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「だから言ったのに」


ただ彼に会いたかった。百年間の私を生かしてきたのは、その思い一つだった。

「まーた随分珍しい人が来たなァと、さっき他の方々から聞いて思ってたとこッスよ」

なのに今私は、おちゃらけた感じでそう言う彼を振り向けない。

「今は九番隊だそうですね。四席とか。まぁ長い時間経てば色々変わりますよねェ」

当たり障りのない、普通の話題。冗談のように明るい声音でそれを一人話しながら、答えることも出来ない私に何も言わない。背を向けたまま座り込んで、明らかにおかしい光景なのに、それに対しても一切突っ込まなかった。呆然と座り込んだまま、私はその声をただ聞いている。

「霊圧も、その感じだとあまりお変わりないようで」

彼の声はそのままだ。明るい口調のまま、その中身が少しずつ変容していく。百年以上前に遡っても、こんな彼は見たことがなかった。いつも優しくて、穏やかで、お日様が溶けたような髪の色そのままの人だと思った。それでも彼は元二番隊で、隊長になるほどの人なのだからそれだけの人でないことくらい知っていたけれど。

どくん、どくん、と心臓が鳴る音が聞こえる。反射的に握った手のひらが砂を掴んだ。とてもそんな風には思えないような声音に、乗せられているのは怒気だ。その明るい声とは似ても似つかない感情。背を向けたまま、彼の顔が見えないから余計に肌に刺さるような。けれど、そんなものを彼から向けられたことなんてなかった。真っ白になった頭に、彼の呟いた「困りましたねぇ」という声が響いた。

「貴方は何故アタシが貴方を連れて行かなかったのか、それを百年かけても理解出来なかったと見える」

その言葉は、恐らく決定打だったのだと思う。

何の感情もないような声音で、少しも困っていないような声音で、彼は確かにそう言った。その言葉はそのまま真っ白になった私の頭の中に沈んで、いつまでも響いているような錯覚を覚えた。そんな中で、一人冷静な別の私が佇んで呟く。アタシ、だって。昔はそんな呼び方をしていなかった。そのどうでもいいような微かな違和感が、意味もなく心の中に落ちる。

「他の方々は皆きちんと自分の役割を理解してらっしゃる。相応の覚悟もお持ちだと感じられました」

先程とは打って変わった静かな声で、彼は言葉を続けた。耳の中を確かに音が通るのに、その声はどこか遠くて、他人事のようにぼんやりと私は聞いている。

「なのに貴方はそんなところにへたりこんで、こんな現世までわざわざ何をしに来たんスか?……まさか、」

言葉を止めた彼の声が、嘲笑混じりに変わった。耳を塞いでしまいたい衝動に駆られたけれど、体は動かなかった。

「まさか、アタシに会いに来たとでも?」

―――ただ、彼に会いたいと思った。

百年間、それしか考えてこなかった。たった一人残された私の、それは唯一の希望だった。その為に、その為だけに生きていこうと思った。どんなに寂しくても、悔しくても、泣きたくても。その為になら生きていけると思った。

「今回、貴方のような中途半端な方は足手纏にしかなりません。大人しく尸魂界にお帰んなさい」

答えない私の沈黙を肯定と受け取ったのだろう。彼が言葉を続けた。途端、金縛りに遭ったように動かなかった体が突然突き動かされるように立ち上がった。

「すみません。見苦しいところをお見せしました」

ぱんぱん、と無意味に袴の誇りを払ってから、私は拳を握る。声は震えていたけれどはっきりと口を出た。それが小さな救いのように思えた。

「仰る通りです。私、浦原隊長にお会いしたかったんです」

言葉にしてみると、ほんの小さな願いだった。そんなものに百年もの間、縋って生きてきたのかと思うと馬鹿馬鹿しかった。自分でそう思うのだから、彼がそう思うのだって仕方ない。

だから、私はきっとここへ来るべきではなかったのだ。

「アタシはもう、貴方の隊長じゃないッスよ」

迷いのない声で、彼が最後の一言を突き刺した。それで十分だった。

「……っお邪魔しました」

一度も振り向けないまま、私はその場を駆け出した。目の前の扉は開け放たれていたし、道は真っ直ぐに伸びていた。どこへ向かうかなんて、考えてもいなかった。

一歩外へ出ると、容赦なく太陽が照らしていた。空は真っ青で、雲もない。ああ、私はこういう日が一番苦手なのに。くらくらするような頭でぼんやり思いながら、ただ足を動かした。蝉の声が五月蝿いくらいに響いている。時たまどこかの家の風鈴の音が聞こえる。平和な、現世の街。そこにいるはずなのに、まるで別世界のようだった。

「……イ、オイ桜木谷!」

名前を呼ばれたことに気がついたのは、前も見ずに走っていた私が何かにぶつかったのとほぼ同時だった。こんなふうに、百年前浦原隊長にぶつかったことがあった。彼と最後に会ったときだ。あれから、百年も経ってしまったのだと今更のように思った。跳ね返されるように後ろによろけた私の腕を掴んだのは、彼ではなくて班目さんだった。

「どうしたんだよ、呼んでも気づきゃしねぇし」

彼は私の腕を掴んだまま、困惑したように眉を寄せた。その頭に照りつける光が反射して眩しい。だから、きっとそのせいだ。

「あの人と何か、」
「……っふ、」

込み上げてきた嗚咽を、止める術なんて持っていなかった。むしろ、あの人の前で泣かなかったことを褒めて欲しい。そんなことを言ったら、彼は呆れるだろうか。

「……っ、ぅ……っ」

ボロボロと零れる涙に目を瞑ると、他人事のように聞いていたあの人の言葉が次々と浮かんできた。それはどれもこれも正論で、否定する言い訳の一つも思いつかなかった。百年前に甘やかされた記憶しかなかった私は、その強い声音だけで竦むことしか出来なかった。

『ちゃんと自分の目で見てくるといい』

浮竹隊長の言葉が、不意に脳裏を過ぎる。

結局、私は必要なかったのだ。足手纏だから置いていかれた。要らないから置いていかれた。そう分かっていたのに、変に期待してこんなところまで来て。この花だって、何の意味もなかったのだろう。『また会う日を』なんて勝手に勘違いして、信じていた。馬鹿みたいだ。

―――ずっと考えていた。私の百年は、意味があったのか、と。

「……っ、悪ィ」

躊躇いがちに背中に手を回されて、彼の胸に抱き寄せられた。泣きじゃくる私はされるがままにそこに額を寄せる。死覇装越しに感じる温もりが恋しかった。

「余計なことした。……悪かった」

いつもの班目さんからは考えられないような悲しそうな声が頭上から降ってきて、そんなことはないのだと否定したかったけれど嗚咽に飲まれて声が出ない。代りにぎゅっとその死覇装を掴むと、答えるように抱き寄せる腕に力が篭った。真夏の太陽がジリジリと灼く世界で、彼の体温だけが私の感じる温度だった。それが何だか切なくて、余計に涙が零れた。


―――私の百年に、意味なんてなかったのだ。


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