これと思ったときには、もう絡め捉えてしまっていた。
ペロスペローはのちにそう語る。



天気は晴れ。暑くもなく寒くもなく、時折心地のよい風が吹く午後。
絶好のアフタヌーンティー日和と言える穏やかな万国の海のうえに浮かぶ船から、小さく響く啜り泣き。


『うっ…ううっ…』


敵意のないことを示すために挙げた両手ごと、甘い甘い飴に固められた娘は哀れなほど大粒の涙を流して、わずかに動く肩を震わせていた。


「おいおい、そんなに涙を流したら干涸らびてしまうんじゃないか? ペロリン♪」


身も世もなくさめざめと泣く彼女の自由を奪った張本人、四皇ビッグ・マムの長男ペロスペローは、娘の目から絶え間なくこぼれ落ちる雫を骨張った長い指で拭いながら至極楽しそうに笑った。


「死ぬのが恐いか?」

『うっ…こ、恐いです…! 殺さないでください…ぐすっ…』

「くくく、四皇のナワバリを荒らしておいて“殺さないでくれ”とは面白いことを言うなァ?」

『誤解です…! 荒らす気なんてこれっぽっちも…!』


娘の乗っていた船は、世界中の国々の珍しい“特産品”を集めては各国に卸し商売をする商船で、今は無類のお菓子好きであるビッグ・マムの治めるこの万国を航海し、様々なお菓子の仕入れを行っているところだった。

単なる商船とは言え、新世界を航る船。やむなく戦闘に巻き込まれることもしばしばあった。そのため備えてある大砲のメンテナンスをしていたとき、不運な事故が起きた。


『大砲が…大砲が暴発してしまっただけなんです…! 攻撃を仕掛けようなんて、そんなこと毛ほども…!』


砲弾は近くの島の桟橋を海水で濡らした程度だったが、その情報は瞬く間に各所に伝わり、更に不運なことに近くに所用で来ていたペロスペローを寄越すに至ったのだ。

砲撃はあくまで事故であり、故意ではない。娘は必死で誤解なのだと弁明した。
彼女とは違い、口と手足を飴に固められ、甲板に転がされたクルーたちも彼女の言葉に激しく頷く。
しかしそれは特に意味のない行為だった。
彼らに敵意の欠片もないことは、その身柄を拘束した瞬間から、わかりきっていたのだから。


「さて…どうしてやろうか? キャンディーにしてナメてやろうかァ?」


敵意がないと知ってなお商船のクルーたちをいたずらに恐がらせているのは、ペロスペローのただの暇つぶしであった。


『キャンディ…?! あ、飴にされちゃうんですか…?!』

「そうさ。あま〜いあま〜いキャンディーになるんだ。ペロリン♪」

『ひえっ…う…うう…ではどうか、最期まで舐めてください…』

「んん?」


未だはらはらと泣き続ける娘は、意を決したように真っ赤に腫れつつある目をペロスペローに向けた。
どうやら彼の手によって甘いキャンディーになる未来を受け入れることにしたらしい。


『飴に…したら…どうか…痛くしないで…噛み砕かないで…最期まで舐めて、殺してください…』


悲壮な声で懇願する娘。
ペロスペローは、己の腹の底の悪い欲がずくりと疼くのを感じた。ああ、この娘はなんて悦い顔をするのか、と。彼女を捕らえたことはもはや、運命、あるいは本能のように思えた。


「くくく、観念したらしい。最期に言いたいことはねェか? 今際の頼みなら聞いてやらねえこともないぜ?」

『えっ…! じゃ、じゃあ、できればみんなのことは見逃して欲しいです…! ここのお菓子はとても美味しいから、色んな国の人に食べてもらいたい…。…あとやっぱり私も見逃して欲しい…』

「くくっ! 前者の頼みは聞いてやるよ。だが後者は諦めな。おまえをどうするかはもう決めちまった」

『ううっ…そうですか…残念です…』


みんな今までありがとう、さようなら、私とても幸せでした。
捲し立てるようそう口にしたあと、娘は乾くことを忘れた涙に濡れる目をぎゅっと閉じた。甲板のクルーたちが彼女を案じてばたばたと身を捩る。


「いい覚悟だ。ペロリン♪」


ペロスペローが笑みを深めステッキを振ると、娘の肩口からどろりとした飴が迫り上がった。甘い香りのするやわらかな飴の波が、彼女の震える唇を、濡れそぼった目を、風にそよぐ髪を…。




『ほんと、あのときは死んだと思いました』


向かいの席に座る名前は、当時を思い返してか、眉間にしわを寄せて呟いた。


「くくく、あのときの名前の顔は格別に可愛かったなあ、ペロリン♪」


穏やかなアフタヌーンティーに、香り立つアールグレイとレモンタルトを楽しみながら、ペロスペローは笑う。


『笑いごとじゃないですよ! 今でもあの身体にまとわりつく飴の感触を夢に見て魘されるのですから!』

「ああ、ゆうべ唸っていたのはそれでか」

『ご存知だったなら起こしてくださればよかったのに…』

「痛くしないでだの舐めてくださいだの言っていたからなァ…。違う夢でも見ていたのかと思ったんだよ。夢とは言え、邪魔しちゃ悪いだろう?」


にやりと口角を上げてからかうよう言えば、名前は膨らませた頬を赤く染めた。
恥じらいを誤魔化すためカップを口に運ぶと、紅茶の香りがふわりと鼻を抜ける。相変わらず抜群に香りのよい茶葉だ。


『初めて会ったときから、意地の悪さは変わりませんね』

「そんなに意地悪だったか?」

『意地悪でしたよ! 殺す気もなかったのにあんなに脅して! その口で私を妻にするだなんておっしゃるのだから、混乱して気が狂いそうでした!』


すました顔で自分と同じように紅茶のカップを傾けるペロスペローに、名前が吠える。
ペロスペローは、再び頬を膨らませた名前を見やりながら、当時、不審な船の報告を受けた際に面倒だからすべて“処理”するつもりだった事実があることを伏せておこうと思った。


「そう怒るなよ、名前。仕方なかったんだ」

『もう、何が仕方なかったって言うんですか』


レモンタルトはいつの間にか綺麗に平らげられていた。その皿と紅茶のカップをトレイに戻そうと席を立ちかけた名前の足を、どろりとした感触が襲う。


「これと思ったときには、もう絡め捉えちまってたのさ」


初めて会ったときと同じように彼女を飴のなかに閉じ込めて、ペロスペローはかすかにレモンとアールグレイの香る唇に口付けた。

あの子が欲しい
title by 愛執


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