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夢から覚めた音とともに


乱菊さんに連れられて、義骸に入った私と班目さんが日番谷隊長達と合流したのはその後すぐだった。
遅くなったことを謝罪した私を、日番谷隊長はちらりと見ただけで「別に構わねぇよ」と呟いた。班目さんも突然勝手な行動を取ったこと(どうやら彼らの話が終わると同時に一人叫びながら店を飛び出したらしい)を謝罪したけれど、そちらは「もっと周りのこと考えろ馬鹿野郎」と怒られていた。もしかしたら、乱菊さんが何か言ってくれていたのかもしれない。

泣きすぎでぼんやりとした頭は、逃避本能が働いたのかあの人の言葉一つ思い出すことも出来なかった。拒絶されたのだ、という記憶だけが曖昧に残っているだけで、それ以上考えようとすると先に涙腺の方が緩むような有様だった。今ここでそれを思い出したところで何も良いことなどないのだから、私は試みることを早々にやめていた。

「これ、こういう着方で合っているんでしょうか……」

改めて義骸の纏った服装を見下ろし、呟く。現世へ降りたことは多々あれど、こうして義骸に入ることなど殆どなかったし、ましてやこうして現世特有の衣装を身につけることなどなかった。大昔に義骸の性質と性能を体験する演習があったけれど、その時はもっと尸魂界と似たような着物を着たはずだった。

「それで正しいはずです。私も最初は躊躇いましたが」
「……丈短いですよね、大分」
「似合ってんだからだいじょーぶよ!そんな細かいこと気にしないの!」

揃いの衣装を着た朽木さんと乱菊さんが、私に並んでぴらぴらとスカートの裾を揺らしてみせる。支給された制服は全く同じものなのかと思いきや、死覇装と同じく少しずつ個人の着こなしで変わってくるらしい。朽木さんは白いシャツの釦を一番上まで閉めて赤い小さな帯飾りを蝶々結びに巻いている。対して乱菊さんは(恐らく胸のせいで)一番上まで釦が閉められないようで、蝶々結びはつけずに開襟していた。男性陣も各々シャツをズボンにしまっていたりいなかったり、朽木さんとは違う帯飾り(ねくたいと言うのだと乱菊さんが教えてくれた)を結っていたりいなかったりとバラバラだ。どれが一般的に正しいものなのか分からなくて、誰に倣うべきなのか分からない。そういえば尸魂界に来た時、織姫ちゃんは制服ではなかった。この心許なさでは仕方ないな、と私は自分のスカートを指先で摘む。

「私が通っていた当時も様々な着方の者が居りましたが、井上によるとこれが一番すたんだーどな着方だそうですよ」
「すたんだーど、」
「標準的ってことよ」
「ということは、とりあえず朽木さんと同じように着ておけば良いということで?」
「特に問題は無いかと思います」
「あーあ、あたしもリボンしたかったのに」
「乱菊さんは何というか、無理そうですね、これ」
「まぁあんたが代りに付けてくれてるってことで良しとしとくわ」
「オイお前らいつまでそうやってんだ」

井戸端会議に突入しかけていた私達に、日番谷隊長の低い声が飛んだ。首を竦めたのは私と朽木さんで、はぁい、と慣れた返事をするのは乱菊さんだ。彼は私達を一瞥してからすぐに歩き始めてしまった。行きましょ、と乱菊さんが背中を押して、そこで漸く私は足を動かし始めた。

日番谷隊長を先頭に続くのは男性陣で、私達は三人その後ろを歩く形だった。私を真ん中に乱菊さんと朽木さんが左右に並ぶのは少し不思議な感じがしたけれど、話をしながら歩くうちにその違和感も段々と薄れていった。話す内容は主に朽木さんが空座町にいた時のことで、自動販売機という絡繰仕掛けで飲み物を販売しているだとか、その飲み物もジュースといって尸魂界には無いものなのだとか、そういう他愛ない、けれど興味深いことばかりだった。道という道はすべてコンクリートという石で舗装されていて、人々は草履ではなく靴を履き、街は夜でも光に溢れている。そんな話を聞きながら、私はずっと周りの景色を見ていた。あの人はこの街で、百年を生きてきたのだろうか。

「―――ここだな、」

あまり長い時間歩かないうちに、日番谷隊長が足を止めた。目の前には空座第一高校と書かれた表札と、背丈より少し低いくらいの門。そして、中に広がる大きな庭と建物。学校というからには生徒が多数いるのだろう、庭には誰も居なかったけれど、賑やかな喧騒が遠くに聞こえた。

「……一護の奴、」

隣に立つ朽木さんが突然小さく呟いて舌打ちをした。ちらりと見えたその表情は険しく、真っ直ぐに建物の方を睨みつけている。何が、というよりも先に、彼女は駆け出した。

「……!朽木さん、」

慌ててその背を追ったけれど、彼女は私の声など聞こえていないようだった。黒崎くんに何か、と意識的に霊圧を探って、私は眉を顰める。確かにこの建物に黒崎くんの霊圧を感じる。織姫ちゃんもいるし、他に二つ覚えのある霊圧があった。直接関わることはなかったけれど、あの時尸魂界に来ていた旅禍のうちの二人だろう。人相はあまり覚えていないが、その異質な霊圧はよく覚えていた。まだ彼らが帰ってから一月も経っていないのだから、大した変化もなくて当然だ。なのに、黒崎くん一人だけがおかしかった。あんな爆発的な霊圧は戦闘時のみだとしても、今は意識して押さえつけているような弱さだ。しかも、上手く行っていないのか不安定に揺れている。

「……っ」

朽木さんは目指す場所をよく知っているのだろう、私が追っていることなど気がついていないようで、後ろを振り返りもせずに真っ直ぐ駆けていく。走りながらふっと息を吐いて、私は目を細めた。慣れない義骸で体が重い。上手く走れない。

黒崎くんに何があったのだろう。まるで怯えるように霊圧が震えていて、それは尸魂界で会った時の自信に満ちた彼からは想像も出来ないような弱さだった。原因は、数日前に現れたという破面だろうか。無事とは言えない程度に傷を負ったと言われていたけれど。

「香波ちゃん!?」

朽木さんの背を見失って、息の上がりきった私が足を止めようとした時だった。背後から名前を呼ばれて、振り返ると大きく手を振る人影があった。きょとんと目を開くと、彼女はもう一度香波ちゃーん、と間延びした声で私を呼ぶ。

「織姫ちゃん」

一階の窓の一つを開け放って乗り出すように手を振る姿は、最後に会った時と何ら変わらない。なのに、この距離からでも包帯を巻いた腕や額が見えて思わず顔が強ばる。ああ、そうだ。彼女も破面の襲撃に遭ったのだ。彼女は傷を治す能力に長けていると聞いていたけれど、自分の傷は上手く治せなかったのだろうか。それともその程度にしか回復出来ないほど損傷が激しかったのだろうか。どちらにしても胸が痛んだ。特別な能力があったとしても、彼女は只の人間の女の子なのに。

「どうしたの?こんなとこで」

浅く息をしながら織姫ちゃんに歩み寄ると、彼女は少し高い位置から私を見下ろして尋ねた。ちらりと見失った朽木さんが駆けていった方を見ると、彼女の姿はどこにもない代りに霊圧が迷いなく進んでいくのを感じた。きっと、今から追いかけるよりも彼女に任せるべきなのだろう。少なくとも、黒崎くんについては。

「ちょっと任務で、こちらに配属されました」

どの程度まで話すべきなのだろう、と首を傾げながら、私は彼女を見上げる。間近で見るとその傷の痛々しさが目立って目を逸らしたい気持ちになった。

「もしかしてこの前のこと?」

織姫ちゃんがこそりと声を顰めたので、私は小さく頷く。彼女は当事者なのだから、私達の目的くらいは知っていても構わないだろう。特に秘匿せよという命も聞いていない。自分を納得させるようにもう一つ肯けば、彼女は笑った。

「似合ってるね、制服」
「……そう、かな」
「とっても!後で一緒に写真撮ろうね!」
「…………」

とても数日前襲撃に遭った人間とは思えないほどの呑気な笑顔で、彼女は絶対だよ、と繰り返す。ああ、彼女は強いのだ。心配を掛けないようにと笑えるほどに。私はほんの少し目を伏せてから、躊躇いがちにその頬に手を伸ばした。右側から攻撃を受けたのだろう、彼女の傷は体の左半分に集中している。手当された頬に触れるか触れないかの位置で、私は手を止めた。触れれば痛みを与えてしまいそうで怖かった。

「……痛い、よね」

呟いた瞬間、彼女は目を見開いた。そうしてすぐにその表情は優しく和らいで、ううん、と頭を振る。

「大丈夫だよ、もう全然痛くないよ!」
「……でも、」
「あたしはほんとに大丈夫。浦原さんがくれた薬、すごいよく効くんだよ」

ぴくり、と肩が揺れた。彼女は優しい顔で笑うから、私は立ち尽くしたままその手を引っ込めるしかなかった。

『まさか、』

途端に、先程まで思い出せもしなかった低い声が蘇って顔を顰める。人間の彼女がこんなにも強いのに、私は何故こんなに弱いのだろう。名前一つで揺さぶられるなんてあってはならないのに。特に、これからは。

『まさか、アタシに会いに来たとでも?』

ぐっと拳を握り締めた。反射的に涙が滲みそうになって、それを誤魔化そうと視線を俯けた。織姫ちゃんは少しの間黙ってから、あの、と慌てた声を上げる。私は本当に何をしに来たのだろう。こんなところまで来て、怪我をしている彼女に気を遣わせて。

「あっち側から入れるの。渡り廊下があってね、」

彼女が身振り手振りで場所を示すのが視界の端に見えて、私は細く息を吐いた。こっそり二回深呼吸をして、ぱっと顔を上げる。説明を続けていた彼女がその格好のまま手を止めたので、思わず笑ってしまった。

「ありがとう」

小さな声で言うと、彼女は再びううん、と頭を振って笑った。その笑顔が眩しくて、ああこの子を守らなくては、と私は心の中でひとりごちた。

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