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てんきあめ


十一番隊から六番隊の隊舎までは少し距離があった。早足でそれを歩ききった(というか、ほとんど駆け抜けたに近かった)私は、多少上がった息を押さえながら六番隊の執務室の前に立つ。六番隊に配属されたことのない私がここを訪ねた回数は、恐らく百年を遡っても両手で収まり切る程度だと思う。書類を回しに行くという仕事は席順が下の者がやる場合が多く、私は随分昔にそれを終えてしまっていた。母数が少ないのだから確率が下がるのも当然だ。

「……キアが……」
「……四十六室から……」

いざ扉を叩こうとした瞬間、中から聞こえた話し声に手を止めた。声音から重要な話をしているように感じて、ノックしようとしていた腕を下ろす。書類を届けるだけだ。ほんの少しお邪魔するだけだけれど、その険しいトーンがそれを許さないように思えた。困惑して、私は扉を見つめる。
中にある霊圧は密やかだったけれど、恐らく朽木隊長と阿散井副隊長のものだろうと思う。それ以外は室内からは感じられず、隊長副隊長が二人だけで話しているという事実が重かった。ちらりと聞こえてしまった四十六室という単語が更にそれを重く感じさせた。

「………」

かと言って、このままここに立っているわけにはいかない。立ち聞きだと思われても嫌だし、事実今の状態は言い逃れのしようもない盗み聞きだった。逡巡して、私は息を吐いた。意を決して、再び腕を上げる。

「おわっと!」
「!」

途端に開いた扉に、私は大きく瞬きをした。開けた張本人も驚いたように立ち止まっていて、そうでなければきっとぶつかっていたのだろうと思った。阿散井副隊長は、微妙な表情で後ろ手に扉を閉める。閉める直前、奥に無表情の朽木隊長が見えた。

「あの、」

何となく罰が悪くて、私は意味もなく二歩下がり袂を探る振りをした。険しい表情だった阿散井副隊長は、すぐに誤魔化すように笑みを浮かべる。

「お疲れ様っす、桜木谷四席」
「ご丁寧にありがとうございます。……昨日はご迷惑をおかけしました」
「いーえ!中々面白かったっすよ!」
「……皆さん同じことをおっしゃいますね」
「そんなもんすよ」

ははっと笑い飛ばしてくれた彼も気にしていない様子だった。この人達は本当に不思議な人種だ。私は曖昧に首を傾げる。それとも皆が一様に言うように、『よくあること』なのだろうか。それにしてもやはり理解できない。
適当に探すふりをしていた袂から、十一番隊に渡したように折り畳んでいた書状を取り出した。それだけで、阿散井副隊長は納得したようだった。

「檜佐木副隊長っすか」
「……よくわかりましたね」
「まぁ。意外と気ィ遣う人ッスから」

差し出したそれをちゃっと受け取って、彼は軽くそれを上に上げる。

「確かに受け取りました。わざわざありがとうございます」

あっさりと完了した任務に、私はほっとしながらも改めて頭を下げた。

「こちらこそ、ありがとうございました」

失礼します、と付け足して顔を上げると、隠しきれない憂慮を誤魔化そうとしているような、そんな複雑な笑顔を浮かべた彼と目があった。それが普段見ない表情だからか、私の心に強い印象を残した。

***

「桜木谷四席」

最後の三番隊へ向かう道すがら、角を曲がったところで声をかけられて私は顔を上げた。やぁ、と手を挙げているのは吉良副隊長で、色素の薄い顔に困ったような笑みを浮かべている。他隊の四席が実は百年前からの古株で、なんの脈絡もなく突然飲み会に現れたと思ったら泣き上戸な上に飲みつぶれたなんて、彼にとっては扱いにくいことこの上ないだろうと思う(自分で改めてまとめてみると本当に酷い)。
足を止めた私は、今日何度目かになる謝罪という名の任務を決行した。

「昨日はご迷惑をおかけしました」
「いや。もう大丈夫なんですか?」
「お陰様で。遅くまで寝かせていただきましたし」
「なら良かった」

ほっと息を吐いた吉良副隊長は、すぐに照れたように頭を掻く。ああ、何だか気を遣っていただいているようで申し訳ない。自分に非があるとわかりきっていることだから尚の事そうだった。

「お酒弱かったんですね」
「ええ、まあ。……久々に飲みましたし」
「次からは松本さんの言うことなんて無視して、ゆっくり飲めば良いですよ」
「……ありがとう、ございます」

次からは、なんて言葉を、この人も言ってくれるのか。私はほんの少し視線を下に向けて口を噤んだ。それ以上口を開くと、何か別のものまでこぼれてしまいそうだった。

「何やイヅル、香波ちゃんいじめたらあかんで」

不意打ちのように降ってきた声と頭に乗せられた手のひらに、私は慌てて振り向く。隊長、と吉良副隊長が呼んで、私は肩を固くした。この人は何故こうも毎回毎回気配なく歩み寄ってくるのか。見上げた先には表情がわからなくなるほどにっこり微笑んだ市丸隊長がいて、その大きな右手は私の頭の上でぽんぽん跳ねている。護廷十三隊の中で苦手な人物を挙げるなら、涅隊長の次がこの人になるだろうと私は思っている。

「泣きそうになっとるやん。優しくせんとあかんで」

小さく眉を顰めた私を気にせず、市丸隊長は窘めるような声音で言った。香波ちゃんは繊細なんやから、と付け足された言葉が馬鹿にされているようにも聞こえて、私は無表情で彼の手をどけた。

「昨日私がご迷惑をお掛けしたので、謝罪していただけです」
「珍しいこともあるもんやなぁ。香波ちゃんとイヅルなんて組み合わせ」
「檜佐木副隊長にお誘い頂いたので」
「あー、乱菊やろ?ええなぁ。香波ちゃん、ボクが誘っても一向になびいてくれへんのに」
「……たまたまです」

ふぅん、と含みのある声で、彼はそっと手を下ろす。私が押しのけたことに関しては大して興味がないようだった。というより、そもそもこの人は私自身に興味がないのだ。誰よりもわかりやすく私に無関心を向けるくせに、会えば必ず話しかけてくる。そうして、よく分からない構い方をして私が押しのけると、容易く退くのだ。最初に会ったときからそういう人だった。

「吉良副隊長」

埓の開かない会話をするのは苦手だった。私はおろおろと傍に立っていた吉良副隊長を振り向くと、袂から書類を取り出す。

「今日の用件は昨日の謝罪についてと、こちらの書類です」
「え。あ、ああ…ありがとうございます」
「三番隊隊長もしくは副隊長に決裁をいただくようにとのことです。よろしくお願い致します」
「何や香波ちゃん、隊長がすぐ横におるんにわざわざ副隊長に渡すん?」
「吉良副隊長の方が確実かと思いましたので」

嫌やなぁ、なんて笑っている市丸副隊長を無視して、吉良副隊長にそれを手渡した。彼は少し迷ったようだったけれど、差し出された書類をちゃんと受け取ってくれた。私は息をついて、二人に距離を取り直す。

「では、お騒がせ致しました」

頭を下げれば慌てて礼を返してくれる副隊長と、呑気に手を振る隊長。ばいばーい、なんて間延びした言葉を受ければ、溜息をつく気も起きない。私は失礼致します、ともう一言付け足すと、踵を返した。

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