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ずっと探していた物語の結末


真昼の住宅街の隅、電信柱の前に寄りかかるでもなく立ち尽くす私の姿は、見える人がいたならきっと不思議な光景に映っただろうと思う。そこは丁度日も陰っていて、昼間だけれどほんのり薄暗かった。遠くの道をたまに車が通るのが見える。蝉の声が五月蝿く響いていて、残暑の厳しさはこちらも変わらないのだとぼんやり思った。それ以外の音も動くものも、見えなかった。

どうして、あの人のことになるとこんなふうに竦んでしまうのだろう。後悔しないように、と頭の中では考えているし決心しているつもりなのに、足は意に反して動かない。けれど、深呼吸が上手く行ったのか震えは止んでいた。後はここから歩き出すだけだ。

「…………っ」

ぱん、と両頬を叩く。気合を入れて、皆が歩いて行った方を睨んだ。

百年間立ち止まっていた。探そうと思えば出来たかもしれないのに、『また会う日を』と言ってくれた彼の言葉に胡座を掻いて自分で動かなかった。要らないと直接言われるのが怖かったから。拒絶されるのが怖かったから。そんなふうにめそめそといじけ続けて、こんなに長い時間を無為に過ごしてしまった。班目さんや浮竹隊長や色んな人に心配を掛けて、迷惑を掛けて、それでも感情だけで諦めたくないと駄々を捏ねてここまで来てしまった。

「行かなく、ちゃ」

確認するように呟いて、足を持ち上げようと力を篭めた。その瞬間だった。

進行方向、道の遠くの方で砂煙のようなものが上がったのが見えて私は思わず足を止めた。「ちょっと一角、」とか「オイ」なんて聞き覚えのある声が喧騒に混じっている、気がする。そのうちに、砂煙はどんどんこちらに近づいてその中心がきらりと太陽を反射した。この眩しさは、なんて思っている暇もなかった。すごい速さで私の目の前まで駆けてきた班目さんは鬼の形相だ。何が、と聞く気も萎んで口をぽかんと開けていると、「行くぞ、」と彼が一言吐き捨てた。ああ、この感じはいつかの隊舎であったあれだ。固まっている私を俵のように肩に担ぎ上げると、彼は再び元きた道を全力で駆け戻っていく。

「……っ、まだらめ、さ」
「ふざけんなお前どんだけ時間かかってんだよクソ!」
「すみませ……っ、でも、」
「あの人もあの人だっての。お前の名前出してもぴくりともしねぇ!」
「あの、」
「なぁにが『また懐かしい名前っスね』だよ!ちったあ動揺しろ!」

後ろ向きに抱えられた私は、過ぎ去っていく景色の中に乱菊さんらしき姿を見た気がしたけれど当然話す暇もなかった。班目さんは班目さんで一人ブツクサ文句を言っているだけで、私と会話してくれる気はないらしい。それでも、彼が話している内容が誰のことを言っているのか理解できて反射的に涙腺が緩みかけた。慌てて口を引き結ぶと、後ろ向きの景色がどこか別の路地に出たのが分かった。そこで漸く班目さんは一度歩みを止めた。

「班目さ」
「行くぞ」

肩口の死覇装をきゅ、と掴むと彼が呟く。その声はもう駆けている時の苛々したそれではなくて、ただ静かで、それが不安にしか思えなかった。あの、と声を上げたけれどそれは黙殺されてしまった。

「おやァ?班目サン。忘れ物ッスか?」

扉を開ける音はしなかったから、多分開け放された店舗なのだと思う。辺りが日陰よりももっと濃く陰って、それで屋内に入ったのだと理解した。と同時に、後ろ向きの私の目にも開いたままの古いガラス戸と並ぶお菓子が目に入った。駄菓子屋さんなのだろう、と思った瞬間、背後から響いた声に私は瞬きを忘れた。

「忘れ物っちゃ忘れ物っすね」
「また、変わったものを抱えてますね」
「こいつ足遅いんで嫌になりますよ本当」

ハァ、とわざとらしく息を吐いた班目さんの言葉は刺々しい。けれど、そんなこと気にも止めていないような口ぶりで彼は話を続ける。その声を、私は知っている。

忘れたいと願うのに、薄れていくその声を何度も思い出しては忘れないようにと拾い続けた。人は誰かを忘れていくときに声から忘れていくんだよ、と。いつか彼が言っていたそれを思い出しては悲しくなって、より一層忘れないようにと祈り続けた。それでも時間が経ちすぎて、私が覚えている彼の声が本当に彼のものなのか分からなくなってしまった。それが尚悲しかった。

抱えていた私を、よっこいしょ、なんて今時昔話でしか聞かないような掛け声と共に班目さんが下ろす。硬直したように動けない私は、ずるずると地べたの上に座り込んだ。地べたというよりも土間だろうか。外の季節は夏で、良い天気で、なのに床と触れている下半身がひんやりと冷たい。腰を屈めた彼が、ほんの一瞬掠めるように耳元で囁いた「頑張れよ」という言葉が空っぽの頭に響いた。

「じゃあそういうことで」

何がそういうことなのかさっぱり分からないこの状況で、彼は片手を上げると再び走って行ってしまった。その背中を、私は呆然と見送っていた。目立つ黒の死覇装は、すぐに砂埃に紛れて見えなくなった。

「何が『そういうことで』なのかさっぱり分かんないッスねェ」

背後の声が全く困ってもいないような風に笑った。その声が、記憶にあるそれよりもほんの少し低くて、私は振り向けなかった。

辺りに聞こえるのは蝉の声と室内で回される扇風機の音だけだった。暑い中長い間立っていたせいか、滲んだ汗が今更こめかみを伝っていく。微かに蚊取り線香の匂いがする。じりじりと太陽で灼ける地面が遠くで陽炎を作っている。破裂寸前の頭の中とは裏腹に、どこか冷静な私がそれをぼんやり見ていた。ああ、夏だ。

「さて、と」

その人が、私に視線を向けたのが振り返らなくても分かった。ぴくりと肩を揺らした私を笑うでもなく、彼は冗談のような普通さで言った。

「お久しぶりッスね、香波サン」

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