zzz


きみがいつまでも笑顔であるように、と


今回の襲撃で一番重傷を負ったのは朽木さんと日番谷隊長の二人だった。それ以外は無傷ではないものの大した怪我でなく、織姫ちゃんが全員すぐに治してくれた。彼女が治癒力を持っていることは話に聞いていたけれど、想像していたよりもずっと早く傷が治っていくのを見て驚愕する。多少の霊力があるとは言え、ただの人間だと思えば有り得ない能力だった。

ギリギリ止血ができていた朽木さんは、ほんの数時間後には起き上がって普通に話が出来る程に回復した。すごい、と一言漏らした言葉は本音だ。同時に、織姫ちゃんが少しだけ羨ましく思えた。何もかも中途半端な私は、後方支援に回ることすら出来ない。

黒崎くんはずっと何かを考え込んでいるようだった。他の人たちも言葉数少なかった。情報共有は行ったけれど、切羽詰った現実が叩きつけられて俯いた。最低限の会話の後、それぞれ拠点とする場所へぽつぽつと帰っていく。香波ちゃん、と呼んでくれた織姫ちゃんと、肩を抱いてくれた乱菊さんについて、私も織姫ちゃんの家にお世話になることになった。そうして、悪夢のような夜が過ぎていった。

長い長い一日が終わって、次に私が目を開けた時には太陽が顔を出していた。

「あ、おはよー香波ちゃん」
「……、おはよう」

ぱちぱちと何度か瞬くと、制服に着替えていた織姫ちゃんがこちらを振り向いて笑っていた。重い頭に腕を乗せると、意識が少しずつはっきりしてくる。ああ、そうだ。昨日あれからすぐに倒れこむように眠ってしまったんだ。
首だけを動かして辺りを見回したけれど、狭い部屋の中には乱菊さんも日番谷隊長も既にいないようだった。起こしてくれれば良かったのに、と思ったけれど、もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない。申し訳ない気持ちになって、私は目を伏せる。疲れているのは、私だけではないはずなのに。

「香波ちゃん、もしかして朝ニガテ?」
「……得意ではない、と思う」
「そうなんだー、何かちょっと意外かも。ちゃきちゃきのキャリアウーマンなイメージだったから」
「きゃり?」
「お仕事しててかっこいい女の人のこと」

ふふ、と笑う織姫ちゃんの表情に救われる思いだった。布団の上に起こした体を一度ぐっと伸ばしてから、私は枕元に畳んでおいた制服を手に取る。私が今着ているのはテーシャツという布一枚で出来た着物で、昨日眠る前に彼女が「寝巻きがわりに」と貸してくれたものだった。すっぽり被るだけで太もも辺りまで隠してくれるそれは、とても楽で着心地が良い。同じようなものを乱菊さんも借りて、お揃いみたい、と笑った。

慣れない現世の服は着るのにも少々戸惑う。そういえば、昨日義骸に入った時には既に制服を着用していたから、きちんと自分で着るのはこれが初めてだった。釦の掛け方やちゃっくの上げ方を所々織姫ちゃんに教わりながら、私はぼんやり指先を動かしていた。

「香波ちゃんは今日どうするの?」
「…どこかで修行出来ないかなって思ってた」
「修行?」
「うん。静かで、出来たら広い場所。良いところないかな」
「んー、そうだなぁ」

口を尖らせ額に指を当てて織姫ちゃんが考え込む。くるくる表情が変わるなぁ、なんて思ったら小さく笑みが零れた。彼女はちょっとしたことで人を笑顔にする天才だと思う。

「ずーっと向こうの方に原っぱというか公園というか、そういう感じのがあるよ」
「人多い?」
「奥の方行けば殆どいないと思う。公園っていうか、ほぼ空き地に近いかも」
「なるほど」
「あ、でも」
「?」
「香波ちゃんそのままで行ったら、ちょっとまずいかもなぁ」

あっち、とざっくりした方角を指差していた彼女が、再び私に向き直って首を傾げた。そのままで、という単語に同じように首を傾げた私は、自分の格好を見下ろしてみる。

こちらにいる間は基本的にそのままでいるようにとの指示が出ていた。戦闘時以外は殆ど義骸ということになる。霊子の乏しい現世に於いて霊力の回復速度を上げるためとか、黒崎くん達との連携を円滑にするためとか色々理由があるのだけれど、如何せん普通の人間にも見えるため動きづらくなるという欠点もあった。故に現世にいる間は不審に思われない程度に人間ぽく振舞うようにとも言われている。そのための制服だ。

「制服着てるのに学校ある時間うろうろしてると、おまわりさんに捕まったりするんだよ」
「え、」

思いも寄らない言葉に、私は絶句した。霊術院の時は皆確かな目標があるからか、脱走したり授業をサボったりということもなかったと思う。だからか、そんなことは考えもしなかった。けれど言われてみれば有り得ない話ではない。こちらはたくさんの学校があるのに殆ど全て同じような時間で動くらしい。明らかに授業のあるだろう時間帯外を歩いていれば、周りの大人が不審に思うのだろう。その代表がおまわりさんなのかも。

どうしよう、と呟いた私を見ていた織姫ちゃんが、ぽんと手を打って箪笥を漁り始めた。ごそごそ聞こえる音に目を向けると、「んー、これかなぁ」「こっち…」「いや、でもやっぱりこっちかな」なんて独り言とは思えない量の声が背中越しに聞こえてくる。きょとんと見つめていた私の視線にも気づかず暫くそうしていた彼女が、よし、と振り返ったと同時に何かを広げて見せた。

「香波ちゃん、これ着てみて!」

ひらりと広がったのは白くて長いスカートだった。制服のそれとは違って肩紐のような部分がついている。けれど、それが本当に肩の位置だとしたら太腿まで隠れるかどうかというような裾の短さだ。彼女とそれを交互に見ると、「ほら制服脱いでー!」と首元のリボンに手がかかる。わたわたとしているうちに頑張って着た制服は脱がされ、代りにその白いスカートを着せられた。丈はやはり短くて、制服以上に心許ないそれに眉を下げていると「これも」と別の何かを差し出される。焦茶色っぽい布は指貫袴をずっと短くしたような感じだ。促されるままに着ていく度、織姫ちゃんの顔が輝いていった。そして。

「やっぱり似合うー!」
「……そう?」

結局私は織姫ちゃんのものだろう現世の服一式を着せられて鏡の前に立っていた。身を捩ると白いスカートがふわふわと揺れる。その下に着用した焦茶色は制服のスカートより短いくらいの丈しかなかったけれど、股下が閉じているので制服ほど不安にはならなかった。足を晒すことに抵抗があると告げると彼女が長い靴下を出してくれて、膝の上まで黒いそれが隠してくれることになった。最後に羽織った半袖の上着の肩を抱いて、織姫ちゃんは満足げな表情だ。対する私の表情は自分でもおかしなほど困惑していて、鏡の中の姿は対照的だった。

「香波ちゃん絶対かぼちゃパンツ似合うと思ってたんだよねぇ!」
「かぼちゃ?」
「うん。ここふんわりしててかぼちゃみたいでしょ?」
「……なるほど」

可愛いねー!絶対写真撮ろうねー!なんて大騒ぎの織姫ちゃんに、さすがに照れて頬を掻く。お世辞ではないと心底思えるその言葉がくすぐったい。

「あ!もうこんな時間!」
「学校?」
「うん。台所におにぎりあるから、良かったら食べてね!」
「あ、ありがとう」
「あとこれ!家出るときに鍵かけてね!」
「織姫ちゃんは?」
「もういっこ持ってるから大丈夫!」

時計を見上げた織姫ちゃんが、慌てて立ち上がった。バタバタと鞄を掴んで靴を履く姿を追って、私は玄関に立つ。「うわー、急がなきゃ」なんて呟くその背中をじっと見ていた。霊圧を感じることを除けば、彼女は本当に普通の女の子なのだ、と唐突に思った。

「いってきます!」
「えっと、いってらっしゃい」

にこやかな笑顔で手を振る彼女に手を振り返して見送る。扉の隙間が閉じるその瞬間まで、私はそうしていた。

この優しい女の子を、守りたい。その為に、何が出来るだろう。


prev next