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そこに私の名前は無かった


「………え、」
「檜佐木副隊長、今…何て……」

凍りついた場に、一言二言が零れる。考えて言った言葉などではなくて、本当に反射から出た言葉のようだった。副官の言葉を聞き返す、ということは無礼に当たるのかもしれないけれどそれはこの場にいる誰もが思っていることで、実際に口にしたのはほんの数人だったとしても、それが誰かなんて分からないほど皆が同じことを思っている様子だった。そして私も、その一人だった。

「藍染隊長が亡くなった」

そんな静かな執務室で、檜佐木副隊長は再び同じ言葉を繰り返した。その声は困惑したような音でこそあれ、偽りや冗談を言っているものではなかった。そうであってほしいと頭が拒否する現状を、彼は言葉ですっぱり切り捨てる。よろけたように机に手をつく者、息を呑む者、様々だ。

「今東仙隊長が遺体の確認に行っている。終わり次第、俺は合流して旅禍を探す」

戦時特例、という物を告げられたのは昨日の帰り際だった。瀞霊廷内には帯刀を禁じられている場所、斬魄刀の解放を禁じられている場所などがいくつかあるが、そこでの常時帯刀・戦時全面解放を許可するというものだった。それはこれまで百余年、護廷十三隊に所属してきた私にも初めて聞く特例だった。

檜佐木副隊長は少しの間目を伏せ、それからすぐに顔を上げる。

「阿散井がやられ藍染隊長までもが犠牲になった。未だ犯人は分かっていないが、とても平隊士に任せておける状態じゃねえ」
「…………」
「他の隊も隊長副隊長が全面的に出る。三席以下は隊舎の守りについてくれ」
「……はい」
「決して一人になるな。無理だと思ったらすぐに助けを求めろ」
「はい」

放心したような状態の隊士から、ぱらぱらと返事が上がる。檜佐木副隊長は最後に「頼んだ」と言って踵を返した。向かう先は恐らく四番隊。遺体の検分をしているという東仙隊長を迎えに行ったのだろうとぼんやり思った。

彼が姿を消すと同時に、それまで凍りついたように固まっていた執務室の空気が少しずつ溶け始めた。どうすんだよ、やべぇよ、なんて声がこそこそと小さく聞こえていて、私はその雑踏の中にぽつんと立っている。隊長も副隊長もいない状態で留守を任されるというのは、頼りにされているのだと言う訳ではなく、これ以上の犠牲を出さないためという配慮なのだろう。隊長まで出さなくとも、副隊長以下五席くらいまでの人間でいくつか班を構成すればいいのにと思ったけれど、そんなまどろっこしいことを上はしたくないのかもしれない。たった四人(と一匹)の旅禍に、護廷十三隊が手こずっているというのは対外的に問題ということだろう。

ちらりと見ると、三席は少し戸惑っているようだが覚悟は決まっている様子だった。この場に於いて一番席順が高いのは彼で、四席の私含めそれ以下の者は彼に従う形になる。とはいえ、昨日の時点で既に隊舎の守備については班分けと担当が決められていた。彼はそれに則って指示を出すのみで、イレギュラーがない限りは特別な判断はいらないはずだ。

「静かに」

ざわざわと密やかな声に満ちていた室内に、三席の声が響く。それで場はすぐに静かになった。

「昨日の班分けに則って、各自守備についてください」

その一言で、気持ちが切り替わったのだろうか。返事と同時に全員が動き始めて、広い部屋から次々と人が出ていく。いくつかの隊を異動したけれど、九番隊ほど統制のとれた隊はないのではないか、と私は思っていた。隊長副隊長の人格がそうさせるのか、そういう者を選んで連れてきているのかは定かではない。ただ、思い返せば前隊長のときもそんな感じだった気がする。ああ、けれど彼も行方不明になってしまった一人だったか。思い出して、私は一人顔を顰める。

「桜木谷四席」
「はい」

呼ばれて慌てて顔を上げれば、三席が真剣な顔で立っていた。既にほとんどの者が執務室からいなくなっていて、私と彼の二人しか見当たらない。

「ここに居てもらえますか。念の為、不備がないかぐるっと回ってきます」
「かしこまりました」
「よろしくお願いします」

真面目な彼はきっちり一礼して、駆け足で執務室を出て行った。一人残された私は手持ち無沙汰で、けれど座ることも動くことも気が引けてその場に立ち尽くした。無意識に両手を前で合わせて、祈るように握る。

隊長副隊長が不在の場合、三席から五席までの三人は下位席官及び一般隊士に指示を出す立場になる。誰か一人は必ず執務室に居て、すぐに判断を下せるようにというのが決まりのようなものだった。そうして今その役目を預かっているのが私ということだった。

「………!」

剣戟のような音が聞こえた気がして、私は耳を澄ませた。すぐにそれが音ではなく霊圧だと気がついて身を竦める。一番出会わないで欲しいと願っていた。間違いなくこれは更木隊長のものだった。
旅禍は、と探ろうとしたけれど、更木隊長のそれが大きすぎてかき消されている。けれど、何もない場で更木隊長がここまで霊圧を開放するとは思えなかった。相手が萱草色の髪の死神かは分からないが、少なくとも何者かとの戦いに際していることは間違いなかった。

ふ、と別の場所で大きな霊圧を感じて、意識を逸らす。

「京楽隊長……?」

対峙するのは二つの霊圧。片方は京楽隊長で、もう片方は少なくとも阿散井副隊長と戦った相手ではないようだった。京楽隊長は本気を出していないのか、意識を凝らさなければ霊圧を感じ取れない。対して相手は恐らく本気なのだろう、異質だけれど大きな霊圧を感じる。
隊長格の本気というものを見る機会はほとんどない。それを踏まえずとも、この程度の相手ならば京楽隊長が負ける可能性はなかった。小さく息をついて、私は改めて更木隊長へ意識を戻す。

旅禍の霊圧は戸惑うように揺れていて、更木隊長に対して動揺していることが分かった。そもそも昨日阿散井副隊長と戦ったばかりなのだ。重傷を負って倒れた彼と同じくらい、旅禍も傷ついているはずだった。それからまだ一日しか経っていない。回復役がいるのかは分からないが、どんなに優秀なそれが居たとしてもすぐに隊長格と戦えるはずがなかった。

『頼んだ』

耳につい先程の檜佐木副隊長の声が蘇って、私は握りこんだ手に力を篭める。
何も知らないまま、分からないまま、誰かが傷つくのは嫌だった。最後に何もかも手遅れになってから知らされるのは、二度と御免だと思った。
けれど、今の私はこの場を託されている。私は、もう十二番隊の五席ではない。九番隊の四席なのだ。

「……旅禍……」

どうか、生き延びてほしい。祈るように、私は頭を垂れた。

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