燃え盛る建物に残した彼女の最期の表情が、目の奥にこびり付いて離れなかった。



名前に初めて会ったのは、ウォーターセブンでの任務に就いてすぐのこと。
ガレーラカンパニーに出入りする弁当屋で働いていた彼女と、上手く潜り込んだおれが顔を合わせるのはごく自然な流れだった。

安くてボリュームのある弁当は、体力仕事の船大工たちにはそれは人気で、名前の運んでくるワゴンの弁当は昼時がくるとあっと言う間に完売した。


「“今日も瞬く間の完売だな、クルッポー”」

『あら、ルッチさん、ハットリさん。こんにちは』


初めの頃、あまりの売り切れの早さに弁当を買えずいたおれだったが、日が経ってくるとワゴンの現れる時間、場所にだいたいの見当がつくようになり、一番乗りすることも多くなった。
今日のように、例外もあるが。


『今日は遅かったですね?』

「“作業に少し手間取ったんだ。おかげで買い損ねだポッポー”」

『今日は秘伝のデミグラスソースをたっぷりかけたハンバーグ弁当だったんですよ』

「“ああ、それは実に残念だ…”」


おれが肩をすくめれば、同じようにハットリも肩をすくめた。
そんなおれたちを見て、名前がくすりと笑う。ああ、いつもの笑みだ。


『…取り置き、してありますよ』

「“!”」


彼女はワゴンの下から先程売り切れたはずの弁当を出してきて、箸を添え、おれに差し出した。


『いっぱい食べて、お仕事頑張ってくださいね』

「“…いつも申し訳ない。ありがとう”」

『いいえ。あ、それと、これも』


思い出したように豆の入った小袋を弁当箱のうえに置き、“ハットリさんの分ね”とはにかむ名前。このやり取りも、ずいぶん慣れたものだ。どう言う意図があるにせよ、味がよく好ましい彼女の弁当をこうして食べられるのは有難い。


「“今度、何か改めて礼をしなくてはな”」


さっそく豆に釘付けのハットリをなだめつつそう言うと、店仕舞いをしながら、名前は苦笑いを浮かべた。


『お礼なんていらないですよ。私が食べて欲しくて勝手にやってるんですから』

「“そう言うわけにはいかないさ”」

『ふふ、じゃあ今度ランチでも奢ってください。新しくできたパスタのお店、気になってるんです』

「“そんなことでいいのか”」

『十分ですよ』


片付けを終えた名前は、おれたちに向き直りまた笑みを浮かべた。仕事柄だろうが、本当に笑顔の絶えない女だと感心する。


『それじゃあお暇しますね。お仕事頑張ってください』

「“あァ、ありがとう。ランチの件は改めて連絡しよう”」

『はい、楽しみにしてます』


ワゴンを押して帰って行く背を見ながら、頭のなかに“木びきとしての仕事”のスケジュールを思い浮かべる辺り、おれも彼女に何らかの意図を持っているようだった。
しかし、彼女を誘う日は訪れなかった。



アイスバーグの寝室へ至る廊下の隅、蹲る名前は普段の彼女からは想像もできない苦悶の表情を浮かべていた。
彼女がガレーラ本社に来ることは想定外だったが、戦力を持たない女がひとりいたところで何の支障も出ない。


「大人しくベッドで寝ていればよかったんだ」

『?! …そう…ルッチさん、話せたの…』


おれに軽く打たれた腹をかばう彼女の顔に、いつもよりいくらか弱々しい笑みが戻った。


『ずっと、騙してたんですか…アイスバーグさんや…私のこと…』

「……そうなるな」

『…そっか…』


大粒の涙が、名前の瞳からこぼれ落ちる。それでもなお、口元はやや歪んだ弧を描いて震えていた。
遠くで大きな諍いの音が聞こえ、時間が迫っていることを気付かせた。

床に伏したままの名前との間合いを詰めて、細い首を掴み上げる。ぶらりと宙吊りになる華奢な身体からは、今日の弁当の仕込みの名残りか、かすかにハーブの香りがしていた。


「悪いが、時間だ」


今まで幾人もの命を奪ってきた指先を、名前の身に沈める。脈打つ熱い感触、腕に伝う熱い体液、それがやけにリアルに感じられた。虫の息の彼女の口がやわく開くのに気付き、目を見張った。

名前は、いつもの笑顔を浮かべていた。


「名前、」

『…まだ、ランチ、奢ってもらって、ないです、よ…』

「!」

『うそ、つき…』


ゆっくり閉じていく瞼。
力の抜けた腕から、どさりと落ちる名前の身体。


「名前……」

「ルッチ?」

「! …カクか」

「何しとるんじゃ? 早く行くぞ」

「…あァ」


赤い水溜まりを広げていく名前をひと目見やって、おれはその場をあとにした。

いっそひどい裏切りだと心底憎んで睨め付けてくれたほうがいくらかましだった。あんな、騙されたことに傷ついて、それなのに、咎め切れずいるような、そんな、生温い眼差しを向けるなんて。

胸のどこかが欠け落ちたような感覚が何を意味するのか、そのときのおれにはわからなかった。
燃え盛る建物に残した彼女の最期の表情が、目の奥にこびり付いて離れなかった。




「今でもそうさ。おまえの最期の表情が目の奥に何度も甦ってくる」


姿を潜めて訪れたウォーターセブンのとある墓地で、足元にすり寄ってくる猫の背を撫でながら独り言ちた。猫の澄んだ眼差しが彼女のそれと重なって、いよいよ鮮明に、最期の記憶が頭をよぎる。


「おまえを殺したとき感覚。あれの答えをやっと得たんだ」

「みゃあ」


おれの台詞に返事をするように、大人しく撫でられるままの猫が鳴いた。今日は気分がいい。滑るように言葉が口をついた。


「恋、だった」


名前の身体を己の爪で貫いたあのときの、時間が止まったような、胸のどこかが欠けたような、あの感覚。あれは思うに、恋しい相手を殺めたことへの喪失感。それだったに違いない。
2年経ってやっとそのことに気付くなど、我ながら呆れたが、血を望む欲だけの、感情とは無縁の世界に生きているのだ。仕様もない。


「そう言えば、おまえの行きたがっていたパスタの店だが、味が今ひとつでつぶれたらしい。行けなくてよかったな」

「みい」


機嫌よく相槌を打っていた猫が、おれの手をすり抜けて軽快に歩き出した。そのあとを追うように、立ち並ぶ墓標の横を歩く。例の一件以来虱潰しにこの辺りの墓地を訪ねてみたが、幸か不幸か、彼女の墓標は見つからなかった。あの炎で骨まで燃えてしまったか。はたまた。


「行く宛てがなくなっちまったどころか、もうおまえもいない。礼の件はなしだな」

「みゃ?」


不意に振り返った猫の瞳にやはり彼女を思い出して、胸の奥がきりりと痛んだ。
この先、名前の面影を忘れ去る日はきっと来ない。

面影は時に呪縛となる
title by ひがしさま


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