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あさきゆめみし


「香波ちゃーん!」
「草鹿副隊長」

元気の良い声に呼ばれて振り返ると、小さな塊が飛びついてくる。鮮やかな鴇色が眩しい。慌てて受け止めると、体が少し後ろに傾いた。と同時に何かにぶつかる。

「副隊長、やたらめったら飛びつくなって言ってるじゃないスか」
「班目三席」
「お、つるりんも香波ちゃんに会いに来たのー?」
「ちげーよ!あとその呼び方ヤメロ!」

傾いだ私の体を支えるように背後に立った彼は、早々に額に青筋を浮かべた。振り向けない私は反り返るようにして彼を見上げる。見慣れた坊主頭。目尻に差した鮮やかな紅。フン、と憤りそのままに息を吐いて、草鹿副隊長を睨んでいた視線を私に移した。

「お前もう大丈夫なんかよ」
「昨日はどうもご迷惑をおかけしました」
「お猪口二杯とか流石に弱すぎんだろ」
「久々に飲んだもので」

寄り掛かった背中をぐいと押されれば、私の体は真っ直ぐに廊下に立つ。草鹿副隊長は変わらず首に抱きついているけれど、この人は軽いのでそこまで負担ではない。ここに来れば飛びつかれることは経験を持って知っていたけれど、霊圧を消して近づいてくるのでいつどこから襲われるかについては分かったものではなかった。身構えてはいたけれど、多少よろけるくらいはしょうがないと思う。ありがとうございます、と小さくお礼を言ったが、背後からの返事はなかった。

「えー!なになに?つるりん香波ちゃんとお酒飲んだの!?」

いいなぁー!と大きな声で副隊長が目を輝かせた。きらきらした表情は子供そのままで非常に愛らしいが、人の首に巻き付いたままゆさゆさと体を揺さぶるのはやめてほしい。私は足を踏ん張り直して、その小さな体を抱えるように押さえつける。

「あたしも香波ちゃんと一緒にお酒のむー!」
「草鹿副隊長は風紀的にまずい気がするのでやめてください」
「えー!つるりんばっかりずーるーいー!」
「飲んだところで面倒ッスよ。お猪口二杯で泣き上戸ッスから」
「班目三席、ご迷惑をおかけしたのはお詫びしますので忘れてください」

至極面倒くさそうな顔で、班目三席はそっぽを向いた。その憮然とした表情にこれが普通の反応だよなぁなんて思いながら、未だ「あたしもー!」と騒ぐ草鹿副隊長をあやす。お茶でよかったら、と溜息のように呟けば、「ほんと!?」と輝かしい双眸が私を正面から捉えた。真っ直ぐに受け止める許容量もなく、私は目を逸らしながら頷いた。子供って恐ろしい。

「………お前、」
「はい?」

漸く大人しくなった彼女を抱え直したところで、背後から怪訝そうな声が降ってきた。改めて班目三席に向かい直せば、困惑したような不可解な表情で彼は眉を寄せている。

「そんなに付き合い良かったか?」
「さあ。……班目三席以外に対しては大体こんなものですよ」
「何でこういう時ばっか一言余計なんだよお前は!」

普段は喋らねぇくせに、と憤った言葉に、私は首を竦めた。そんな風にはぐらかしもしなければ、私だってこの感情に名前を付けられない。

「つるりんも一緒に飲みたいならそう言えばいいのにー」
「ちげェって言ってんだろどちび」
「えー、うらやましいくせにー」
「だからちげェっての!」

わいわいと取り交わされる賑やかな会話の一歩外で、私はそれをぼんやりと眺めていた。十一番隊にいた頃、私は草鹿副隊長にえらく気に入られていて(恐らく数少ない女性隊員だったので)、よくお菓子を分けてもらったり一緒にお茶を飲んだりしていた。最初のうちこそ断っていたものの、そうすると「えーなんでー!?」「ねーえ、何で何で?」と質問攻めに遭い仕事もできない状態だったため断りきれなくなった為だった。その屈託ない目に私は弱くて、だから十一番隊を異動になる時は少しほっとしていたのに。

「……で?お前は何しにこんなとこまで来たんだよ」
「謝罪行脚です」
「は?」
「……半分嘘です」

息をついて、私はごそごそと袂を漁る。前から来られても後ろから来られても良いように、書類は畳んでここに入れていた。以前正面に抱えて持っていた時の惨事に学んだことだった。

「書類を届けに参りました」

そろそろ夕方に差し掛かろうかという頃、昼には山積みだった仕事も粗方片付いたところで檜佐木副隊長に渡されたのがいくつかの書類で。それぞれ各隊の隊長もしくは副隊長に決裁をいただくもので、それを持って行ってくれないかと言うのが彼の話だった。勿論、副隊長に頼まれた仕事を断る理由などなかったのだけれど、よく見ればそれは三番隊、六番隊、十一番隊宛の書類。

『ついでに多少世間話くらいして来い。息抜きに』

この人は本当に私をよく見ていたのだとそのとき初めて実感を持った。彼は分かっていたのだ、私が昨日の出来事を気にしていたこと。乱菊さんや檜佐木副隊長以外の面々にも、謝りに行かねばと思っていたことを。

「こちらを十一番隊の隊長、副隊長に。よろしくお願い致します」

草鹿副隊長に手渡すと、彼女は興味もなさそうにふーんと唸ってそれを懐に差し込んだ。小さな胸元に入りきらないそれは半分以上はみ出して、彼女の激しい動きではすぐに振り落としてしまいそうだった。けれど恐らくそれについては、正面にいる頭の眩しい彼が何とかフォローしてくれるだろう。そも十一番隊はあまり隊長副隊長が機能していない。机
上の仕事に関しては特に三席の彼が回していることを私は知っている。

頼まれ事は遂行したので、抱っこ状態だった草鹿副隊長の両脇に手を入れよいしょ、と床に下ろす。小さな彼女は私を見上げてにっこり微笑んだ。

「では、私はこれで」
「まったねー!今度お茶しよーね!」
「はい。……班目三席も、昨日は本当に申し訳ありませんでした」
「…………気にしてねーよ」

絶対に根に持っている風のぼそぼそとした言い方だ。私は一度頭を下げると、大きく手を振る草鹿副隊長に小さく振り返す。近いところから回っていこうと思っているので、次に向かうのは六番隊だ。阿散井副隊長がいれば幸いだけれど。考えながら踵を返して。

「……次は鍛えてから来いよ」

背中を追ってきた小さな声に、思わず振り向いてしまった。にやにやと笑う副隊長の目線の先に、そっぽを向く班目三席。バツの悪そうに逸らされた目と、視線が合うことはなかったけれど。

「……善処します」

鍛えてどうにかなるものなのかとか、聞き返したいことが色々あった。けれどそれを口にできず、私はただ小さく会釈をして背を向けてしまった。胸元で拳を握って小走りに駆け出す。

ああ、多分私はこうして絡め取られていくのだ。
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