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忘れないで


貴方の為になら、死ねると思っていた。


「あの、う―――」
「おや?」
「……、きすけ、さん」
「はい、何でしょう?」

以前の通りに浦原隊長と呼びかけた私に、間髪入れず首を傾げた彼はもう百年前と変わらない表情だった。先日突き放された時のことが嘘だったかのような振る舞いに動揺しながら、私は座り込んだ彼を見つめる。

「えっと、…喜助さん、は、ずっとここで生活されてたんですか」
「そッスねェ。まぁほとんどここッスね。知っての通り、ここは中々霊的に都合の良い場所ですし」
「じゃああの、平子隊長も?」
「………」

躊躇いながらも口にした名前に、喜助さんは口を噤んだ。平子隊長のことはやはり秘匿すべきことだったのだ、と理解して、私はほんの少し俯く。そんな中姿を現したのは、私を信用してくれてのことだと思って良いのだろうか。それともただの気まぐれだったのだろうか。

「先日お会いしたんです。一瞬でしたが」
「……そのことを、人には?」
「誰にも言ってません。……言えば何か差し支えることがあるだろうと思ったので」
「なるほど。流石ッスね」

首を振った瞬間、ほっとしたように彼は口元を緩めた。その後、ぼそりと「あの人もまだまだッスねェ」なんて呟いた言葉に、私は目を細める。ああ、彼らの関係はきっと変わっていないのだ。百年前の風景が蘇って、滲みかけた視界を慌てて瞬きして誤魔化した。咄嗟に「私が、」と声を上げる。

「絡まれていたところを、助けてくださったんです」
「絡まれる?誰に」
「現世の自称おにーさん達です」
「……それはそれは」
「肩を掴まれて咄嗟に投げ飛ばそうとしたら、後ろから平子隊長が」
「貴方を見かけてつい体が動いちゃったんでしょうねェ。全く、しょうのない人だ」

呆れたように息を吐いて、彼は苦笑した。「でも助かりました」と付け足すと、「それは何よりでした」と帽子の奥の瞳が細められる。その表情が優しくて本当に百年前のままだったから、私は思わず口を閉じてしまった。座っている畳の感覚が遠い。夢から覚めたばかりなのに、まだ夢を見ているような気分だった。

黙り込んだ私に彼は何も言わなかった。沈黙と共に奇妙な間が空いて、障子越しに遠くの車の音が聞こえた。それ以外は何の音もしない。前に彼と話したときは五月蝿いくらいに蝉が鳴いていたのに、もう虫の声も聞こえなかった。暫く口を閉じていた彼は一瞬だけ目を伏せてから、すぐに顔を上げた。真っ直ぐに合った視線に、心臓が跳ねる。

「香波サン」
「…っはい」
「ボクから提案というか、お願いが一つあるんス」
「何でしょうか」
「尸魂界に戻っちゃくれませんか」

予想をしていなかった言葉に、ぴくりと肩が揺れた。こちらに来てから幾度となく彼に言われた言葉だ。最初に「お帰んなさい」と言われたあの昼下がりが否応なく蘇って、思わず眉を顰めると取りなすように「ああ、」と彼が呟いた。

「貴方が邪魔だとか足手纏だとか、そういうつもりで言ってるんじゃないんです」
「……でも、」
「ボクは百年前、貴方を置いていきました。貴方を危険から遠ざける為に、それが最善の策のはずだった」
「…………」
「現状こちらは尸魂界に比べて間違いなく危険ッス。勿論今後向こうが戦場にならないとも言えませんが、現時点でいえば尸魂界の方が格段に安全だ」
「……、でも」
「香波サン」

でも、と反対しようとした私の言葉を遮るように彼が名前を呼んだ。その声が切羽詰ったように真剣な音で、言いかけた私は口を噤まざるを得なかった。そんなふうに余裕のない彼を見たのは、百年前のあの日だけだった。
彼が徐に手を伸ばして、ひんやりとした手のひらが膝に乗せていた私の右手を取る。びくりと私が震えても、彼は昨日のように躊躇ったりしなかった。

「貴方を置いていくことを選んだボクが、こんなことを言うのはおかしいと承知しています」
「…………」
「信じてもらえないだろうことも分かってます。それでもボクは百年の間、貴方のことを思わない日なんてなかった」

静かに言葉を紡ぐその表情から、視線を逸らすことなんて出来なかった。思考が止まってしまったように真っ白になった頭で、私はただ彼を見上げていた。何と言ったらいいのかも分からない。何か言わなくてはと思ったのに、返す言葉すら見つけられない。

「……こちらで初めて貴方に会ったとき、突き放せば帰ってくれるんじゃないかと思ったんですが」
「……だって、」
「ええ、貴方が見かけによらず頑固だということをボクはすっかり忘れてたんです」
「…………」
「何日経っても貴方の霊圧が消えないから気が気じゃなかった。馬鹿者だと、貴方は笑うかもしれません」
「そんな、」
「それでも、」

咄嗟に言い返そうと声を上げると、それすらも遮った彼がそっと私の手を持ち上げた。祈るように俯いたその顔の前で、私は指先一つ動かせないままじっとそれを見つめるしかなかった。触れている手のひらにぎゅっと力が篭る。それでも、と絞り出すような小さな声が耳に届いた。

「……それでもボクは、貴方に生きていてほしいんです」


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