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「明日も生きていることです」


気持ちゆっくりと歩いてくれる彼の横を、手を引かれるままに歩く。お茶屋さんを出てから少しの間人通りのある道を歩いたけれど、すぐに逸れて流魂街の方へ出た。そこから更に道を外れて人の少ない方へ進む。随分昔に来たことのある道だった。そう、それはあの、彼らがいなくなる前の。

「喜助さん」

呼び止めると、彼は少し歩いてから足を止めた。この場所を、私は知っている。日はまだ中天から傾き始めたばかりで、思い出の中のそことは色が違うけれど。切なさに胸が音を立てて軋んだ。彼に引かれていない方の手で浴衣の上から押さえ込むように触れると、微かに手のひらを押し返してくる脈動。

「あの、」

声を上げると、彼がゆっくり振り返った。帽子の奥の瞳と視線が合って、私は口を噤む。何か言わなければと思ったけれど、何と言って良いのかわからなかった。彼はそんな私の様子を見て、ふっと目を細めてから帽子を脱ぐ。

「この場所を、覚えてますか?」

口を開いたけれど上手く声が出なくて、私はただ頷いた。彼は安心したように笑った。
それはあの赤い花を二人で見た場所だった。何度も夢に見た場所だ。忘れるはずがなかった。季節が違うからあの花は見えないけれど、変わりに萌える緑が鮮やかに辺りを彩っている。あちこちに明るい色が見えるのは、別の花が咲いているからだろう。ちらちらと蝶や蜂の姿も見える。春爛漫という感じだった。あの時と全く違う色合いなのに、反射的に心臓が鳴った。

「何もかも終わったら、もう一度この場所に貴方と来ようと思ってたんス」

彼はそう言って、遠くに視線を向けた。懐かしんでいるようにも惜しんでいるようにも見える表情だった。どうして、と辛うじて聞こえる程度に漏れた私の声を拾って、彼は再び私に視線を戻す。

「ボクの予言、覚えてます?」
「名前を呼べるようになったら、という?」
「ええ。―――呼べるようになりましたね」

私は小さく頷いて、少し俯いた。

「藍染が、」

黒崎くんを背に、対峙した時のことを思い出す。残酷なほど穏やかな表情で放った私への刃。突き刺さった感触も、塗り潰されるようにどす黒く染まった絶望も、きっと忘れないと思う。

「私には何も残らなかったって言ったんです」
「………」
「私、最初その通りだって思いました。私の望んだ未来は、絶対に来ないんだって知ってたので」

ふと肩口に手をやると、いつもそこにある花びらに触れた。同時に甘い香りが微かに鼻孔をくすぐって、私は目を細める。

「でも、その時に喜助さんの声が聞こえました」
「……ボクの?」
「はい。それで思い出したんです。私はもうちゃんと救われてたんだって」

今まで生きてきた時間の大半を、私は絶望の内に過ごした。それは変えられない事実で、過去で、どうすることもできないのだと理解している。今後もきっと、何かにつけて思い出しては切ない気持ちになるのかもしれない。まだ完全に乗り越えたわけではないのだと思う。けれど。

「貴方は私に未来をくれた。十二番隊の浦原隊長としてでなく、十二番隊の桜木谷香波としてでなく」

私はずっと、彼を隊長と呼ぶしかなかった。私は彼の部下の一人で、彼は私の敬愛する上司だった。それ以上でもそれ以下でもなかった。少なくとも、そう思っていた。

「それを思い出したら、浦原隊長じゃなくて喜助さんだって、すんなり納得できたんです」

けれども私がこんなにも会いたかったこの人は、隊長でなくともやっぱり会いたいと思う。何のつながりも無くなっても、拒絶されても、それでも狂おしいほどに会いたい、そばにいたい、触れたいと思う。その気持ちに名前をつけることが、今なら出来るのかもしれない。

彼は暫く沈黙してから、ハァーと長い息をついた。何だか最近溜息ばかり聞いている気がする。上目遣いに視線を上げると、外したはずの帽子で顔を隠す彼の姿が目に入った。喜助さん?と覗き込むと、ずるい人だ、と小さな声が聞こえた。そうして帽子に表情を隠していた彼は、少ししてから意を決したように顔を出した。帽子を胸に当てるようにして、私に真っ直ぐ向き直る。

「香波」

珍しく呼び捨てにされて、心臓が大きく跳ねた。帽子に隠れていない真剣な瞳が私を捉えている。指先の一つも動かせない。

「ボクはずっと貴方に言いたいことがあった。…今なら、言える」

視線を逸らせず、ただじっと彼を見つめていた。零れそうになる何かを堪えるように、唇に力を込める。ぐっと一文字に引き結んで、私は低い柔らかな声に耳を傾けていた。

「ボクは貴方を他の誰よりも大切に思っています」

何度もこの風景を夢に見た。目が覚めるといつも泣いていた。百年間、どれほど繰り返したかなんて覚えていない。
朝が来る度に今日こそはと願った。けれどもそんな未来が来ないことを私は知っていた。それでも願わずにはいられない自分を馬鹿馬鹿しいと思うのに、そうしなければ生きていけなかった。彼だけが、私の世界の希望だった。

「…そんなカオしないでくださいよ」
「………っ」

零れないように零れないように力を込めていたのに、どうしてか溢れてくるそれを彼の指先が拭う。触れた手が暖かくて、ああ夢じゃないんだと思った。この魔法は目が覚めてもきっと消えない。
彼は何度も私の頬を拭いながら、「松本副隊長に怒られちゃいますね」と笑った。けれどきっと彼女はでこぴんくらいで済ませてくれるだろう。

「香波」
「…はい、」
「貴方の未来を、ボクにください」

彼はそう言って、私の左手をとった。同時に地面に膝をついて、私を見上げる形になる。右手で目元を拭っていた私は、びっくりして手を止めた。不意に見下ろす形になった彼の表情は、とても真面目だけれど穏やかだ。本当かどうかなんて、疑う余地もないほどに。
こんな風に言われて、断れるはずがなかった。堰を切ったように溢れ出す雫を何度も拭いながら私は俯く。彼を前にすると子供みたいに泣いてばかりで恥ずかしい。なのに止めようと思っても止まらない。

「……はい」

やっとのことで絞り出した返事に、彼は満足げに笑った。そうして立ち上がると同時に私を高く高く抱き上げる。小さく上がった悲鳴は、彼の笑い声に消された。

「香波」
「…っはい、」
「愛してます」
「!」

抱き留められた腕の中で、私は目を閉じてまた泣いた。

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