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私は私の心のままに


この三日で旅禍・護廷十三隊共に大きく戦況が変化した。
更木隊長、涅隊長の敗退と、京楽隊長、東仙隊長、浮竹隊長の捕らえた三名。うち浮竹隊長の捕らえた旅禍は厳密には外部からの侵入者ではなく流魂街の住人だったそうだけれど、詳細までは下りて来なかった。瀞霊廷側は二名の隊長格が敗走しているとはいえ、隊長だけでもまだ十人いる。対して旅禍は行方不明の女一名と、恐らく萱草色の髪の死神のみ。絶望的な状況だった。

毎日、檜佐木副隊長は東仙隊長と早々にどこかへ行ってしまう。残された私達席官は、隊舎及び瀞霊廷内の守護という名の体のいい雑用だった。とはいえ、隊舎にいる者はともかく外へ見回りに行く者が全く危険でないわけではない。いつ旅禍と遭遇するか分からないという緊張感と、それでも隊長達が何とかしてくれるだろうという他力本願な安堵感の両方を、私達は手にしていた。


そして、その日はやってきた。


『朽木ルキアの処刑執行時刻が変更になった』

昨日隊舎に帰ってきた檜佐木副隊長が、複雑な顔でそう告げた。流石におかしいと思い始めた隊士達にざわめきが広がった。密やかな喧騒を裂くように、彼が言った時刻は『明日正午』。
その変更は、間違いなく有り得ないものだった。過去に例のあるはずもない。刑を執行される罪人側に立っても、執行人側に立っても、それは急過ぎる変更だ。明らかにおかしい、と誰もが思ったはずだった。けれどそれが中央四十六室の決定である以上、覆すことは例え隊長であっても不可能だった。だから、それを大声で言う者などいなかったのだろうと思う。

―――阿散井副隊長は、どうしているのだろう。

隊舎の守護についている私は、今は持ち場に立ち尽くしている状態だった。旅禍の殆どは捕らえられている。牢は怪我をしている彼らを慮ってか四番隊近くだった。例えば捕らえられている仲間を助け出そうとやってきたとしても、それはここではない。この場で旅禍と交戦する可能性は、ほぼ無いと見て間違いないだろう。

昨日檜佐木副隊長は、朽木さんの処刑時刻変更以外にもう一つ険しい声で『報告がある』と言った。一人勝手に旅禍と戦い敗北した阿散井副隊長、そして理由は分からないが大聖壁前で斬魄刀を解放し交戦した雛森副隊長と吉良副隊長の三人が、それぞれ収監されていた各隊牢から脱獄した、というのだ。彼らが自隊の牢番を傷つけてまで脱獄した理由が判明しない以上、どこで何をするか分からない。発見し次第報告してくれ、というのが檜佐木副隊長の話だった。

「…………」

近くに時計がないので正確な時刻は不明だが、太陽の位置から察するに正午まであと何時間というところだろう。私のいる位置からは双極の丘を視認することはできなかった。隊長や副隊長はもう既に隊舎を出た後のはずだ。動き始めたその流れを、今更止められないことを嫌という程理解している。

「……何が、『もう嫌だ』だ」

独りごちて、私は拳を握った。最早たかが一席官がどうにかできるレベルなどとうに超えている。この戦いに於いて私が出来ることは、旅禍と戦うことでも真実を探すことでもなく、ここで大人しく隊舎を守ることのみだった。それが私の、九番隊第四席として与えられた責務だ。それを言い訳に動かない自分が、堪らなく嫌だった。

朽木さんを命を懸けてでも救いたいと思えるほど、彼女との接点があったわけではない。あの日無理をして笑った阿散井副隊長を、助けたいと思えるほど彼と親しかったわけではない。立場と部下を捨ててまで、見ず知らずの旅禍を探し出そうとも思えなかった。
それでも震える手のひらを、固く握ってやり過ごすことしか出来ない自分は、百年前から一歩も前に進めていないのだ。

「………!」

握り締めた手に更に力を篭めた瞬間、ぞわりと背筋を撫でられるような感覚に私は目を開いた。反射的に顔を上げてその場所を探る。双極ではない。それよりももっと隊舎に近い。けれど巻き込まれるほど近いわけではなかった。数は4、5、6……まだ多い。その中に覚えのある霊圧を感じ取って、眉を顰めた。

「東仙、隊長……!」

把握できたそれは8つ。中でも大きいのは、東仙隊長、狛村隊長、そして更木隊長の3つ。特に、ざわつくような更木隊長のそれは桁違いだった。敗走したという話を聞いてから未だ三日。暫くは動けないだろうと思ったのに。心中で舌打ちしながら私は意識を凝らす。
同じ場にいるのは恐らく檜佐木副隊長、射場副隊長、やちるちゃん、班目さん、綾瀬川五席の五人。それ以外に薄く感じるのは知らない霊圧だった。どちらかの隊士か、ひょっとしたら旅禍かもしれない。何人か捕縛したという話だったけれど、更木隊長が萱草色の少年と再戦するために解き放ったという可能性はなくもなかった。だとしたら厄介だ。

―――そんなことをして、東仙隊長がそれを許すはずがない。

恐らく十一番隊対七・九番隊の形になる。朽木さんの処刑を前にして、旅禍相手でもなく護廷十三隊内の決裂だなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。

「……っ桜木谷四席!」

突然呼ばれた大きな声に、私は反射的に振り向いた。その姿を探すまでもなく、彼は私に駆け寄ってくる。この時間未だ執務室にいるはずの三席だった。

「東仙隊長と檜佐木副隊長が、十一番隊と交戦し始めた模様です」

慌てて来たのだろう、息を切らしながら彼が言った言葉に私はその方角を振り仰ぐ。静かに、けれど密かに広がるように、その大きさを増したこの霊圧は、間違いなく東仙隊長の閻魔蟋蟀だ。東仙隊長は、本気だった。

「他の隊員は」
「近辺からは既に退避しています。距離があるのでこちらに影響はないはず」
「……そうですか」
「桜木谷四席、行ってください」

唐突な三席の言葉に、私は目を見開いた。彼は真剣な瞳で私を見つめていて、この状況を考えなかったとしても冗談を言っているようには見えない。何を、と唇だけで聞き返すと、彼は再び同じ言葉を繰り返した。

「行ってください。申し訳ないけど、俺はここを預かっているから行けない」
「しかし、」
「更木隊長相手です。檜佐木副隊長や狛村隊長がいるとしても、何が起きるか分からない」
「…………」
「隊長を支えてください」

頼んだ、と、数日前の檜佐木副隊長が言った声を思い出した。私は他の席官と同様、ここを託されている。勝手に動くことは副隊長命令違反になる。そう思って、この何日かを立ち尽くしてきた。その間に、旅禍は捕らえられ何人かの隊長と隊士が傷つき、そうして今日、朽木さんは処刑される。

『だぁーいじょうぶだいじょうぶ!』
『すぐ戻ります』

そう言って、貴方がいなくなって百年。

「桜木谷四席、お願いします」

私は拳を握った。足を止める理由は、もうなかった。

「はい」

三席に一礼して、私はその場を駆け出す。目指す場所からは既に散り散りに霊圧が動き始めていた。

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