改めまして運命

夫がきらいだ。

「ナマエ、また編み物か?」
「………」
「…ナマエ」

絶対に答えない。だってわたし、このひとがきらいだ。親が勝手に決めた、というかこのひとの母親が脅して決まった夫だ。わたしは認めていないし認めない、こんなひとはわたしの運命の相手じゃない。背丈がわけわからんくらい大きくていつだってわたしを見下していることも、他人の行動を勝手に先読みしてしまうデリカシーの無さも、どれをとったってだいきらいだ。

わたしの生まれた島には、運命の赤い糸という言い伝えがあった。深く愛し合うことのできる運命の相手とは、赤い糸で繋がっている。そしてその赤い糸は、きっかり糸玉5つ分だ、と。つまり糸玉5つを使い切れば、運命の相手に出会えるというのだ。無論島民はほとんど信じてはいない、というよりは無理なのでロマンチックなおとぎ話くらいに思っている。うちの島で言う糸というのは特殊な羊の毛から作られていて、一本が異様に長い。言い伝えに登場する糸玉は直径が50cmもある。こんなものを5つも使い切るなんて、正気の沙汰ではない。

でもわたしは使い切ってみせる、だって運命の相手に出会いたいから。こんなわけわからん場所からはやく出ていってしまいたいし、夫からも離れたい。ここまでさんざん悪く言ったが、あのひとだって好きでわたしと結婚したんじゃない。わたしはきらいだから答えないけど、そんなに悪いひとじゃないはずだ。いや、海賊だから悪いひとではあるけれども、きちんと夫婦であったなら、きっと良い夫であったと思う。この糸を使い切って、わたしがいなくなったなら、このひともちゃんと運命の相手に出会えればいいと思えるくらいには。でも妥協はしない、わたしはこの糸を全部編みきるの。海賊なんかの妻ではいられないし、家じゅうに満ちた甘たるいにおいだって慣れられないし、大体顔も見せられないってなんなの、この身長差じゃ見たくても見れないわよ、だから、だから。

「ナマエ、ドーナツは嫌いか?他のお菓子は?なんだって作らせる」
「…………」
「身の回りで足りていないものは?そうだ、他の色の糸を用意させよう」
「…………」
「…ナマエ」

だめ、わたしは別に編み物が好きなんじゃないの、ただこのばかみたいな量の赤い糸を使い切らなくちゃいけないから編んでるだけなの、あなたと離れるために編んでるの、だから他の糸なんかいらないの。本物の運命の相手がどんなひとかは知らないし、どんなひとだって構わないけど、きっとこのひとじゃない。だってどう見てもつりあっていないし、足の長さだって胸の大きさだって勝てるとこないし、きっともっと、ちゃんとした相手がいるはずなのだ、お互いに。だからわたし、何が何でもこの糸を編む。最後まで。一番簡単な手順で編んでいればいいマフラーを選んだから尋常じゃない長さだけど、使い切れるならなんでもいい。クリスマスツリーの飾りつけにでも使おう。だからそんな悲しそうな顔しないで…高すぎて見えないけど、もし悲しんでるなら悲しまないで。あなたにとっても良いことのはずだから。とっとと編むね。

三日三晩、とは言わないまでも、結婚が決まってから隙を見つけては編んで編んで編んで編み続けた真っ赤なマフラー。

「で…きた…」

生来、器用でもなんでもないわたしが初めてこんなに時間をかけて作ったものだ。目は均一じゃないし初めの方はがたついている、それでも、間違いなく5つの糸玉を途切れることなく使い切った言い伝えどおりの代物だ。クオリティなんかはどうでもいい。そもそも実際に使うことを考えたらこの色はちょっとどうかなと思う。少なくともわたしの趣味ではない。いいんだ、もう鳥の巣の材料になってもなんでも…とにかくわたしはやり終えたのだから。

「…完成したのか?」
「ええ…」
「!」

やっと返事もできる。そして、お別れだ。近くわたしは本物の運命の相手と出会ってここを去ることになるはずだから。達成感と安堵と、ものすごい疲労感で頭が回らない。終わりが見えてからは多少睡眠も削ったから…でも、完成したもの。もう心配することはないはずで…だから…あとは待つだけで…ちょっと寝ても…。

「…これは、おれが貰ってもいいものか?」
「ええ…どうぞ…」

だって、それ自体に目的はないもの。どうしてくれたって構わない、火種の材料だろうが靴磨きだろうがなんにだって。使用済みの糸の塊だ。マフラーが頭上に持ち上げられたのを見送り、まっさらになった机の上を見る。大蛇でも這っていたかのように視界を埋め尽くしていた赤はもうどこにもない。終わったのだ、とぼんやりしているとふと、どこからかしゅるしゅると布の擦れる音がする。

「…お前の島には、赤い糸にまつわる言い伝えがあるらしいな」
「…ああ…ええ」
「お前が赤い糸を編み続けるのから、理由があるのかと思って弟たちに調べてもらった」
「そうなんですね…」

頭がおかしいと思われただろうか。わたしだって正気を疑っている。傷つくようなことじゃない、むしろあなたもうれしいでしょう。

「…うれしい」
「ええ…え?」

そうはっきり言われてしまうとそれはそれで傷つく、と自嘲しながら、いや、わたしは今口に出してはいなかったはず。わたしが顔を上げて頭上を見る前に、目の前に何かが落ちてくる。黒い布、白いもふもふのついた…あれ?これは…え?

「大事にする」
「え?」

驚いたことに似合わないというわけではないのだが、そうじゃなくて、どうしてそれ、えっ、だって、言い伝え聞いて、つまり、だから、え、あ、あ、ちが、ちがう!言い伝えじゃそれ自体に意味があるわけじゃなくて!わたしはあなたのことがきらいで!ねえ待って!待ってよ!それで外へ行こうとしないで!自慢する?冗談じゃないわやめて!そんな色の、手製の編み物なんて、しかもそんな長さで、ちょっと、ねえ、まるでわたしがあなたのことすきですきで仕方なかったみたいじゃない!やめて!やめてってばねーえー!!!!



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