれだけの為に、生きていようと願った私はきっと間違ってなかった。それがどんなにつらくても、寂しくても。あの花を抱いて泣いた夜にだって、意味はあった。

だからここからは、私は自分で自分に意味を与えなくては。
もう無力を嘆いて泣かずに済むように。動かなかった勇なき自分を悔やんだりしないように。

彼は顔を上げなかった。暫くそのまま私の手を握って、黙り込んでいた。そっとその指先を握り返すと、ぴくりとその肩が動いてから、ふっと口元が綻んだ。それは間違いなく苦笑だったけれど、あー、と意味のないような声を吐き出して彼は私の手に額を寄せた。そうして、私に向き直ったその表情を漸く正面に見ることが出来た。

「……変わってないッスね、本当に」
「変わってないのは隊長の方です」
「と、言いますと?」
「私が頷かないことを分かっていて言ったでしょう」
「…………」

肯定しない代わりに、彼ははは、と小さく笑った。その視線が少しだけ下を向いたので、図星だったのだと私は唇を引き結ぶ。

「優しい香波サンがボクの気持ちを慮って押し負けてくれないかなと、微かに期待してたんですが」
「……相変わらずずるい言い方をしますね」
「大人なんてそんなもんスよ」
「私だってもう大人です」

憮然と言い放つと、彼はきょとんとしてから目を伏せた。そッスね、と呟いた声が辛うじて耳に届いた。その姿が何となく寂しげに見えて、私は罪悪感のようなものに軽く眉を顰めた
何か言おうと口を開いた瞬間、香波サン、と名前を呼ばれて口を噤んだ。まだ握られたままの指先に力が篭る。

「約束してください。絶対に死なないと」

その声は小さいけれど低く響いて、彼が本気なのだということを悟った。死神は命を惜しんだりしないのだと、十一番隊に居た頃聞いた言葉を唐突に思い出した。そんな約束を交わすなんて死神では有り得ないと、糾弾されるのかもしれない。けれど彼は既に死神ではないし、私はその糾弾に晒されることにはもう慣れてしまっている。

「……善処します」

それでも簡単に頷くことは出来なくて、そんな中途半端な回答をした。
私は弱い。それを自分でもよく理解している。これから出てくる敵は間違いなく今までと段違いに強いのだから、私如きが敵うはずもないのかもしれない。けれどもしも彼が、私の生を未だ望んでくれるのなら。

そんな私の答えを聞いて、彼はまた苦笑するように吹き出した。心配ッスねェ、と呟いた声を、ずっと昔にも聞いた気がした。

「だって絶対なんて無責任な約束出来ません」
「真面目なところもそのまんまッスね」
「浦原隊長の心配性だってそのまんまです」
「貴方はすぐ無茶をするから」

言って、彼は漸く私の手を離した。ほんの少し冷たい温もりが離れていく名残惜しさと同時に、頭に乗せられた重みが愛しかった。このままずっとこうしていたいと小さく願った。

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