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うそとほんとの中心点


ぶつかり合ったのは一瞬の出来事だった。丁度九番隊の隊舎を出て本格的に走り出したところで、その瞬間私は顔を顰めることしかできなかった。ここから懺罪宮までは少し距離がある。今から行って間に合うはずがない。
あれほど大きかった二つの霊圧が、急速に萎んでいく。瞬きの間に、それはほとんど感じられないほど小さくなってしまった。どちらが勝利したのかはわからないけれど、どちらにしてもほぼ相討ちに近いようだった。旅禍は、一人だろうか。

「…………」

他の霊圧はまだ感じられなかった。例えば誰か、戦っていた二人よりも強い人物が両成敗したというような状況ではないはずだ。急がなければならない。遠くにいた私が感じるほどの霊圧で、しかも阿散井副隊長のものとなれば放置されるはずがなかった。

道を走るのが億劫になって、屋根の上に飛び乗る。曲がり角を全て無視して、瓦の上を走った。白い塔を視界の真ん中に捕える。感じた霊圧は懺罪宮より少し手前だった。

風に靡いて括った髪の毛が背に落ちた。まるであの日のようだ。百年前、こうして無我夢中で駆けた十二番隊の隊舎を思い出して自然と眉間に皺が寄る。縁起でもない、と唇だけ動かした。

「………!」

白くて高い建物に囲まれたそこは、普段過ごす町並みとは全く違って私は息を止めた。まるで雪景色のようなのに、雪よりも冷たく無機質に見える。察知したのはこの辺りだったはずだけれど、細かい位置までは捕捉する前に途絶えてしまったから、ここからは足を使って探すしかない。と、そこまで考えて少しスピードを抑えた途端、小さな霊圧をいくつか感じとって私はそちらへ急いだ。

「……っ吉良副隊長!」

すぐに何名かの部下を引き連れた吉良副隊長の背を見つけて、思わず声を上げる。彼は私を振り向いて驚いたように目を開いた。立ち止まった彼らの近くに、阿散井副隊長の姿も見つける。むわっとするほどの血の匂いを吸い込んで、私は足を止めた。

「桜木谷四席、何故ここに」
「阿散井副隊長の、霊圧を感じて」
「……僕らも、間に合いませんでした」

沈痛な面持ちで吉良副隊長が俯く。彼の部下達は担架を取りに行ったらしい。辺りは風の音しかしない。旅禍の霊圧も痕跡も、見当たらなかった。
私は阿散井副隊長の横に膝をついた。傷は大きく一太刀。旅禍の特徴の中にあった『身の丈ほどの大刀』という言葉が過ぎる。タフな阿散井副隊長を切り伏せただけあって、決して浅くはない。ただ、どうやら致命傷ではないようだった。上手く急所を避けているのは、偶然なのか旅禍が狙ったのか。

私の技術ではこの傷は直せない。せめて止血を、と思ったけれど、それに関しては既に吉良副隊長がやってくれた後のようだった。そういえばこの人は何年か前は四番隊の所属だった気がする。ならば私が下手に手を出さない方が良いのだろう。

「……どうして、」
「僕にも分かりません」

小さく呟くと、吉良副隊長が静かに言った。その声に後悔や自責の念を感じて、私は口を閉じる。

「最近、朽木女史のことで悩んでいたようだったから……」

続いた言葉に、目を伏せるしかなかった。

旅禍は、朽木さんを助けに来たのではないか、と思っていた。檜佐木副隊長に彼らの話を初めて聞いたときから、私の中にあった予感だった。阿散井副隊長の言った『もしかしたら』の続き。旅禍ならば、様々な尸魂界の柵を切り捨てて朽木さんを助け出せるのではないか。
彼は朽木さんを死なせたくない。けれど、朽木隊長を含め尸魂界の全てを敵に回しても彼女を救い出すなんて不可能だということを、彼は知っている。

担架を抱えた三番隊の隊士が戻ってきて、私は立ち上がった。何歩か後ろに退ってその作業を見守る。彼らはきっとこの後総合救護詰所に向かうだろう。私にできることなどこの場にはない。

「僕も行きます。雛森くんも心配していたから」

報告しなければ、と言って吉良副隊長も顔を上げた。私は軽く頷いて、担架に乗せられる阿散井副隊長に目をやった。大きな傷はあまりに赤く痛々しくて、何もできない自分がどうしようもなく歯痒かった。

「……私も、隊に戻ります」
「……ありがとうございました」
「いえ、私は結局何も出来ませんでした」
「それは僕も同じです」

苦笑するように眉を下げた吉良副隊長は、一礼して踵を返した。その背に、私はあの、と声をかける。振り向いた彼に、大きく頭を下げた。こんなことを私が言うのはおかしいと思ったけれど、言わずにはいられなかった。

「阿散井副隊長を、よろしくお願いします」

吉良副隊長は、はい、と一言笑ってくれた。


一人残された白い廃墟で、一箇所だけ赤く染まった床の前に私は立っている。阿散井副隊長が今まで倒れていたそこは、もう既に血が乾き始めていた。光沢のない赤褐色に触れると、ほんのり彼の霊圧を感じる。血液と一緒に流れ出したものがこびりついているのか、微かではあるけれど確かに阿散井副隊長のものだと分かった。
そして。

「…………」

もう一箇所、破壊された建物の中から這い出てきたような血痕。ポタポタと垂れるそれは既に完全に乾いている。そっと触れて、私は目を閉じた。爆発するように大きくなったあの霊圧だ。残っているのはほんの少しだけれど、確かに感じ取れる。

旅禍が朽木さんを助けに来たのなら、阿散井副隊長は何故彼らと戦ったのだろう。副隊長としての責だろうか。でも彼は副官章をしていなかった。檜佐木副隊長も吉良副隊長もしていたのに。
それでも阿散井副隊長が旅禍と戦った理由は、旅禍の目的が朽木さんではないからだろうか。

ふっと息をついて、私は立ち上がった。何となく膝を叩き砂を落とす。パラパラ落ちていく白いそれは、すぐに床と同化して見えなくなった。

理解できないことばかりで、頭が破裂してしまいそうだった。

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