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残念ながら未だ、


その日尸魂界内に旅禍侵入の一報が駆け巡った。
いつものように時間ちょうどに隊舎に着き、時間ちょうどに仕事を始めていた私は口々に噂される話をぼんやりと聞きながら眉を顰めていた。旅禍が入るだなんて滅多にあることではない。尸魂界に住まうのは死神だけではないが、基本的に死神が導いてやってくるものだ。導きなしに侵入する方法など―――しかも今回はそれが人間だと言うのだから霊体ですらない―――想像もできなかった。少なくとも私が護廷十三隊に入隊してからはそんな話は聞いたこともない。

旅禍は禍を招くという。不吉の象徴とされているが、百年前のあの前後だってそんなものは現れなかったのだから、ただの迷信とも言える。けれど、彼らは未知数だ。どうやってか分からないが人間の身でこの尸魂界に侵入し、目的も能力も不明。不吉とは言わないまでも、彼らの存在が何らかの影響を及ぼさないとは言えなかった。

「(……とはいえ)」

私は溜まった書類を束ねてとんとんと端を揃えながら、横目で副隊長を見やる。檜佐木副隊長はいつになくカリカリしている様子で、いつもならばさりげなくフォローを入れてくれる東仙隊長も現在は席を外していた。仕事を片付けながらも彼が気にしているのは間違いなく旅禍のことのようだった。

そのニュースによって、護廷十三隊は多少混乱していた。瀞霊廷内への警護の強化や見回りに人員が割かれ、副隊長はこの後集合を呼びかけられている。隊長も恐らくはその件で留守にしているのだろう。それは間違いなく大きなイレギュラーで、ここ何十年かはなかった緊張感だった。
けれど、そのおかげで私が乱菊さんの追及の手を逃れているのもまた事実だった。

「…………」

書類をぼーっと見つめながら、小さく息をつく。一晩眠って落ち着けば、昨日の私がどれだけ取り乱していたかというのを客観的に見ることが出来た。
あの後乱菊さんは電源を切ってしまった私の伝令神機に何度もかけ直してくれたようで、今朝目が覚めてから何気なくつけてみると何件もの不在着信が入っていた。それを見た瞬間の感情を何と言ったらいいのか分からない。

無事で良かった、と言ってくれた彼女の言葉を私は撥ね付けてしまった。考えてみればお礼も言わなかった。迷惑をかけるだけかけて振り回して、そのまま放り投げてしまったのだ。それを謝罪する言葉なんて思いつかなかった。けれど、どこか安心している自分もいる。

「桜木谷」
「はい」

副隊長に声をかけられて、私は席を立った。
乱菊さんは彼に何も言っていないようだった。朝方出勤する際に心配していたのは檜佐木副隊長からの追及と乱菊さんの特攻だったが、副隊長はいつもどおりでどこも変わらなかった。しかも早いうちに旅禍の知らせが入ったため、乱菊さんについても心配する必要はなくなっていた。
それにほんの少しほっとして、ほんの少し申し訳なかった。

「旅禍の件だが」
「はい」

副隊長の机の前に立てば、眉間に皺を寄せて副隊長が一枚の紙を差し出す。ちらりと見れば、侵入した旅禍の特徴が書いてあるようだった。もうこんなものが出回っているのか。隠密機動の仕事の速さに私は感嘆する。

「そこに書いてあるのは第一報でまだちゃんとした情報じゃねぇんだ」
「そうなんですか」
「とりあえず目撃した者の話を総合したってことみてぇだな」

険しい顔で彼はその紙を示していった。

「どうやら連中は四人組。猫を連れてたなんて情報もあるらしいがまぁ、それはどっちでもいい」
「はぁ」
「男三人女一人。それぞれ現世の物らしい変わった服装をしている」
「……本当に人間なんでしょうか」
「生身の人間は尸魂界には入れない。何らかの技術を用いて霊子体になっているはずだが、そんな技術こっちだって技術開発局にくらいしかない」
「そうでしょうね」
「普通の人間だとは思えねえが…」
「………」

変換器というものの存在を聞いたことがあった。大昔の話だ。恐らくまだ私が十二番隊にいた頃の。私は目を細める。
それを用いれば人間を霊子に変換して尸魂界へ送り込むことができる。けれどそもそも死神含め尸魂界に存在する物質は全て霊子で出来ている。こちら側の人間がそれを使う機会などは通常ない。

「重要なのはもう一点、ここだ」

檜佐木副隊長は書類の一番下を示した。

「萱草色の髪の死神……?」

読み上げて、私は眉を顰める。護廷十三隊は大きく膨大な人数の死神が所属しているが、萱草色というのは見たことがなかった。目立つ色なだけに馴染みのない。髪の色ともなれば尚の事、一度見ることがあれば印象に残っているだろうに。
檜佐木副隊長を見れば、困惑したような怪訝そうな表情を浮かべて眉間に刻まれた皺を深くしていた。

「そんな奴こっちにはいないはずだ。これに繋がる報告書が、」

こっちだ、と彼が持ち出してきたのは見覚えのある書類だった。それはあの日、朽木ルキア極囚についての報告を受けた時に彼が持っていた書類だった。何枚か束ねられたうちの一枚を、彼は小声で読み上げる。

「『死神としての霊力譲渡及びその消失』」
「!」
「朽木の回収は恋次と朽木隊長が行った。報告ではその譲受者は鎖結と魄睡を砕かれたって話だったが」
「もしその人間が生きていたら」
「死神から力を譲渡されて死神になるかは知らねぇが、ない話じゃない」

私は口元に手を当てる。だとしたらその人間は死神になったばかりということになる。それが可能かどうかはともかくとして、そう仮定した場合、その人間の目的は何か。もしかしたら、朽木さんに関わることではないか。
複雑な表情で笑ってみせた阿散井副隊長の顔が過ぎって、私は目を閉じた。そんな風に笑う人を見るのはつらい。けれど。

「まぁそこまでは話さなくていいんだけどな。とりあえず、旅禍の特徴皆で共有しといてくれ」

深刻になった空気を吹き飛ばすように明るい声を出して、檜佐木副隊長が私の肩を叩く。ぴくりと目を開けて、私は彼を見上げた。小さく頷くと、彼は息をつきながら苦笑してみせた。

「じゃあ、俺は二番側臣室に行くから」

何かあったら呼んでくれ、と残して彼は執務室を出て行った。後にはぼんやりと立ち尽くす私と、旅禍の侵入に興奮を押さえられない席官の皆さんたち。

「…………」

私は息をついて、とりあえず誰がいるのかを確認した。三席は今日非番だったはずなので、手近な五席に声をかけるため踵を返した。そうしながら、頭の隅で思うのは朽木さんのことだった。

構わないで、といった私が彼らに近づくのは気が引けた。

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