ワンルームワンダー

「うわっ」
「なんでお前は学習しない。邪魔するぞ」
「あー…はいはい、どうぞお好きに」
風呂場のドアを開けたら、突如現れる大男。名前をクラッカーさんという。紫色の髪でゴリゴリのマッチョで顔に傷があって、どう見てもカタギではないヤバい人だ。実際、海賊らしいのでヤバい人だ。歳は親のほうが近い。じゃあなぜそんなヤバい人が我が家の風呂場なんかから入ってくるのか、それはおよそ一年前突然始まった。

一年前、わたしは初めての長文レポートに徹夜で取り組み、疲れ切った状態でシャワーだけでも浴びようと服を脱いで風呂場のドアを開けた。
『あーさみさみ…』
『ったく、どうしてあんなに…』
『え?』
『…あ?』
目の前に入浴るっくの大男が立ってた。あんだすたん?のーあんだすたん。これが出会い。普通なら突然の不審者に飛びのいて泣き喚いて通報するところだが、ていうかしろよって話だが、そのときのわたしは尋常じゃなく疲れてた。
『あ、すみません間違えました』
『いや、おれこそ。悪いな』
そいでたぶんクラッカーさんも尋常じゃなく疲れてた。お互い会釈をしてわたしは風呂場のドアを閉じ、数秒後に人生で一番飛び上がることになる。え?風呂場に知らん人おったんじゃけど?しかもめっちゃでかいいかつい人だったんじゃけどお母ちゃんわたし生きて帰れるかな?脱衣所の隅でじっと風呂場を見つめるが、おかしい、人の気配がない。この学生一人暮らし用のアパートじゃ風呂場はそんなに大きくないし、構造的に人影はよく見えるはずだ。思い返せば、さっきの人がいたとき、そのうしろは風呂場じゃなかった気がする。いや視界は筋肉でいっぱいだったけど。なーんだ幻覚か、レポートやっべぇ!

っていうやつ。あんだすたん?のーあんだすたん。みーとぅ。その後何度か同じ目に遭い、どうやら幻覚ではなくわたしの部屋の風呂場とクラッカーさんの部屋の風呂場が謎に繋がってしまうことが判明した。どうも、同じタイミングで風呂場のドアを開けるとこうなるらしい。判明するまでに幾度となくわたしは裸を見られているのだが、先に状況を把握したらしいクラッカーさんがわたしの部屋を仕事からの逃避行場にして落ち着いているあたりなんとも思われていないそれはそれで悔しい。

「うわ、人のデザート勝手に食べないでくださいよ」
「安っぽい菓子だな。うちの職人なら3秒で作れる」
「じゃあ自分の持ってきてくださいよ」
どうやら海賊のくせに毎日とてもとても疲れているらしいクラッカーさんは、わたしの部屋へ息抜きに来るらしい。メルヘンな髪色や服装をしているが実態は結構ただのおっさんだ。実際、歳はわたしよりわたしの親に近いし。今日も勝手にこたつに入って、わたしのデザートのコンビニスイーツを平らげている。許すまじ。
「このテレビ、ってヤツは何度見ても珍妙だな」
「無からビスケットを生み出せる人には言われたくないですけど…?」
「食うか?」
「その誘いに乗りすぎてお腹周りがやばいのでいいです」
「じゃあこれも全部食っちまっていいな」
「んあー!わたしのプリンアラモードー!」
こんな大男に対して危機感がなさすぎると自分でも思うんだけど、クラッカーさんってうちに来るときは本当に疲れてる。ぐだぐだのだめだめのスイーツ好きのメルヘンおっさんだ。わたしは裸を見られたりデザートを奪われたりこたつを占拠されたりするだけで危害を加えられたことはないし、むしろ代償としてたらふく美味しいビスケットを食べられたり掃除を手伝ってもらえたり、そこそこ充実してる。疲れきったクラッカーさんは本当にわたしをどうこうする気力がないらしく、わたしが非力で無気力な女子大生であるのをいいことに好きなように過ごしている。あんまりゆるい空気だから、気づいたらわたしも慣れてしまった。机に顎をのせて、ペンギンのひなが生まれたニュースをぼけーっと眺めているので、その髪を櫛で梳かして遊ぶことにした。おっさんの髪じゃねえさらさら。
「今日はなにでお疲れなんですかー」
「あー…妹とな…」
「きょーだいげんかですか」
「あー…まあ…そうだよ…」
クラッカーさんはめちゃめちゃに兄弟がいるらしく、この『きょーだいげんか』もよくあることだ。よくある頻度でうちにやってくるのも問題だし、大体それだけの頻度同じタイミングで風呂場のドアを開けていることもふしぎだが、わたしはクラッカーさんがそんなにきらいじゃない。サーカスのクマみたいなかんじだろうか。大きすぎてよくわからなくて、ぐでっとしててちょっとかわいい。本当は3m以上あるんだって言うけど3mもあったら人間じゃないよな、どう見ても2mくらいだ。2mもでかいわ。でかすぎてリアリティがないんじゃ。こたつが好きっていうのもなかなかかわいいんじゃ。おっきいテディベアみたいに抱き着きたくなってしまうな。筋肉だから気持ちよくないだろうけど。
「クラッカーさん?」
「んぐ…」
わたしのことなど寝てても殺せると言うクラッカーさんは、わたしの前では隙だらけだ。今日は相当お疲れだったのか、こたつの魔力に負けて眠ってしまったらしい。まあ確かに寝てても勝てる気はしない。寝顔あどけない。いつもの凶悪顔はどうした。
「クラッカーさん、お時間大丈夫なんですか」
「……ん…」
「…んー、朝になったら起こせばいいですか?」
「んー…」
おねむですね。起こすのがちょっとかわいそうなくらいにねむねむしているので、優しいわたしは寝かせてあげることにした。風呂のドアが閉まっちゃわないようにしてあげとこ。ところで、わたしは今晩のプリンアラモードをとってもとっても楽しみにしていたんですが。

「クラッカーさん、朝ですよー」
「ふぐ…っ?ん、ッ!ッ会議…!」
「いってらっしゃーい」
「ん!」
風呂場に駆け込んで行くクラッカーさんの背中に、ひらひら手を振る。なんて呑気な朝だ。ていうか会議だったのか、それは悪いことをしたなぁ。でも、とっても上手に編めたので妹さんからも好評だと思いますよ。ラプンツェルみたいでかわいいです。ざまあ!



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