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ティースプーン一杯の優しさを


朽木さんの詳細が各隊長副隊長宛に降りてきたのは更に数日後のことだった。
その日私はいつものようにデスクワークに勤しんでいて、机の上に積まれた白い山を減らすことしか考えていなかった。意識してみれば私に回ってくる仕事は私が比較的得意なものが多くて、檜佐木副隊長と共に仕事を回して下さる東仙隊長にも頭が下がる思いだった。周りを見ないようにしていた私はこんなことにすら気づかなかったのだと、そう振り向かざるを得ない。

「報告がある」

執務室の扉を開けて早々、檜佐木副隊長が口を開いた。その一言で私を含め全ての席官が手を止め、彼を振り仰ぐ。こそりとも音を立てず静まり返った部屋に、遠くの隊の喧騒が小さく聞こえていた。ある種の予感を感じて、私は拳を握り締める。副隊長は一通り室内を見回すと、眉を顰めて一段と険しい表情を浮かべた。

「行方不明だった十三番隊朽木ルキアが現世にて発見された」

ぴくり、と思わず肩が揺れた。それが良いニュースなのか悪いニュースなのか測りかねて副隊長を見つめると、彼は私をちらりと見てそれから視線を斜めに逸らす。それだけでその情報がどの部類のものなのか理解できて、自然眉間に力が入った。しんとして音のない部屋の中に、檜佐木副隊長の低い声だけが響く。

「四十六室は此れを極囚とすることを決定。…現在六番隊隊長副隊長両名で確保に向かっている」
「きょくしゅう……?」

反射的に声が漏れて、私は口を押さえた。誰もこちらを振り向かなかったが、副隊長だけが視線を合わせてくれた。その瞳が小さく揺れていて、聞き返してしまったことを後悔させる。

「罪状は人間への霊力の無断貸与及びその喪失、そして滞外超過」

淡々と語る檜佐木副隊長の拳にも力が入っているのが見えた。誰のことを考えているのか、容易く想像が出来た。それは恐らく私と同じで、けれどたった一度関わっただけの私とは比べようもないほどの想いなのだろうと思った。そっと目を伏せて、私は落ち着かせるように自分の腕を掴む。死覇装の上から爪が食い込んで、けれどその痛みもぼんやりと遠い。

「捕縛され次第彼女は投獄され、最終的な刑の執行についてはその後四十六室が裁決する」

誰かの呼吸の音が聞こえる。誰もが密やかに息を静めているのに、私のそれもこの部屋に響いているようだった。緊張をほぐすかのように檜佐木副隊長はふっと笑みを浮かべた。それは苦笑にしかならなかったけれど、何人かが小さく息をついたのが聞こえた。

「俺らの仕事はまぁそれによって変わることもないが、念の為共有しといてくれ」
「はい!」
「以上だ」

戻ってくれ、という彼の号令で、話し始めた時と同様に空気が変わった。安堵のような表情を浮かべて手元の仕事に戻り始めた同僚達を見てから、私は立ち上がって給湯室に向かう。執務室のすぐ隣にあるそこで急須とお茶の葉を出して、すぐに沸かせるようになっているやかんの火をつけた。ちろちろと底を舐めるような赤い火を見ながら、つい今しがた聞いたばかりの副隊長の話を思い返す。

死神にとっては、霊力の貸与も喪失も大罪だ。それが真実であるならば、どんな理由があったところで言い逃れは出来ない。滞外超過も勿論罪の一つではあるけれど、その二つに比べれば大したものではなかった。

「……極囚……」

同じ言葉を繰り返すと、その重さがのしかかってくるようで私は眉根を寄せる。
極囚とは極刑を受ける囚人のことであり、極刑でしか裁けないような罪人に対して下される審判であると私は思っている。罪状を聞けば、朽木さんは確かに大罪人になるかもしれない。けれどそれが極刑に処されるほどのものかと言われれば納得は行かない。

火をつけて二、三分のやかんの口から湯気が出始めて、私は小さく息をついた。この『お湯を早く沸かす機械』は技術開発局が作成したもので、各隊に配備されているものだ。よく分からない物ばかり作っているイメージの強いそこが出した製品で一番役に立つと私が思っているのはこれだった(二番は義骸だ)。勢いよく吹き出す白い吐息をぼんやり眺めながら、技術開発局は流石だなぁなんて関係のないことを考えた。

「…………」

火を止めてやかんを持ち上げ、用意した湯呑にそのまま湯を注ぐ。急須にも同じように注いでから、そっと蓋を閉めた。カチャリ、という密やかな音が誰もいない給湯室に響いた。

四十六室という人達が私は苦手だった。
直接対面する機会など無いし、彼らの管理下にある護廷十三隊からあちらに接触することは何か大きな理由がない限り基本的に禁じられている。隊長格ならともかく例え席官であっても、一介の隊士がそれを行うことなど出来なかった。けれども彼らは私達を管理し、そして断罪するのだ。

湯呑が温まったのを確認して湯を捨て、急須をくるくると回してからそこにお茶を注ぐ。立ち上った湯気に乗ってふわりと緑茶の良い香りがした。その匂いにほんの少しだけ心が落ち着いた気がして、私は急須を置いた。ぱん、と自分の頬を両手で挟んで喝を入れる。私が動揺している場合ではないのだ。冷静でいなければ下せる判断も下せない。

「檜佐木副隊長」

自分の席に座って眉間に皺を寄せていた彼は考え事をしている様子だった。無視されるかな、お邪魔かな、なんて及び腰だった私は、すぐに振り仰いでくれた副隊長に少しほっとした。

「お茶いかがですか」
「あ?ああ、ありがとう」

盆に乗せた湯呑を差し出せば、私とそれを一度見比べてから受け取ってくれる。湯気を飛ばすように二回息を吹きかけ、彼は私の入れたお茶に口をつけた。空になった盆を抱えるように持って、私はじっとそれを見ていた。

「ん、うまい」
「それは良かったです」
「桜木谷が淹れてくれたのか?」
「僭越ながら」
「いや、丁度喉渇いてたんだよ」

助かった、と呟いて、檜佐木副隊長はもう一口とお茶を呷った。そんなに勢いよく飲んでくれるならもう少し温く淹れれば良かったかもしれない。自分で飲む時は熱いそれを少しずつ時間をかけて飲み干すためにそこまで気がつかなかった。他人にお茶を淹れるという行為が久々だった私は、次からは気を付けよう、なんて反省をしてみる。

「あーあ」

たん、と湯呑を机に置いた副隊長が、突然伸びをするように仰いだ。一歩離れた位置でそれを見てから、私は視線を下げる。溜息のようなその一言に、全てが込められているような気がした。無意味に天井を見つめていた彼は、暫くしてから先程と同じように苦笑のような笑みを浮かべてこちらに向き直った。

「……しかし、桜木谷に茶を淹れてもらえるとは思わなかったな」
「私だってそれくらい出来ますが」
「いや出来ねぇとは思ってねぇよ。お前が誰かにそうしてるとこなんて見たことなかったから」
「自分のですら水筒持ってきますしね」
「一角に自慢してやるかァ」
「何故そこで班目三席が」

一番ダメージありそうだから、なんて笑った彼の表情から少し憂いが消えた気がして、相変わらず意味も分からない私はそれでもどこかほっとした。何の解決も出来ないのだとしても、せめて少しでもその荷を背負いたかった。関わらないように関わらないようにしてきた人達に、優しくしてもらったそれを返すことができたら。そんな風に思いながら、目を細める。

「…!お前」
「はい?」

途端、何に驚いたのか檜佐木副隊長が大きく瞬いた。軽く首を傾げると、ごしごし目を擦ってから再び大きく瞬いた彼は「いや」と言葉を濁す。

「……見間違いか」
「何か?」
「いや、何でもねぇ」

つられてきょとんと目を開いた私は、その歯切れの悪い言葉に軽く眉を寄せる。けれども副隊長が何でもないと笑うので、何も言わずにおいた。では失礼します、と踵を返せば、ありがとな、と背中を追ってきた言葉に胸が温かくなった気がした。

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