ST!×1 | ナノ
どこか見覚えのある場所だなと首を傾げる。
噴水のある池袋の公園、うん。やっぱり見覚えがというか。
「ここって、二か月前も来ましたよね」
「そうそう。そこできみが男子トイレに入っ」
「言わないでください」
何を堂々と言いはじめるんだこの人は。
強制的に会話の流れを遮断して、そのときのことを思い返そうとしたのだけれど、良い思い出がまるでない。
思い出すのはやめにしよう。
「そういえば、君の左手ってどうなってるの?」
やめにしようと思ったのに。
そう自分の表情が訝しいものになるのを感じつつ、素直に口を割る。
「跡はもう消えないそうですが、神経は傷ついていなかったので日常生活に問題はないそうです」
医者に聞いたことをそのまま伝えると、折原さんは白々しい笑みを浮かべた。
「あのときは痛い思いさせてごめんね」
「笑顔で言わないでください」
「俺もあそこまでするつもりはなかったんだけど、つい」
「何がつい、ですか。あれかなり痛かったんですよ刺した時よりも痛いぐらいで、」
「じゃ、次からは気をつけてよ」
「気をつけるって……私がですか」
自分の手を刺さないように?
そんなの私だって二度としたくはない。あのときの私は完全にどうかしていたのだ。
折原さん風に言えば今は少しだけ冷静になれている。
そう思い出したくないと言いつつ苦いことを思い返していると、
「知り合い見つけたから、声かけに行っていい?」
その疑問形の言葉に反して、折原さんは私の腕を掴み歩きはじめた。
最初から私の意見なんて聞く気はないらしい。なにをいまさらと言われるかもしれないけれど。
私の無言を肯定と判断したのか、折原さんはしばらく直進して、ある男子高校生2人の近くで立ち止まった。
そして。
「やあ」
例の爽やかさ全開の笑顔で、そう声をかけた。
すると、髪を染めている高校生の方がとても驚いた様子をみせながら、ゆっくりと振り返る。
顔には脂汗を浮かべて、明らかに怯えと嫌悪が入れ混じった感情をその瞳に宿していた。
そんな友人(かな)の様子に気づいたらしい隣の黒髪高校生もこちらに目を向ける。
ただ、その顔にあるのは誰だろうという感じの疑問の念だけだったので、きっと折原さんの知り合いは髪を染めている高校生の方だ。
というよりこの男の子、滅茶苦茶おびえているように見える。
「久しぶりだね、紀田正臣くん」
「あ……ああ……どうも」
ぎこちなく答えるその少年に、私は見覚えがあった。いや、本当のところは名前を聞いて気付いたのだが。
今すぐにでも声をかけたい衝動にうずうずしながら、折原さんの手前どうにも声が出せずにいた。
私の斜め前に立っている折原さんの表情は分からないけれど、いつもどおりに違いない。
この人は、私が彼と知り合いだと知っているのだろうか。
「その制服、来良学園のだねえ。あそこに入れたんだ。今日入学式?おめでとう」
「え、ええ。おかげさまで」
「俺は何もしてないよ」
「珍しいっすね、池袋にいるなんて……」
「ああ、ちょっと友達と会う予定があってね。そっちの子は?」
いきなり自分の話題が出たことに驚いたような黒髪少年と、一瞬目があった。
この人とかかわらない方がいいよ。そういう意味で見つめ返してみたけど、小さく首を捻られた。うん、察してもらえていない。
「あ、こいつはただの友達です」
何かをさけているように言う正臣くんは、どうやら私に気づいていないらしい。
折原さんの存在だけで、手が一杯という感じだ。……この人、彼に一体何をしたんだろうか。
そんな私の思考など知るはずもなく、折原さんは普通に自分の名前を名乗っていた。
ちょうど二か月前、私と初めてあったときのように。
ちなみに、礼儀正しい黒髪高校生の名前は竜ヶ峰帝人くんというらしい。
折原さんはエアコンみたいな名前だね、と言っていたが、一瞬なんでエアコン? とか思ってしまった。
霧の方とかけてたんですね。
そしてその竜ヶ峰くんだが、自己紹介を終えた今、控えめにこちらをみている。
名乗ろうと私が口を開く前に、
「ああ、彼女は俺の同居相手」
「その言い方……第三者には誤解をあたえるので、やめてください」
折原さんの言葉につっこみをいれてから、少し緊張して口を開く。
「その、折原さんの助手みたいなものをやっている、野崎ユウキです」
淡々とそれだけを言った。
これで気づいてもらえなかったらショックだなと思いつつ正臣くんの方に目線をやると、彼はもの凄く驚いたように目を見開けていた。
……いや、私も驚いたことには驚いたけれど。
そんなに?
「なんで、ユウキさんが……」
「ええと、最後に会ったのは正臣くんが5年生のときだっけ。覚えてくれてて、よかった」
そう安堵して少し頬を緩めると、折原さんが「へえ」と呟いた。
「きみたち、知り合いだったんだ」
「5年前に住んでた家の、お隣さんだったんですよ」
一応答えながらも、折原さんの笑みがどこか嬉しそうでゾッとしない。
正臣くんが怯えていることといい、この何とも言えない笑顔といい、本当に得体のしれない恐怖が付きまとう人だ。
「なんかすごく変わったね、正臣くん」
けれど、彼ともう一度会えたのはとても嬉しい。
そんな気持ちで、思わずそんな言葉を口にした。
髪を染めてピアスをしている今の彼の姿は、幼少期を知る大人からすればやさぐれた、生意気になった、大きくなったねのどれかなわけだけど、私からすれば少し面白い。
『ユウキ姉ちゃん』と私のことを呼んでいた正臣くんが、こうなるとは。懐かしいやら寂しいやら。
「……ユウキさんは、その、あんまり変わってませんね」
「……そう?」
五年前の私と、今の私。
見た目はあまり、変わっていないらしい。
そう外見のことだけを考えて『変わっていない』と言われるのも、少し複雑な気分だった。
「やっぱり、大人っぽくなれてないか。私」
「い、いやいやいや!そういう意味じゃなくてッ」
「身長も五年前から全然伸びてないし、成長期の正臣くんが羨ましい」
なんだか慌てている正臣くんに、半ば冗談交じりでそう言ってから。
「でも、本当に大きくなったね。うん、すごく格好良くなった」
少し頬を緩めてそう言うと、正臣くんは照れたように笑った。こういうところは変わってないみたいだ。
「紀田くん、なんかキャラ変わって、」
「俺はいつもこんな感じだよな!!帝人ッ」
……まあ、昔の知り合いの前では猫かぶっていたいものだよね。
なんて、なごみ合っていたはずだったのに、不意に腕を強く掴まれた。
「じゃ、そろそろ待ち合わせの時間だから」
折原さんが行きと同じく私の腕を掴んで、正反対の方向へ歩きはじめてしまった。
もう少し話していたかったのだけれど、この人が言うならば仕方がない。
「またね、正臣くん。と、竜ヶ峰くん」
振り返って手を振ると、竜ヶ峰くんはおずおずと会釈をして、
正臣くんは怒っているような笑っているようなおびえているような、そんな変な表情をして手を振り返してくれた。
……私との再会を喜んでくれてるってだけじゃ、ないような。
そうどうしたのだろうと無言で歩き続けて、とある通りに出たときだった。
「やめようかとも思ったんだけど、やっぱり連れて行くことにするよ」
「……え」
折原さんが満面の笑みを浮かべてこちらへ振り向いた。
(隣の家の正臣くん、随分大きくなったね)
「……なんでだよ」「紀田くん?」
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