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ハロー、ハロー、聞こえていますか


結局私達は黒崎くんの家(の天井裏)に(電球とカケて)侵入し、彼の帰宅と同時に今回の件についての話を始めた。天井裏に潜むのはさすがにどうか、と言ったのだけれど、それで聞いてくれる乱菊さんならばそもそも不法侵入なんてしない。私は押しに負けて引き摺り込まれ、どうあっても拒否し続けた日番谷隊長のみが彼の家の外で待つことになっていた。

朽木さんの絵を混じえて詳しい説明をした私達の話を、彼がどんな気持ちで聞いていたのかは分からない。正直に言えば、私だって認識が追いついていないのだ。高々二十年も生きていない少年に受け止め切れる話ではないだろうということくらい、誰もが分かっているはずだった。けれど、既に現状はそんなことを言っている場合ではない。認識が追いついてなかろうと、受け入れられない話だろうと、どうにかするしかなかった。

そうして大体の話を終え、私達の論点はこの後の拠点についてに移っていた。

「まぁとりあえず、あたしは織姫んとこ泊めてもらうわ!」
「もらうわ!って井上にもう許可とったのかよ」
「あの子は頼めばイヤとは言わないわよ」

軽く手を振りながらにこやかに乱菊さんは言う。そういえば織姫ちゃんはこの話し合いに参加していなかった。朽木さんが学校に残ったから一緒に連れて来るのかと思っていたのだけれど、そうはしなかったようだ。考えてみれば当然だった。彼女は特別な力があるとは言え、人間の女の子なのだから。

「香波も行くでしょ?」
「あ、えっと、私は」

当たり前のように私を振り向く彼女に、首を振ってみせた。どんな顔をしたら良いのか分からなくて曖昧に微笑むしかない。案の定「何でよ、」と口を尖らせる乱菊さんに、「ちょっと、」と空を仰ぐ。こちらに来たのはまだ太陽の高い内だったのに、既に空は茜色に染まっていた。直に日が沈む。

「ちょっとって何よ」
「あの、少し色んなところを歩いてみたくて」
「散歩ってこと?」
「そんなところです」

他に言い様が無かった。頬を掻きながら言うと、彼女はふーん、と唸りながら私を見つめる。疚しいことなどないつもりだけれど、思わず目が泳いだ。暫く無言で私を見ていた彼女は、「終わったらいらっしゃいよ」とだけしか言わなかった。小さく頷いて、私は目を伏せた。

あの人の生きていた街を見てみたかった。そんなことをしてどうするのかと言われても困るけれど、ただそうしてみたかった。意味なんてない。ないということを、理解していると思う。百年という時間を取り戻せるだなんて思っていない。意味を与えられるだなんて思っていない。それでも、少しでいいから彼に触れていたい。

『貴方は、』

咄嗟に触れた赤い花からは何も感じなかった。ああ、そうだ、これは義骸のために阿近が作ってくれたニセモノだった。本物じゃないのだ。匂いなんてするはずがない。

『貴方は何故アタシが貴方を連れて行かなかったのか、それを百年かけても理解出来なかったと見える』

―――何故今になって漸く、彼の言葉が蘇ってくるのだろう。

「じゃあ、途中まででいーから一緒に行きましょ」
「はい、喜んで」
「隊長も来ます?」
「行くかボケ!」
「来ればいいのにー。楽しいですよォー」

黒崎くんに一礼すると、彼はひらひらと片手を振って返してくれた。それが何の気兼ねもない表情だったので、ほんの少しほっとする。尸魂界の一存で彼に重荷を背負わせていることが、今一番の気がかりだった。実感がないだけだとしても、できる限り気負わないで居てほしい。その為に私達が来たのだから。

織姫ちゃんの家には霊圧を辿って行った。建物の下で乱菊さんと日番谷隊長の二人と別れて、私は暗くなった住宅街にぼんやり立っていた。
どこに向かおうか、と思案して、とりあえず賑やかな方に向かおうと明かりが見える方へ足を向ける。こちらもこれくらいの時間が夕飯時なのだろうか、どこかの家から漂う美味しい匂いが少し胸を切なくさせた。

「……、どうしようかな」

ひとりごちたのは、静けさに耐えられなかったからだ。暗くなった空には星が輝いていて、家々には明かりが灯っていて、ご飯の匂いがして。ここにはたくさんの人たちが住んでいる。人のいる温かみを感じるのに。

一人だ、なんて今更の話だ。しかも今私が一人でいるのはそれを選択したからに他ならないのに、寂しいだなんて馬鹿みたいな話だった。嫌ならば乱菊さんと一緒に居ることも出来たのに、それをしなかったのはそれでも彼のことを思っていたかったからだ。だって、私にはもうそれしかない。

『まさか、アタシに会いに来たとでも?』

私はもう、会いたいなんて思うことすらできなくなってしまった。

「……あー……」

歩きながら浮かぶのは苦笑だけだった。意味もなく手のひらを握ったり開いたりしてみたけれど、馴染んできたとはいえ薄い隔たりのあるような義骸の感覚はいつもと違って現実感がなかった。これが夢だったら良かったのに。ずっと会いたいとだけしか考えていなかった。会ってどうするとか、そんなこと考えてもみなかった。ああ、そういえば私はどうして、こんなにも彼に会いたかったのだろう。

ぼんやりと歩いていた私は、前から歩いてくる男二人に気がついていなかった。彼らが私の行く手を遮るように前に立ってから、俯いていた視界に入った足に気がついて顔を上げた。霊力のない人間は霊圧を持たない。霊圧を持たない人間の位置を把握するのは苦手だった。

彼らはにやにやと笑いながら少し高い目線で私を見下ろしていて、私は足を止めた。下卑た笑いだなぁ、と嫌悪感が湧いたけれど、ただの人間を相手にする気力は無かった。小さく息を吐いて、「何か御用ですか」とだけ呟く。

「お嬢ちゃん、空座第一の子だろ?その制服」
「こんな時間にこんなとこ歩いてたら危ないよ?お兄さん達が送ってってあげるよ」
「お気遣いは有難いですが、結構です」

道は既に大通りに出ようとするところだったけれど、後ろを振り向けばただの住宅街だった。まばらとはいえ人通りもあるし、この人達と行動を共にすること以上に危ないことがあるとも思えなかった。無表情で慇懃に断りを入れれば、「えー、最近何かとこの辺物騒じゃん?」と引き下がる様子も見えない。

「人の好意は有り難く受け取っとくもんだよ?」
「ご好意は有り難く受け取った上で結構です、と申し上げています」
「遠慮なんかしなくていーよ、ほら、家どっち?」
「あ、何ならおにーさんたち奢るからご飯でも食べてく?」

私の言はそっちのけで、彼らは二人話を進めていく。どうやら意見を聞いてくれるつもりはないらしい。このままゴリ押ししてどこかへ連れて行くつもりなのだろうが、私はそんなために乱菊さんと別れたわけじゃなかった。けれど、人間相手に問題を起こすわけにも行かない。まさか殺すわけにもいかないし、今の私が慣れない義骸の状態で上手く手加減できるかも怪しい。

「な?とりあえずおにーさん達に任せなよ」

馴れ馴れしい自称お兄さんの一人が、私の肩に触れた。抱き寄せるように力を込められて、ぞくりと鳥肌が立つ。ああ、ダメだ。無理だ。最初からどうせ穏便に済ませることなんて出来なかったのだ。嫌悪感で塗りつぶされるように頭の中が真っ黒になっていく。殆ど反射的に、男を投げ飛ばそうと腕を上げた。

「こんなとこでなーにしとんねん」

私が彼を投げるよりも先に、後ろから私の腕を掴んだ人がいた。聞き覚えのあるその声と霊圧に、私は咄嗟に固まった。動けなくなった私の腕をそのまま後ろに引っ張って、よろめいた体はぽすんと背後の人に受け止められる。いつの間にか肩に触れていた男の手は外れていて、私と同じように驚いた顔をした自称お兄さん達が私の背後を睨んでいた。

「は?お前、何だよ突然……!」
「うちの娘に何しとんデスカーて聞いとるんですケドー?」
「うちの娘ってお前どう見ても、」
「そこはどうでもええねん。何するつもりやったんかっちゅーとこが重要やろが」

薄い義骸の膜を通しても、背後の人から殺気を感じた。そのうちお兄さん達が「おい、もういいよ、行こうぜ」なんてぼそぼそと言い始めて、ぱっと踵を返した。三下にありがちな捨て台詞すら残さず、彼らは脱兎のごとく逃げ出してしまった。私は腕を掴まれて立ち尽くしたまま、それを呆然と見送っていた。彼らが見えなくなると、背後の殺気はすぐに消えた。阿呆やなぁ、と心底呆れたような声が降ってきて、それで漸く金縛りが溶けるように振り向く。

「もうちょい危機感持てやボケェ」

ぼそり、と零した言葉と、視界の端に見えた金糸だけが彼の残した物だった。
振り向いた先には元来た道と住宅街と星空しかなくて、私は暫くその場に立ち尽くした。霊圧を探ったけれど、彼の存在すらも感じられない。腕に残った温もりに触れると、仄かに香水の匂いがした気がした。

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