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たった一言、伝えたかった言葉


瞬いた視界に最初に映ったのは、柔らかそうな色素の薄い髪だった。ふわふわと風に揺れるそれを眺めて、何だか懐かしいような気分になる。ああ、私はこの髪が好きだったのだ。とても昔の話だけれど。
もう2回、ゆっくりと目を閉じて開けてを繰り返すと、段々と私を覗き込むその顔に焦点が合っていく。汚れた頬に擦り傷が出来ていた。見慣れない無精髭と、眉を下げた表情と、髪と同じ色の瞳。 視線が合うと同時に何だか嬉しくなって頬が緩んだ。喜助さん、と呼ぶと、彼はぴくりと肩を揺らした。

長い長い溜息を吐きながら、彼は私の右手に額を寄せた。右手に感じていた霊圧は確かな温もりと共に私の手のひらの中にあって、彼が手を握っていてくれたことに漸くそこで気がついた。目を閉じる前に傍にいたはずの班目さんや四番隊隊士の姿はなく、横に倒れていたはずの平子隊長の姿もまた見当たらなかった。代わりに地面に寝かされた私の体にはあちこち包帯が巻かれていて、血を吸って乾いた後だろうゴワゴワした死覇装の感触があった。痛みが全くないわけではなかったけれど、命の危機はもう感じない。四番隊の彼は本当に私の傷をちゃんと治してくれたようだった。

「……よかった」

相変わらず草色一色の姿を見ながら、思わずそんな一言が漏れた。彼もあちこち怪我をしているようだったけれど、無事であることに間違いない。重い腕を持ち上げて、彼が握っている手と反対の手でその頬に触れた。ざりざりとした手触りは無精髭のそれだと思う。両の手でその霊圧と温もりに触れて、私は細く息を吐く。彼は憮然と眉を寄せて、「何も良くないッス」と言った。

「こんなに怪我して、死にそうになって」
「………」
「ボクが一体どれだけ心配したと」

途切れ途切れに落ちてくる彼の言葉が耳に触れる度に、内側から沁みていくような気がした。その声に乗っている気持ちを、温もりを、間違えずに受け取れていると思う。

「貴方は本当に、無茶ばっかりする」
「…でも、ちゃんと生きてます」
「そうじゃないと困ります。貴方に死なれたら、ボクは」

彼はそこで言葉を切った。その続きを口にすることを躊躇っているのか、続きなどないのかは分からなかった。
けれどもその声音と表情で、彼が私の生を本当に心から望んでくれていたのだと思えた。私の為の嘘でなく。

―――ああ、この人は私の大好きだった隊長と、何の変わりもない。

細めた視界に、草色の羽織が目に入る。帽子は飛ばされてしまったのか、今は被っていなかった。彼は少しの間押し黙ってから、思い出したように一振りの斬魄刀を取り出した。

「…杜鵑草」

それは間違いなく、私の半身だった。

「ボクが受け止められなかったらどうするつもりだったんです」
「……考えてませんでした」
「ほんとに貴方は…」

彼は呆れたように言って、私の脇に彼女を置く。そうして暫くじっと私を見下ろしていた瞳が、ほんの少し歪められた。泣きそうな表情に見えて驚いた私の頭の下に手を差し込んで、彼は私の上半身を持ち上げる。抱きしめられた温もりに、鼓動の音が大きく鳴った。痛いほど脈打つのに、どこか心地良い。香波、と降ってきた声に目を閉じて、私は額を彼の肩口に擦り付けた。夢じゃない。現実の、温もり。

「…貴方がいない世界なんて、何の意味もない」

絞り出すような、微かな声が耳元で囁く。彼の背にしがみつくように腕を回して羽織を掴んだ。大きな背中が、微かに震えているような気がした。私もです、と口にした言葉は掠れてしまったけれど、彼の耳には届いたようだった。

走馬灯のように百年間の記憶が過ぎって、私は目を閉じた。永遠にも思えた単調な日々が、漸く終わりを告げたような気がした。色々な気持ちが混ざり合って、目尻から流れ落ちていく。一粒落ちるごとに軽くなっていくような気分だった。ずっと共にあった痛みを手放すことは少し怖かったけれど、この腕の中にある温もりと引換にするのなら悪くない。

「喜助さん」
「…はい」
「大好きです」

彼は何も言わなかったけれど、代わりに私を引き寄せる腕の力が強くなった。

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