唇に触れた冷たさに、ぼんやりとしていた意識が引き戻されていく。

「深亜、食べて?」

 かすかに開いたその隙間から、小さなひと欠けを押し入れられる。
 無意識に噛んでから、それがなにか果実だったことに深亜は気づいた。
 口中に甘みが広がり、奥へ流れていく果汁が渇いた喉に染みる。
 重たく感じる目蓋を上げ、深亜は傍らにいる男を視界に入れた。
 素肌をさらしている身体は人間とたがわないのに、ぴくりと動く、人間にはあるはずのない獣の耳が、悪夢のような現実を深亜に叩きつける。
 男は深亜が横たわるベッドに腰掛け、手にした器から果肉をフォークで突き刺し、また深亜の口許へと近づける。

「まだ食える?」

 深亜は無言で口を開けた。
 声を出すのが億劫に感じるほど、全身が疲弊しきっている。それでなくともきっと声は嗄れているだろう。
 手加減を知らない男に酷使され続けた身体は自分の意志で動かすことも出来ず、頷くことすらままならない。
 ――ここに連れてこられ、幾日が過ぎただろうか。
 祖母の家で惨状を目の当たりにし、男の言葉にとどめを刺された深亜は気を失い、気づけば今と同じように、このベッドに寝かされていた。
 そして同じように、男はベッドに腰掛けて深亜の目覚めを待っていた。
 瞬時に身体を固くさせた深亜に構わず、にこりと笑いかけると、男は話し始めた。
 センリという自身の名を、まず男は深亜に明かした。
 ここは男が棲み家とする、森のさらに奥まった場所に建つ小屋だと言う。
 これからは二人ここで暮らしていくのだと、嬉しそうに語り頬を撫でてくる男の掌に、深亜は叫び出したい衝動を抑え、震える唇から言葉を紡いだ。

 ――わたしを、どうするの……。

 ん? と男は首を傾げる。

 ――殺すなら、早く殺して……。
 ――なんで深亜ば殺さにゃならんと?

 俺ん花嫁さんなんに。

 ――花、嫁……?

 深亜は目を瞠り、男を見つめる。
 言っている意味が、理解できない。
 理解――したくない。
 けれど、男の愛おしげな眼指しが、なによりも雄弁に物語っていた。

 ――深亜は、俺ん花嫁さんばい。

 深亜は目を閉ざした。
 ゆっくりと開いた目に映る男の姿に、今しがた思い出していたあの時の男の姿が重なる。

「深亜?」

 もういらんと? と言った男は身を折り、まだ果肉の残った器を床に置いたらしい。
 ぎしっ、とベッドが軋む。
 深亜の頭の横に手をついた男は、空いた手を深亜の頬に添えると、目を細め深亜を見下ろす。
 顔に影が差し、男の吐息が近づく。
 ぴちゃ、と男の舌が唇を舐めた。

「……深亜はどこもかしこも甘かね」

 熱い男の指が、深亜の唇の形をなぞる。

 

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