というわけで祝日の金曜日、午後1時15分前。
いけふくろう前にやってくると、さすがは折原さん。しっかり到着済みだった。
私が見慣れている黒基調の服装ではなくて、やや色みのあるカジュアルな服装だったのが少し驚きだ。
まあ、何を着てもこの人は様になるのだけれど。
そんな具合でまた服装ばかりに目を向けていたからか、
「ユウキちゃんってさ、俺に会うと服ばっかり見てない?」
と苦笑気味に言われたので、
「他にどこを見ればいいのか、分からないんですよ」
と、適当にお茶を濁しておいた。
=あんたと目を合わしたくないんですよ、という『私』的解釈をしてくれるといいのだけれど。
ちなみに、昨日あのアパート一室をいろいろ探してはみたのだが、『私』は日記もスケジュール帳もつけていないようで、収穫と言う収穫はなかった。
ただ、『折原いざやうざい』という書き殴りが英語の教科書にちょこんと書かれていたのは発見済みだ。いざや、の漢字を書くことすら面倒だったのか『私』。
「ユウキちゃん?」
丁度思考が飛んでいる最中に名前を呼ばれたため、私はやや慌てて顔を上げた。
すると案の定、折原さんが不思議そうな顔をしていた。こんな表情、普段なら滅多に見られないのに……やっぱり高校時代は多少ガード(?)が甘いのかもしれない。
って、そうじゃなくて。
「何ですか」
できるで通常対応を心がけてそう言うと、
「いや、うん。私服可愛いね」
何か誤魔化すような調子で言われたので、褒められてもあまり嬉しくない。
「どうも」
そもそも、折原さんに可愛いと言われてときめいた覚えがまるでない、何故だろう。
この人に言われてしまったら(眉目秀麗的な意味で)ドキッと来る方が自然なのに……。心の内でそう思っていると、折原さんは「素っ気ないなぁ」と言って笑っていた。
その笑顔はやはりあの折原さんで、けれど私の知っている折原さんではなくて、少しばかり複雑な気持ちになる。
「じゃあ、行こうか」
私の心中など知るわけもない高校生折原さんは、そう言って平坦な笑みを浮かべ続けていた。
何と言うか、あの人と初めて会った時に、昼食へ誘われた時のことを思い出させる笑みと同じものを感じた。やっぱり、これって何か裏があるよなぁ……。
そう思えば、バイキングだ何だと浮かれている場合じゃないと言われているような気がして、少し気が滅入った。
×××
野崎ユウキは折原臨也を嫌っている。それは臨也自身が、彼女の次に一番よく理解していた。
彼女の周りにいる新羅や他の友人達など、その嫌悪の半分も知らないだろうとさえ思っている。
臨也がユウキを野崎ユウキという個人として認識したのは、二年に進級してすぐのことだった。
前々から体育祭や陸上関連の表彰などで名前を耳にした事はあったが、二年で同じクラスになり、始業式からほんの一週間ほどたったある日。
急にユウキの臨也を見る目が変わった事に気がついた。
一クラスメイトへ向ける無関心なそれから、何か酷く軽蔑するような嫌悪に満ちたものになったのだ。
自分に関して良い噂が流れていないことぐらい、臨也はもちろん知っていたが、それでもこの唐突な変化は何だろうと不思議に思った。
それと同時に、興味も持った。
一度、ひとりきりで廊下を歩いていたユウキに、臨也は声をかけたことがある。
それはもう直球に、
「どうして君は、そんなに俺を嫌っているんだい?」
と。
すると彼女は、感情の変化が分かりづらい中でも、しっかりと嫌悪しているような瞳で、
「私の大嫌いな奴と似てるから」
そう淡々と答えを口にした。
「あんたは私に何もしてないけど、別の人には何かしてるでしょ。裏で糸を引くような連中が私は大嫌いだから、あんたも嫌い」
最後に「好き勝手言ってごめん」とだけ律儀に謝り、彼女は臨也に背を向けて行ってしまったのだった。
その大嫌いな奴というのに心当たりがあった臨也は、なるほどと納得しつつも、あんな奴と一緒にしないでほしいと苦笑した。
そういうわけで、実を言えば、というより当たり前のことだが、
臨也はユウキと出かけたことなど、一度たりともない。
出かけたことの有る無し、最近トラブルを起こした部活に対する反応の薄さ、新羅に対する態度の変化、加えて嫌味なのか素なのか分からない敬語、嫌悪の消えた瞳。
総じて、臨也は今目の前にいる『野崎ユウキ』は何者なのかと興味を持った。
彼女が急な記憶違いや性格分離を起こしたのならともかく、そうでもない限り『彼女』は彼女ではない気がした。
そう思い、今日なんとか半日様子を観察できる機会を得たのだが――。
「美味しい?」
「すごく」
その『彼女』は今、黙々とケーキを口に運んでいた。
決してマナーの悪い食べ方ではないのだが、臨也の存在など忘れているのではないかとさえ思える集中っぷりだ。
表情は相変わらず一貫しているものの、瞳だけはやけに嬉しそうな色を帯びている。
何というか、いくら表情は分かりにくくても、雰囲気で思っていることがバレバレというか……喜怒哀楽が分かりやすいというか。
確かに新羅と話している時もそんな節はあったのだが、目の前にいる『彼女』はさらにそれが強かった。
「よく食べるね」
女性には禁句だと聞くワードだが、そんな言葉にも『彼女』は、
「お昼抜いてきましたから」
嫌な顔一つせず、平然と答えて見せた。そしてフォークに刺さっているブルーベリータルトを頬張る。
「朝も抜こうかと思ったんですけど、それ逆に太るって前に……言われたので。やめました」
どれだけケーキを目一杯食べたいんだとも思ったが、それより『彼女』が見せた小さな躊躇いが気にかかった。
しかし、今それを指摘しても、怪しまれるだけだろう。そう考えた臨也は「そうらしいね」と相槌を打ち、
「でも、これだけ食べたら、あまり意味ないと思うよ。その配慮」
と、至極個人的な感想を言った。
「大丈夫です、明日遠出するつもりなので。運動できますから」
「へえ、どこに行くの?」
「京都へ」
「何しに?」
「お寺詣りに」
「……渋いね」
「嘘です。本当は言う気ありません」
そう言って、『彼女』はフォークに刺さったイチゴを頬張る。
目線もそのイチゴにのみ注がれていたので、この時は何を思っているのか、臨也はいまいち分からなかった。
それにしても、昨日と違って随分口数が多い。ケーキを食べて、機嫌がいいのだろうか。
「言う気がないなら、仕方ないか」
とりあえずそう頷くと、『彼女』がショートケーキの最後の一欠を口に入れた。
そして、少し意外そうな表情を浮かべ、臨也を不意にじいっと見つめる。
嫌悪以外の、別の何かを込めた瞳で。
「……俺、変なこと言った?」
待ち合わせ場所に彼女が現れた時にもあったことなのだが、ほんの数日前まで自分を毛嫌いしていた人間に、いきなりそうでない感情を向けられるのは、対応に困った。
空になってしまった皿にフォークを置き、『彼女』は「いえ、別に」と言いながらも何か考えるように黙った後、
「ケーキ、取ってきます」
そう言って席を立ち、くるりと臨也に背を向けてプリンやババロアの置かれているコーナーへと歩いて行った。
「『ユウキちゃん』ねぇ……」
大分冷めてしまったコーヒーを口にして、周囲に聞こえない音量でそう呟く。
敬語のせいか、どちらかと言えばこちらの『彼女』を野崎さんと呼んだ方が、臨也には良いように思えた。
『彼女』が誰なのか、そのことをそれとなく聞き出すために、今日はやって来たのだが――。
「今日はもう、これでいいか」
『彼女』が数日前にいた野崎ユウキとは別人だという、その確信だけで満足してしまった。
あの分なら、しばらくはあのままだろう。何も焦ることはない。
「それに、近々『彼女』も自分の状況に気づくだろうしね」
――それまでは悠々と、『彼女』に関わることにしよう。
そう不敵な笑みを浮かべて、臨也はユウキの後姿を見つめた。
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