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ありがとう、と君は泣く


「―――どうもすみませんでした」
「……別に気にしてねェよ」

ず、と洟を啜りながら呟けば、バツの悪そうな声で班目さんが答える。どれくらい彼の胸を借りていたか分からないけれど、歯止めの効かないまま存分に泣かせてもらったので頭は重いが心はほんの少しすっきりした気がした。代りに、彼の死覇装は私の涙でびしょびしょになってしまった。それに触れると、「夏だからすぐ乾く、」なんて気を遣われてしまって申し訳なかった。

目を擦ると、瞼に残った雫が指を濡らす。何度拭っても拭っても、最後の一滴なんじゃないかと思っても尽きない。溢れ出る程ではないものの、滲む程度にはまだ湧くらしい。頭の中はぼんやりとしていて、既に何かを考えられるような状態ではなかった。だから、それはほとんど体の反射のようなものなのかもしれない。

「ありがとうございました」

もう一度洟を啜り上げて、篭った声で私は頭を下げた。

「班目さんのおかげで、浦原隊長に、会えました」

区切るように少しずつ言葉を紡ぐのは、そうしないと可笑しくなってしまった涙腺が再び決壊してしまいそうだったからだ。散々なところを見せて今更とは思うけれど、これ以上の失態を彼に見せたくなかった。班目さんは複雑そうに眉を顰めたけれど、何も言わなかった。

「ちゃんと、お話もできました」

泣きすぎて声は掠れているけれど、先程のようにもう震えたりはしなかった。それはきっと、前にいるのがあの人でなくて彼だからだ。馬鹿だなぁ、と心の中でひとりごちる。あの人に触れなければ、私はこんなにも普通でいられるのに。

「班目さんの、おかげです」

最後に付け足した言葉に、彼はより一層複雑な表情を浮かべた。その唇が何かを言いかけて開いたのに、すぐに一文字に引き結ばれてしまう。何を言おうとしたのかは分からなかった。けれど、彼はすぐに静かに口を開いた。

「これから、どうするんだよ」

その『これから』がどれくらい先のことを意味しているのか、と思ったけれど上手く聞ける言葉が浮かばなかった。今ここにいる理由である現世での任務について話しているのであれば、それは勿論全うするつもりだった。あの人には邪魔だ帰れと言われてしまったけれど、その言葉だけで受けた仕事を捨てることなんて出来ない。この任務がどれほど大きな影響を尸魂界に与えるのか、私は理解してしまっている。浦原隊長に会いに来たのが理由ではないのだ。それは一つの動機だけれど、それだけでここに立っているつもりはなかった。

ぐし、と手の甲で再度目尻を拭って、私は彼を見上げる。

「先遣隊には居させてください。……元より、あの人に会うために来たわけではないです」
「そんだけべそべそ泣いといてか」
「……せめてめそめそって言ってください。何かその擬音、」
「大丈夫なんだな」

確かめるようにゆっくりと、彼が私の目を見る。逸らすことは出来ない。同じくゆっくりと頷いてから、「はい」と言葉を足した。彼はすっと目を細めた。

百年前のあの日、何があったのかを知りたかった。百年間掛けて藍染隊長達がしてきたことを、それに関わってしまった人達のことを。何も知らされないまま、終わった後で結果だけを突きつけられるのは嫌だった。双極の丘に行ったあの日、私はそう思った。
けれど実際には大して動けず役にも立たず、全てが終わってから目を覚ました。もしも阿散井副隊長が、朽木さんが、無事でなかったら。あんなふうに大団円で切り抜けることが出来ていなかったら。私はどうしたのだろう。

「ちゃんと、自分の目で見たいんです。……最後に結果だけ知るのは、嫌です」

精一杯口を開いて告げると、彼は暫く沈黙してから長く息を吐いた。

「無茶すんじゃねぇぞ」
「はい」
「無茶すると泣いちゃうわよ、一角が」
「は」
「……オイ」

いつの間にか班目さんの肩口から覗き込むようにして立っていた乱菊さんが笑った。一瞬にしていつもどおり額に青筋を浮かべた班目さんと、にこにこと私を見る彼女を交互に見つめる。本当にこの人は神出鬼没というか、やちるちゃんに近いものを感じる。けれど困惑した私の目も三白眼になった班目さんの目も気にせず、彼女は私の義骸を「ほら、」と差し出した。

「一角も香波もそろそろ義骸入っちゃいなさい。一護の学校行くって」
「学校?」
「この時間、高校生はまだ学校らしいわよ」

コウコウセイ、という単語はあまり馴染みがなかったけれど、恐らく学校の種類なのだろう。どこかで聞いたような気がする。そういえば、乱菊さんは既に死覇装でなく現世の衣装だった。白いシャツと鼠色の、確かスカート、だったっけ。こちらに帰る前に、朽木さんと織姫ちゃんがそんなことを話していた。

乱菊さんの差し出す私の義骸も、着ている服は彼女と揃いのものだった。自分が現世の衣装を着る日が来るとは思っていなかった。義骸とはいえその姿をこうして見ると、不思議な感覚だ。

「織姫も皆一緒みたいだし、話付けるには早いでしょ」
「わざわざ、これで潜入するんですか」
「一度着てみたかったのよ、高校生の制服」

楽しそうに言うところを見ると、言いだしっぺは彼女らしい。それだけの理由で日番谷隊長を押し切れるところが彼女の凄いところだと思う。私にはできる気がしない。

じっと義骸を見つめていると、乱菊さんは思い出したように私の近くまでトコトコと寄ってきて、小さく耳打ちをする。

「こっち入れば、目の腫れは気にならないから」

少しだけ背の高い彼女を見上げれば、優しい笑顔を浮かべていて。そうだ、あれだけ泣いたのだから、瞼の腫れも目の赤みも当然のことだった。目の前で泣いた班目さんや乱菊さんはともかく、他の人達にそれを指摘されて上手く返せるとは思わない。既に私は出発後すぐ緊張で足が竦むという失態を見せている。今度こそ尸魂界に強制送還されることだって考えられた。

「ありがとう、ございます」

小さく呟くと彼女はにこりと笑ってウインクした。それがこれ以上ないくらいに絵になっていて、彼女のような人になりたいとこっそり思った。

「おんなじのは流石に無理だったけど、ちゃんとその花もフェイク作ってもらったのよ」
「……ほんとだ、そっくり」
「姫彼岸花って言うんでしょ。言ったらちゃんと阿近が作ってくれたの」
「……」
「まぁ気分の問題だけど。あんたのチャームポイントだものね」

私の形をした義骸は普段の私の髪型で、普段の私と同じところに赤い花が差してあった。それは一見すると見分けがつかないくらい私の持つそれと似ていて、香りがしないことくらいしか違いはないように思えた。阿近、と唇だけで呟くと、目つきの悪い彼のぶっきらぼうな横顔が脳裏に浮かんだ。一緒に仕事をしたのは彼がまだ幼かった頃で、今では話す機会も殆ど失くなってしまったけれど。

「……、ありがとう、ございます」

もう一度小さく繰り返すと、乱菊さんの後ろの班目さんがそっぽを向いて舌打ちしたのが聞こえた。乱菊さんがそれを振り向いて更に笑ったので、私も釣られてほんの少し笑った。

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