ST!×1 | ナノ
「情報屋さんのあなたに聞きたいことがいくつもあるんですが、情報料って……」
荷物整理が終わったのは夕方頃だった。
私がこのマンションについたのは昼の3時頃だったと思うので、かかった時間は2時間程ということになる。
もとから持ってきていた荷物も少なかったので妥当と言えば妥当な時間だ。
片付いた部屋に満足してリビングの方へ向かうと、机の上にお寿司の盛り合わせが置いてあった。夕食のつもりだろうか。
まあ、折原さんが用意したというか、出前をさせたんだろうけど……私がいるから、とかじゃないよね……。
この件に関してお礼を言うべきなのかということについて本気で考えていたら、いきなり背後から声をかけられて寿命の縮む思いをした。
それからは夕食をとることになったので、少し大きめのテーブルに向かい合って座った。
改めて見ると、もの凄く違和感のある光景だった。折原さんが当たり前のように目の前にいるということだけで、妙以外の何物でもない。
2ヵ月間私は折原さんを探していたのに、どうして今は当然のように、その人が目の前にいるのだろう。
聞きたいことがたくさんあるから、ずっと探していたのに。
「ものによるかな。教えるかは別にして、聞くだけ聞いてくれれば無料有料ぐらいは言うからさ」
箸を動かしながらそういう折原さんの言葉に安心して、遠慮なく聞かせてもらうことにする。
「私が自殺しようとした時、どうして、あんなことをしたんですか」
「そうくると思った」
満足げに笑って、それは無料と折原さんは言った。
♀♂
あのとき、私は確かに飛び降りたはずだった。
その証拠に足が地面から離れる感覚も、風が髪をなびかせた感覚もすべて鮮明に覚えている。
けれど、飛び降りてからいつまでたっても決定的なそれは訪れなかった。地面に叩きつけられるような衝撃が、まるで来なかった。
まさか気絶をして、そのまま死んでしまったのかと思ったのだが――おそるおそる瞼を開けば、なぜか私はあの赤い染みの上に座り込んでいた。
辺りを見渡せば何も変わらない街並みが表通りに広がっていて、私自身は怪我ひとつしていなくて、足もしっかりとついていて……。
言うまでもなく私は混乱した。けれど、何をすればいいのかもわからず呆然としていたら、ボディスーツでバイクに乗った人が現れた。
『大丈夫か?』
そして、そんなことを聞いてきた。なぜかPDAの画面に映し出される文字に、話せない人なのかもという考えだけがよぎって私は頷いた。
いや、でも、自殺をしようとしたのに、生きているのは大丈夫じゃないんじゃ――。
急いで上を見上げ、私は折原さんの姿を探した。死んでいないことに驚いてるんじゃないかと思って。
けれど、折原さんはどこにもいなかった。
「どうして私、生きてるんですか」
グルグル回る視界の中そういうと、バイクに乗ったその人は、
『私が細工をしたから』
そう、少し迷うように打ち込んで私に見せる。
細工って、あの高さから降りても死なないなんて、一体どんな……。
『そんなに気にすることじゃない。あまり深く考えないでほしい』
慌ててその人は画面を差し出した。
「どうして、私に細工をしたんですか」
あなた個人の善意ですか?それとも、
『折原臨也に頼まれたからだ』
PADに映ったその文字の羅列が、一瞬どういう意味なのか分からなかった。
折原さんが、私を死なせないようにした?あれだけ死を促すような言い方をしていたのに、どうして今さら。
『理由が知りたいなら、俺を探してみろと、言っていたぞ』
「それって、」
『ここからは、ただの私事だけど……』
「…………」
『あの男にはもう関わらない方が良い。あいつに何を言われても、自分から関わらないで。あなたはあなたの生活に戻りなさい』
凄まじいスピードで打たれる文章を見ながら、私はただ、こう思った。
分からないことができてしまったから、また死ねないじゃないか、と。
知りたいのに分からないものが、隠し事をされるのが私は好きじゃない。だから、知ることができるまでは死にたくない。
ああ、そうか。私を本当の意味で死なせないためには、こうすればいいんだ。
でも、どうして。
『……それと、余計なお世話かもしれないが』
『自分から死を選ばないでほしい』
そう差し出された言葉が、
『あいつに何を言われたのか、あなたがどんな思いで飛び降りたのかは知らない』
『でも、まだ諦めるのは早いと思う』
瞳を通じて脳内に反響した。
折原さんに言われたこと、この人に言われていること。私の思っていること。
すべてをひっくるめ、
私は折原さんを見つけて理由を聞くその日までは、生きることにした。
♀♂
「情報料は無料だけど、まだ教えられない」
「どうして」
「今の君は、また死のうとするかもしれないから」
ひとりで赤身のお寿司を食べきってしまった折原さんは、そう言って何の意味もない笑みを浮かべる。
「まだきみには生きていてもらいたいんだよね。自分は気付いてないかもしれないけど、きみはなかなか見どころのある人間だから」
「……見ていて面白いって意味ですか」
「そう。それ以外に、理由なんてあると思う?」
ないですよねー。
期待なんて微塵もしていませんでしたともええ本当に本当に……。
「……やっぱり、あなたは非道い」
期待させて突き落として、強引に立ちあがらせてまた突き落とす。
絶対、この人に本当の信頼関係というものは築けないと思う。そんなことを繰り返している限りは一生。
人を玩具のようにしているこの人に、そんなものが築けてたまるものか。
「でも」
持参した湯呑に口をつけて、
「そんな折原さんが、嫌いじゃありません」
「へえ……」
私は机の端だけを見つめて、淡々と言った。
「だからって、好きでもありませんが」
少なくとも、延々嘘を並べ立てて、騙してまで相手を貶めるような人間よりマシだろう。
この人はある意味、正直者だ。
物言いが正直だとか誠実だという意味ではなくて、表面上を繕う気が全くない。
その部分だけは、好意的に思えた。
――そしてこの段階では、それが私の推測だった。
「ふうん……まあ、嫌われてないだけ良いことにするよ」
「嫌われたくないなら、それ相応のことをしてください」
ごちそうさまでした。
これ以上折原さんと話しているとヒットポイントもマジックポイントも吸収されてしまうような気がしたので、自分の使った食器を流し台へと運ぶために立ちあがった。
「いくつも聞きたいことがあるんじゃなかったっけ?」
「また後で、聞きます」
食器洗いますから、早く食べてください。
それだけを言って、私はスリッパの音をならせながら折原さんに背を向けた。
(死ねない理由はあなたにある)
生きなくちゃ、いけませんか。
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