ST!×2 | ナノ
「折原さんッ」
「遅いよ」
聞こえたユウキの声に、折原臨也はいつもの笑顔を浮かべて振り返った。
なかなか仕事が終わらなかったことへの腹いせに少し彼女へ意地悪して、当然それに彼女が憤慨していることはわかりきっていたからだ。
だからおそらく、目を合わせた瞬間に睨まれるだろう。
そう予想していたのだが――。
「折原さんッ!」
彼女は睨み付けるどころか、完全に目を泳がせていた。
加えて言ってみれば、駆け寄るスピードをまったくゆるめず、体当たりを決められる。普段ならば造作もなく避けられるのだが、臨也にしては珍しく、少しばかり不意をつかれた状況だった。
「……なに?新手の復讐方法かなにか?」
僅かによろけはしたものの、一応彼女を抱き留める。
「なんなんですか、本当に私を殺したいんですかあなたはッ。ならそっちが殺しに来ればいいじゃないですか、こんな回りくどい方法で殺されたくはありません!」
珍しいというより、初めてかもしれない。こんなユウキを見るのは。
よくよく見れば確かに怒気も含まれているが、それよりも明確な怯えが彼女の表情に見てとれる。
――回りくどくなければ殺してもいい、みたいな話にも聞こえるけど。
彼女の言葉に思うことはある。
しかし、普段から物理的接触を完全に拒む様子を考えれば、こうして身を任せられている現状など異常事態だ。
「とりあえず、この場を離れようか。さすがに視線が痛いから」
「そっちは絶対に行かない方が……」
「こっちには行きたくないってことね」
よほど何かに警戒しているのか、ユウキは歩き始めた臨也の腕にへばりついたまま、しきりに辺りを気にして足を進める。
そこら辺にいる変質者程度では、彼女がここまで怖がることはないだろう。まさか幽霊にでも遭遇したのだろうか。
『幽霊』という言葉になら、少し思い当たることはあるのだが。
きっと明日には酷い自己嫌悪に陥るんだろうと予想をつけつつユウキの様子を横目で見、ロシア寿司から少し離れた公園のベンチに座らせた。
「それで、どうしたって?」
未だに周囲をちらちらと伺っている彼女は、おずおずと口を開く。
「……その、折原さんに会うまでに、赤い眼をした女の子に襲われまして」
「赤い眼?」
『幽霊』という言葉に関連付けて思い出していたもの。
それにひどく特徴の似た言葉に反応し、臨也は思わず聞き返した。
その問いにユウキは頷き、自分を襲ってきた赤い眼のことについて少しずつ話し始めた。
それは中学生ぐらいの女の子だったということ。
尋常ではないスピードで走り、問答無用で斬りかかってきたこと。
自分に好意を抱いているような発言を繰り返していたこと。
とても正気とは思えなかったこと。
殺されかけたにも関わらず、そこまで冷静に語るユウキへ、臨也は素直に感心した。
そんな目に遭った人間は、大抵錯乱状態で会話がまともにできないものだ。
「ふうん……」
「……あの、折原さんが仕掛けたんじゃないんですか」
「残念だけど俺は何もしてないよ」
そう返すと、ユウキは自身の膝に置いた手を強く握りしめる。
「じゃあ、あれって……もしかして、本当に幽霊の類ですか」
「さあ、どうだろうねえ」
『赤い眼』について前情報を持っている臨也からすれば、あながち間違いにも思えない言葉だった。しかし、自分が仕掛けたという言葉が心外で、あえて答えをはぐらかす。
案の定その言葉を聞いたユウキは「否定してくださいよっ」と言って、珍しくしおらしい様子で臨也を見上げる。
――いつもこうなら、もう少し可愛がってあげるのに。
「……幽霊を信じていないことが、悪かったんでしょうか。それとも昔からおばけ屋敷を全く怖がらない子供だったから、なにかバチでも……」
そんな人間どこにでもいるのにっ。
そう見当はずれなことへ憤慨しているユウキを眺めているのは、単純に面白い。
臨也がそう意地悪く笑っていることにも気が付かず、彼女は決心したように拳を握る。
「これからは幽霊の存在を信じます、テレビの特番でもそれっぽく怖がります」
「それを俺に言われてもねえ……」
――バカではないはずなんだけどな。
やはり混乱しているらしいユウキは、そこでハッと思い出したように顔を上げる。
「いえそもそも折原さんが私を騙さなかったら、あんなトラウマ決定な出来事には遭遇しなかったんですよ!」
「それはごめんね」
からかっている風でも、ふざけている風でもない臨也の謝罪に、ユウキは少し驚いたように目を瞬かせた。
「不特定の情報でも思慮に入れなかったのは俺のミスだ。うん、やっぱり女の子を夜遅くに出歩せるのは危ないね」
「情報って……あれを見た人が、他にもいるんですか」
見えない疑問符を浮かべて尋ねてきたユウキに、臨也は「そういうこと」と答える。
まだ未確認の情報だったため、それほど重きを置いていなかった。つい先程まで散々この状況を面白がっていたにも関わらず、今は苛立っているように眼を細める。
ユウキをそんな"小さな"ことで、しかも他人の手によって壊されるのは癪だった。
まだ飽きていない玩具を不注意で壊してしまうような、そんな真似をどうしてできるだろう。
心の底で歪んだ感情を抱きながら、表面上は変わらない笑みを浮かべて、
「寿司は明日出前で頼むことにして、今日は帰ろうか。夕食の材料ってまだある?」
何事もなかったかのようにそう言ってのける。
そんな臨也の調子にかえって安心したのか、ユウキはゆっくりと頷いた。
「ありますよ」
「じゃあ、適当に何か作って」
「わかりました」
平静さを取り戻した彼女を惜しいと思いつつ、立ち上がる様子をじっと見つめる。
もしもユウキに壊れる日が来たのなら、そうなる前に自分で壊してしまおう。
そんな臨也の思いなど知ることもなく、彼女はただ夕食の献立を考えていた。
(それはもちろん、こっちの特権)
「折原さん、お互い昨日のことは悪夢を見たと言うことで忘れましょうむしろ忘れて下さい」
「却下かな」
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