あの娘は失恋博物館

「ふふ、また?」
「…そう、また」
プリン様の部屋へお茶を運ぶ道すがら、レザン様とすれ違った。彼のどこかぼんやりとした表情を会釈しつつ眺め、ある種確信を持ってプリン様の部屋を覗く。わたしのにやつく顔を見ながら、プリン様はうんざりとした顔をした。すすすと近寄ってティーカップを渡し、紅茶を注ぐ。いつものことだ。幼馴染であるわたしがまたかと尋ねるほど、いつものこと。ただの料理人の娘なのにこんな馴れ馴れしさが許されるのは過ごした時間の勝利だ。
「今度は誰を連れてくればいいの?」
「…角の花屋の娘。チューリップの看板が目印のところよ」
「行ってきまーす」
「ちょっと、お茶の時間が終わってからにしなさいよ」
「そう?じゃあお言葉に甘えて」
そう言ってくれると思ってた。花屋の娘ね、最近やけに花の香りがすると思ってた。どこか覚束ないようなレザン様を思い出し、心の中で合掌する。彼も人間なのよなぁ。レザン様だけではなく、他のご兄弟もね。
「ほんと、いい加減にしてほしいわ!みんなどうして恋なんかするのかしら!」
「あらー、みんなの憧れプリン様がそんなこと言っていいの?」
「あんたしか居ないからいいのよ。くっだらない!」
「ははは。このチョコうま」

シャーロット家の婚姻は家長であるビッグ・マムによってすべて決められることになっている。が、いくらビッグ・マムの子に生まれていようと所詮は人の子だ。ご子息・ご息女自身が誰かを好きになってしまうことだってある。ひねくれねじくれプリンちゃんには分からないようだけど、恋はいつでもハリケーンだって相場が決まっている。それは突然訪れてしまうものだ。意思なんか関係なく落とされるのだ。地獄と一緒だね。きちんと自分で区切りをつけられれば良いけれど、必ずしもそうはいかないというものである。特に、レザン様なんてまだお若いし。上のご兄弟が拗らせた割り切れない想いのほうがずっと厄介だけど。とかく、ビッグ・マムにとってそれらの感情は厄介だ。とても邪魔だ。自分の子が自分を裏切ることはないと分かっていても、婚姻相手に何を言われるか分かったもんじゃない。どうするかって、ちょうど都合のいい能力を持った娘がいるじゃないか。簡単だ。切り取って塗り替えて、棄ててしまえばいいのだ。

「見てもいい?」
「あんたほんと悪趣味よね」
「なんで?恋愛小説だって大衆文化でしょう、みんな好きだよこういうのは」
プリン様の前に置かれたお菓子の箱をかぱりと開ければ、切り取られたフィルムが入っている。頬を染めた花屋の娘、触れ合う指先、揺れる花弁。甘酸っぱくて微笑ましくて温かな時間が、ぶつりと切り取られて収まっている。きっと大事な物だった。失いたくなんかなかったろう。嫌というほど分かるが、レザン様にも花屋の娘にも同情の余地はない。そういう国だ、ここは。そういうことなのだ、シャーロット家の人間が恋するというのは。
「ふふふ、またコレクションが増えたね」
「欲しくもないわ、こんなもの。兄さんも姉さんもどうして学習しないの?」
「学習の機会がここにこうして収まってるからじゃない?」
そう、レザン様は胸の真ん中に穴が開いたような感覚を抱えながらも、普段と変わらぬ生活をおくるのだ。花屋の娘だって悲しくない、優しいプリン様は彼女の記憶も切り取ってくれるから。ご兄弟は誰も、恋多き人ではない。たった一つを、時間をかけて育んでしまったのだ。だからこうして芽ぶいたものを摘まねばならなくなる。芽の出ないままにしておけば、ビッグ・マムの、ご兄弟の、自分自身の気づかぬようにしておけば、そのままで居られたのにね。
「このチョコレート新作?」
「そう!ねえ、おいしい!?何か足りないような気がするのよね〜…」
「十分美味しいけど、強いて言えば丸すぎるかも…」
「やっぱり〜…!?」
例えばこうして、仲の良い友人の顔をしておく、とかさ。例え話よ?自覚は自覚した瞬間から表情に出るもの。わたしは胸に穴を開けたくはないし、コレクションに加わるのだってご免だし、美味しいチョコレートの試食係だってやめたくはないの。
「プリン様が研究に没頭する前に、花屋ちゃんを連れてくるね」
「あー、そうだった。すぐにチョコ作りに入りたかったのに…」
「急ぎまーす」
「超特急よ!」
「はーい」
プリン様の部屋を飛び出すと、俯いたパンナ様とすれ違った。器用に生きていくのはとても難しいようだ。帰ってきたらまた紅茶を淹れて、ゆっくり新しいコレクションを眺めよう。…わたしって悪趣味かしら?



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