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「言い訳ばかりしてる」という言い訳


何かが鳴る音で私は目を覚ました。ぼんやりとした視界に数回瞬きをして、身を起こすと畳の上だった。布団も敷かずそのまま眠ってしまったらしい。ふっと息をつくと、湿っぽい頬が引き攣るような感覚があった。
すっかり日が落ちて暗くなった部屋に、その音は鳴り響いていた。鳴り止まないそれの在り処を探すと、文机の上に置いてあった伝令神機が光っている。私は重い体を引きずってそれを手に取った。画面に無機質な文字で『松本乱菊』と表示されている。少し迷って通話ボタンを押した。

「香波!?」
「……はい」

途端に飛び込んできた大きな声に、私は伝令神機を耳から離す。距離があっても聞こえるほどの声で、彼女は何かまくし立てていた。私は苦笑しながら、すみません、と呟く。暫くすると、落ち着いたらしい向こう側から溜息の音が聞こえた。

「一角に何言われたの?」

核心に迫るその言葉に、口を噤む。眠りに着く前に夕焼けを思い出して鼓動が早くなった気がした。
あの後、無我夢中で駆け出した私はどこをどう通ったのか、いつの間にやら自室の前に立っていた。部屋に入り扉を後ろ手に閉めて、ぺたりと座り込んだところまではぼんやりと覚えている。そこから記憶は途切れて、先程この音で目を覚ますところに繋がっていた。夢を見ていたように思うけれど、それが夢だったのか私の回想だったのかは分からない。

「……私が、選択肢を間違えたんです」

声は寝起きで掠れていた。乱れた前髪を掻き上げながら、私は窓の外に目をやる。明かりのない部屋の中は真っ暗だった。窓の外の空にも既に星がちらほら見える。どんなふうにかは思い出せないけれど、暫く眠っていたらしい。あの後やちるちゃんを連れ戻した乱菊さんはきっと私がいないことに驚いただろう。班目さんは何と言ったのだろうか。

「選択肢って何よ、何のこと?」
「何も言わずに帰って、すみませんでした」
「そんなことはいいの。あんたが好き好んでそんなことする奴じゃないのは知ってるつもりよ」

真剣な彼女の声に、はは、と乾いた笑いが漏れた。まともに話すようになってからまだ一月も経っていない私の何を持ってそんなふうに言い切れるのだろう。私がそういう人間じゃないと、どうして断じれるのだろう。私にだって、否定できないのに。

「……一角が謝ってたわ。悪いことを言ったって」
「班目さんのせいじゃ、ないですよ」

その様子だと班目さんは私が何を話したのか、私が何から逃げ出したのか、乱菊さん達には言わなかったようだ。そういう意味では彼らしい、なんて思いながら、私は目を伏せる。負けて駆け出した私が悪いに決まっているのに、彼はそんな風には言わないのだろう。伝令神機を握る手に、力が入った。

『お前馬鹿だろ。そんなの、』

きっと皆、同じことを言う。当たり前だ。私が班目さんの立場でも、同じことを思うだろう。自分でもそう思うのだから、どうして彼を責められるだろうか。けれどあの時私は、それを受け入れられなかった。頭では理解しているのに、感情が撥ね付けてしまった。

「…………」

乱菊さんは暫く黙っていた。私はもう一度謝ろうと口を開きかけて、途中でやめる。謝るくらいならするなと言われてしまえばそれまでだった。そんな風に考えてから、口元に苦笑が浮かぶ。彼女がそんなことを言わないということを、私はとっくに理解してしまっていた。

「……まぁとりあえず、」

少しして、息を吐く様に彼女が呟いた。その声は最初の勢いが嘘のように、静かで優しい音だった。真っ暗な部屋に灯る人工的な光のように、それは私の耳に触れて温かく照らす。

「あんたが無事なら良かったわ」

そこで初めて私は、心配をかけていたのだという事実に思い至った。
何かを言おうと思って唇を開いたのに、何も思いつかなくて結局また噤んでしまう。同時に叫び出したいような焦燥感が溢れて俯いた。このまま消えてしまいたいような衝動だった。

『そんな顔しないでくださいな』

唐突に彼の声が蘇って、私は眉を顰めた。今の私を見たら彼は何と言うのだろう。そんなこと考えたくない。全て消してしまいたい。

「……私に、」

絞り出すように呟いた声は、闇に溶けていくように小さい。この何もないだだっ広い部屋の中心では響くこともなかった。それでいい。私の声も気持ちも全て、溶けてしまえばいい。温かなものを手放せないと思う甘さも、必死に縋り付く彼の思い出も。けれど私はもうそんなこと出来ないって知っている。

「私に、もう構わないでください」

それは私の精一杯の叫びだった。彼女達が離れてくれれば、私はまた今まで通りの生活に戻るだろう。起伏なく異常なく、平らな道に戻れるだろう。

乱菊さんが何か言おうと息を吸い込んだ音が微かに聞こえた。その前に、耳を塞ぐように伝令神機の終話ボタンを押した。

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