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生きる理由


織姫ちゃんに教わった場所は思ったよりもすぐに見つかった。義骸に入った状態では上空から探すということが出来ないので、徒歩圏内というのは助かる。住宅街から少し外れたところにあって人の気配もないし、トラブルになる可能性が低いというのが何よりも嬉しかった。昨日遭遇した二人組の自称お兄さん達を思い出すと自然顔が険しくなる。

『うちの娘に何しとんデスカー』

ふと耳に蘇った声に、更に眉根を寄せた。例えばどれだけ姿が変わっていたとしても、声が変わっていたとしても、触れた霊圧を忘れることなんてない。

彼は何故あんなところに居たのだろう。たまたま通りがかっただけだとして、その後の破面戦で姿を見せなかったのはやはり尸魂界に捕捉されないためだろうか。百年前行方不明になったのは皆郡を抜いて強い人達ばかりだった。彼らならばあるいは、破面相手にも優に戦えるのかもしれない。

「……、みっともない」

ぽつりと呟いて手のひらを見つめた。昨日遅れて参戦した私は傷一つ負わなかった。それは全てを黒崎くんが請け負ってくれたからで、彼の負担を無くすと言わずとも減らすためにやってきたことを考えれば、私の存在価値なんて無いに等しかった。力を求めるならば、修行するしかない。他の誰かに頼るのではなく。妬むのでもなく。

適当に足を止めた場所は森に囲まれた原っぱで、しんと静まり返っていた。街の喧騒は遠く、人間の気配も感じない。それでも集中を乱されないようにと、万全を喫して端に立つ木に昇る。意識が遠のいても落ちないように、太めの枝を足で挟むような形で腰掛けた。寄りかかった幹がひんやりとして心地良い。外は容赦ない夏だけれど、木陰は涼しかった。

「―――杜鵑草、」

目を閉じて手にした刀に呼びかける。暫くの沈黙の後、返ってきた声と同時に私は精神世界に落ちた。


おかえり、と聞こえた声が不機嫌そうで、思わず苦笑する。いつも共にある斬魄刀とはいえ、こうして精神世界に入って集中するのは久方ぶりだった。お互い用事がなければ話しかけない主義なので、尸魂界に居ても声を聞くことは少ない。

目を開けると、彼女は庭に立っていた。現実の季節に影響されないこの世界はいつも夏と秋の間だ。ほんの少し赤みがかった太陽が照らしている。縁側に座る私は当然彼女を見上げる形になって、逆光に目を細めた。

「もう来ないかと思ってた」
「いつもそう言うね」
「いつもそう言わせるのは香波の方でしょう」
「ごめん」

黒い短い髪を揺らして彼女は首を振った。私達は鏡で写したようによく似た姿だけれど、彼女の髪は首に届くあたりまでしかなく、いつも黒い衣装を纏っている。首も手のひらも覆う裾から見える肌は白い。唇だけが反するように赤かった。

その赤い唇が、少し躊躇いがちに開かれて、浦原喜助、という名前を紡ぐ。ぴくりと肩を震わせた私の心を、彼女はきっと誰よりも見透かしているのだ。私の半身。この百年よりもずっと前から共に生きてきた。

「どうするの」
「……どうする、って言われてもなぁ」
「私は鬼道なんて使えない。戦う香波が迷えば弱くなる」
「……」

返す言葉を見つけられずに黙った私を、黒い瞳がじっと見つめる。
いつだったかこうして尋ねられたことがあった。彼が居なくなった後の話だ。それでも待つの、と言った彼女の言葉を覚えている。頷いた私を見つめた瞳は揺れていた。それでも会いたい、と告げた私に彼女はたった一言、そう、とだけ呟いた。

『貴方は何故アタシが貴方を連れて行かなかったのか、それを百年かけても理解出来なかったと見える』

冷たい声だった。それが決定打だ、と思った。空っぽの私の中に沈んだその言葉がいつまでも響いている気がして、耳を塞ぎたかった。ただ彼に会うためだけに生きてきた百年を、否定するには十分な言葉だった。

「もう香波の待ってた『浦原隊長』はいないよ」
「……そうだね」
「これから、どうするの」
「…………」
「生きるか死ぬか決めないと、香波も私も戦えない」

誰よりも一番近い場所から、誰よりも長く私を見てきた彼女の言葉は容赦ない。それが何よりも今の私に必要なものだと知っているからだ。技術も霊力も既に成長するピークを超えてしまっている私を最も左右するのは精神面で、単純に技術面の向上だけを目指すのだとしてもまずは気持ちの在り処を決めないといけなかった。集中を乱せば彼女は容赦しないし、口先だけの嘘も通用しない。

「香波は、死にたいの?」

それは決して嫌味や辛辣なだけの言葉ではなかった。彼女の純粋な気持ちなのだと理解できて、切なくなる。答えられない私は、目をそらした。

生きたいと思った。彼に会うために、それまで必ず生きていようと思った。そうして、百年の時間を経てそれは叶ったのだ。意図した形でないとしても、拒絶されたとしても。
生きる目的なんてもうなかった。それでもお腹はすくし、笑うし、戦う。織姫ちゃんを、黒崎くんを、守りたいと思う。けれどそのために生きたいかと問われれば頷けない。むしろその過程で死んでしまっても構わないと思う。それが死にやすい理由を求めているだけなのだとわかっていた。

「……死にたい、わけじゃないと思う」
「生きたいの?」
「分からないよ。そんなの、……だってもう、」

控えめな足音と共に彼女の足が俯いた私の視界に入る。ふと視線を上げると、逆光の中でその黒い瞳が悲しそうな色を映していた。杜鵑草、と呼ぼうとした私の両肩に冷たい手のひらが触れる。ぐ、と押された体はあっけなく後ろ向きに倒れた。


そうして、私は目を開いた。
木の枝の上で、凭れるように座っていた体を起こす。綿を詰められたようにくぐもった蝉の声が聞こえていた。辺りを見回すとまだ太陽は高くて、どれくらいの時間が経過したのかまでは計れなかった。

抱えていた刀は、静かにそこに佇んでいた。杜鵑草、と試しに呼んでみたけれど返事はなかった。ぎゅっと抱きしめたそれは、肩に触れた手のひらと同じようにひんやりと冷たかった。

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