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「あなたの夢をどうぞ」


「―――で、浦原隊長とはその後どうなのよ?」

お団子を頬張りながら乱菊さんが唐突に訊ねてきたので、私は飲んでいたお抹茶を吹き出しそうになった。慌てて何とか堪えたけれどもごほごほと噎せていたら、隣に座ったやちるちゃんが背中を撫でてくれた。香波ちゃん大丈夫?と覗き込んだ彼女に頷くことで返して、落ち着いてから改めてお礼を言う。

それはいつかの休日に彼女達と訪れたお茶屋さんだった。あの時は私を入れて四人だったけれど、今日は班目さんが来ていないので三人だけだ。前回同様私を真ん中にして両脇に乱菊さんとやちるちゃんという形で長椅子に腰掛けている。長い間太陽に照らされていたのだろう緋毛氈は、触れるとほんのり暖かい。もうすっかり春だ。

「なぁに動揺してんのよ」
「だって」
「だってもあさってもないわよ。どうなってんの?」

どうといわれても、と口の中でもごもご言うと、あからさまに大きな溜息をつかれる。それで尚の事動揺してしまい、何とも言えなくなってしまった。

あの空座町での戦いから既に数ヶ月の時間が流れていた。
藍染は封印架という形で捕らえられ、禁錮2万年の刑に処されることが決定した。東仙隊長と市丸隊長は亡くなり、空座町を救った死神代行の黒崎くんは力を使い果たして霊力をなくしてしまったのだという。尸魂界を揺るがした大事件は決して皆が幸せな終わり方ではなかったけれど、そうやって終結した。
その後暫くは空座町の補修や隊の整理などで大忙しだったものの、ここ数日はそれも落ち着き、少しずつ新しい日常が馴染んできたようだった。

「私はあの後尸魂界に戻ってきましたし、喜助さんは現世に帰りましたし…」
「まさかとは思うけどそれきりなの?」

中々の剣幕で言われ、はいそうですとは返せず私は目を逸らした。美人が凄むと怖い。
乱菊さんはもう一度大きく息を吐いてから、長椅子に両腕をついて体を後ろに傾ける。自然肩を竦める形になった彼女の表情は呆れている以外の表現ができない。

「あんたねえ、百年も離れ離れで漸く会えるようになったのに、それは無いでしょ」

私は返す言葉に困って再びお抹茶に口をつけた。
喜助さんとテッサイさん、そして四楓院隊長の追放令は解かれた。平子隊長を始めとした何名かの元隊長達も護廷隊に復帰している。猿柿副隊長は現世に残ることになったので少し寂しいけれど、「会おうと思えばいつでも会えんで」と平子隊長が言ったので前向きに考えることにした。
百年前の私の望んだ『いつか』は結局来なかったけれど、『今』もそんなに悪くない、と思う。

「これからどうするの?」

乱菊さんが眉を顰めながら訊ねた。それはとても広範囲で、答え方に困る質問だった。不意に以前ここで同じようなことを班目さんに訊かれたことを思い出した。あの後、私は耐えられずに逃げ出してしまったけれど。

―――これから…。

それは未来を示す言葉だ。前回の私はとてもでないけれど未来のことなんて考えられなかった。今この瞬間生きていることで精一杯で、過ぎ去った時間を思いこそすれ、未来を望むことは難しかった。希望を抱いてはいたけれど、同時に諦めてもいた。叶えられなかった全てが何らかの形で解決した現在を、今でも夢ではないかと目覚める度に思う。

九番隊は東仙隊長を失った代わりに六車隊長が帰還した。檜佐木副隊長はたくさん傷ついたけれど、私達の為に頑張ってくれる。乱菊さんのいる十番隊も、やちるちゃんや班目さんのいる十一番隊も変わりない。藍染の残した傷跡の深い五番隊には、平子隊長が復帰している。技術開発局も、相変わらず涅隊長が無茶をしているようだった。振り返ってみれば、寂しい思いもするほどに馴染んでしまった光景。

「―――私は、ここにいようと思います」

お団子を一心不乱に食べるやちるちゃんを眺めながら、私は小さく呟いた。現世には行かないってこと?と静かに畳みかけられ、それに頷く。

喜助さんが好きだ。そばにいたいと思う。
けれども私は同時に尸魂界のことも、割と気に入っているのだ。それは本当に割と最近気が付いたのだけれど。
物心ついてからずっと過ごしてきた、兄上のいた世界。乱菊さんも、やちるちゃんも、班目さんもいる世界。浦原隊長のいない十二番隊と、技術開発局のある世界。
現世に行くことを、全く考えなかったわけではない。任務で駐在するという形であったり、もういっそ護廷十三隊をやめて浦原商店に置いてもらえないかとか、そんなことも考えた。けれどもやっぱり、私はここを離れられないと思う。

「私は、九番隊の四席ですから」

小さく笑ってみせると、乱菊さんは腑に落ちないような表情をした。そうして彼女が何か言おうと口を開いた瞬間、遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、通りの向こうから眩しい人が歩いてくる。あの反射を見間違えようもない。片手を口元に添えて、馬鹿でかい声で「桜木谷ー!!」と怒鳴る斑目さん。往来で勘弁してほしい。通りがかった人達が誰だ誰だときょろきょろしているのが見えて、私は首を竦める。

「香波、」

他人の振りをしようと目を逸らした私の肩を、隣に座った乱菊さんが叩いた。示すように伸ばされた指先に、下に向けた目線を動かして私は大きく瞬く。反対側に座っていたやちるちゃんが、長椅子から飛び降りた。

「お久しぶりです、香波サン」

柔らかそうな、暖かな色の髪を揺らしてその人は笑った。春の強い風に飛ばされないように草色と白色の縞々の帽子を片手で押さえている。どうして、こんなところに。目の前で足を止めた彼をぽかんと見上げて私は何度も瞬いた。

「追放令が解かれたんで、割とホイホイ来られるようになったんスよ」

私の疑問に答えるように笑って、彼は私の手を取った。両手を引っ張られて立ち上がった私が何か言う前に、「どうもありがとうございました」と斑目さんに会釈する。対する斑目さんは「別にどうってことないっすよ」と素っ気なくそっぽを向いた。どうやら、斑目さんがこの場所まで彼を案内してくれたようだった。

「あの、どうしてここに」
「非番だと伺ったもので」
「だれに、」
「さあ、誰でしょうねえ」

彼はどこからから扇子を取り出してばさっとそれを開いた。そうしてそれで口元を仰ぎながらはっはっはと笑う。少し考えてみたけれど、平子隊長かな…くらいのことしか思いつかなかった。彼と密に連絡を取っているとしたら一番可能性が高いと思う。けれども、私が非番だったところで彼が尸魂界まで出向いてきたことの説明にはならなかった。困ったように首を傾げると、帽子に隠れた瞳が優しく細められた。

「ボクがお会いしたかっただけッス」

瞬きをすると、彼は再び笑った。変な帽子を被っていて、羽織の色も衣の色も違うのに、それはまるで百年前のような笑顔だった。そうして彼は私が答えに困って固まっているのを横目に、「彼女をお借りしても?」と背後の乱菊さん達に訊ねる。えー、と不満を訴えるやちるちゃんの声が聞こえた気がしたけれど、すぐに「むぐ」という呻き声とともに聞こえなくなった。そして、乱菊さんの「どうぞどうぞ」という明るい声が背を追ってくる。彼はそれに帽子を外して応えて、未だ思考の追いつかない私の手を取って歩き出そうとした。
その瞬間、「浦原隊長」と真剣な彼女の声がそれを止めた。

思わず私も振り返ると、彼女は戦いに挑むときのような、鋭い目つきで彼のことを見つめていた。真っ直ぐで逸らしがたい、強い視線だった。

「香波を、泣かせないでくださいね」

振り返った私の背中に、彼の手が添えられる。ぐっと肩を抱かれて、ほんのりと煙草が香った。まだ夢の中にいるようだ、と私は思った。もしかしたらこれから先、ずっとそう思い続けるのかもしれない。

「勿論です」

背後の彼も真剣な声だったので、私は何と言っていいのか余計わからなくなってしまった。いつでもすぐにはぐらかしてしまう彼の真面目な声は、耳元で聞くと心臓に悪い。

「香波サン」

促すように優しく名前を呼ばれて、私は眩暈を覚えた。手を引かれるままに振り仰ぐと、彼はまた優しい目で微笑んで見せた。

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