電波塔の彼女は、退廃芸術の基板の上に妄執的に組み上げられた前衛的で攻撃的で哲学的な冷たい車椅子の上でぼくを出迎えた。13本目の足が生えかけている彼女は居心地悪そうに体を揺すっては咳払いを繰り返し、まるで今にも肺そのものを異物のように吐き出してしまいそうだ。不快極まる表情で彼女はそれぞれの指がそれぞれ二又に別れた左手を胸のあたりに当てて、ひときわ不愉快な気持ちにさせるまでどんどん表情を歪めていった。
さっきからずっと猫にしか聞こえない声で何かをがなり続けている彼女は背負っていたライフル銃を床に投げ捨てて、ぼくの顔をぎろりと睨みつける。 「死んでしまえ」 丸い地球の上で西と呼ばれる場所が東と呼ばれる場所に変わる、ちょうどその境界線上で生まれた彼女は、どこの出身か判断の付きづらい作り物のような顔をしていた。どんな世界にも憧れを持った浮ついたきもちの人間が半端に命を吹き込んだ人形たる彼女は結局、顔こそとても端正で美しいものの、とてもいびつな体と心をもって車椅子の上で一生を過ごさなくてはならなくなった。彼女の体中に糸をつけて上から吊り操ってくれる誰かはいない。いや、もういないのだ。 白痴のように晴れ渡った青い空に向かって高く細く鋭く伸びる彼女の電波塔は、謂れの無い罵倒や中傷を数えるのも飽きるほど投げつけ続けている。 「機嫌悪いね。鳥は捕れた?」 「ぜんぶミィにやった。もういいだろう」 「…うん、」 「ラハムは?ラハムはどうした」 「食べてないよ。枯れてもいない。…死んでもいない」 「ほざけ」 彼女が口にしたミィという名前の持ち主は彼女の鎖骨のかけらから作られた猫の名前だが、ヤムクシェウと名乗る彼女をはじめにミィと呼んだのは花奈だった。ヤムクシェウ――本来はそうやって読むらしい、いくつかの針金のような直線で彼女が苛々と書き殴った自分の名前、『海文』。彼女曰くラハム――花奈は、それをまるで数を数えるような調子で読み上げた。「み、ふ、み。みふみ。ミィちゃんね」 自分をそんな猫のような名前で呼んだ花奈のことを海文はひどく気に入ったらしかった。そういうわけで、彼女はこの電波塔のてっぺんで、すっかり砂糖と信じ込んだ塩で味をつけた油臭い紅茶と一緒に花奈が遊びにきてくれることを心待ちにしているのだ。 そしてそんな彼女にとってぼくは、敵である。 「ラハムを監禁しているのか?何が望みだ?もう十分あの子を弄んだんだろう?」 「…花奈はあんまり外に出られないんだ。何度も言ったけど」 「嘘だ。オトコは嘘しかつかない。わたしは騙されない」 「――きみに関しては本当に気の毒な目にあったと思うよ。でもね」 「黙れ!」 説得が通じないのはわかっていたものの、彼女の12本とあとわずかの足たちが一斉にのたくって車椅子の上で駄々をこねるように暴れ出したので、ぼくは慌てて言葉を訂正しなければならなかった。彼女の立てる騒音は電波となってここら一帯に目には見えない攻撃を仕掛けるので、花奈が部屋で気まぐれを起こしてラジオでも聞いていたら大変なことになる。海文はそういう、自分の意志の外側で大切な人を傷つけてしまうことがあるという事実を知らない。今から知っても、何にもならない。 「…ああ、コウセウ、お前は嫌いだ。わたしが会いたいのはラハムなのに」 「ごめんね、海文。でもぼくはきみに会わなくちゃいけない。どうしてだかわかる?」 「……知るか」 「きみのその花奈への想いは無駄じゃないから」 「わたしの頭が悪いから馬鹿にしているんだろう?」 海文は五つ又に分かれている真っ青な舌を大きく鳴らして不満を明らかにした。「死んでしまえ」、もう一度したたかにつぶやいてから、彼女は車椅子にわざと大きな音を立てて腰掛けなおす。穴だらけの右腕が面倒くさそうに車椅子の車輪を回し、いじけたこどものようにぼくにわざとらしく背を向けた。 「もうこれ以上お前に教えることなどない。ウォナースオゥについてわたしが知っていることはあれで全部だ。わたしが緑の石を持っているとでも思っているのか?お前の仲間の、チュヴァムといったか、あのオトコのように装飾品でも作るつもりか?」 「…違う。…ぼくが聞きたいのは、」 「ああ、もう駄目だ。今日はもう我慢がならない。今日は駄目だ、駄目といったら駄目だ!」 強い憎しみを込めて海文は断固として言い放つと、反吐が出るとでもいったふうに不快極まりなさそうに顔を歪め、本当に何かを吐き出すかのように下品な咳払いをした。彼女の鱗がびっしりと生えた左腕が床でおとなしくしていたライフル銃を拾い上げてしまったので、ぼくはいよいよ今日はもう無理そうだと諦めることにする。スコープを覗いてしまったが最後、彼女はもう空のパラシュート部隊に夢中になって、ろくに会話などできやしないのだ。 「――コウセウ、お前は死ね。お前だけ死ねばいいんだ。あのオトコのように」 「………きみが殺したんじゃないの。ヤムクシェウ」 「お前にわたしをその読み方で呼ぶ権利はない」 ぴしゃりと言い放って、海文は大きく怪物のように口を開け、涎が滴り落ちるのも構わずに何かを大きな大きな声で叫び始めた。その声は猫にしか聞こえない声なので、ぼくには何を言っているのか聞き取れないけれど、程なくしてこの小部屋に猫が大挙して押し寄せるのは確実だろう。彼女の二又に別れた人差し指が窮屈そうに引き金に引っかかって、スコープで狙いを定めた獲物を撃ち落とすためだけに、まるでおもちゃのようにいとも容易くそれを引く。 弾は出ない。 「…やあ、当たったぞ」 嬉しそうに海文が言った。ぼくは猫たちと鉢合わせる前に電波塔を下り始めた。 |