雨が降っていた。私は何をするでもなく、ただ縁側に腰かけて、中庭の木々に雨粒があたる音を聞いていた。
「雨の夢、ですか。昨日は雨でしたからね。そのせいでしょうか」
また、雨が降っていた。私は同じようにぼんやりと縁側に腰を下ろして庭を眺めていた。違うのは雨音に混じって啜り泣く声が聞こえること。誰か、泣いているのだろうか。
「啜り泣き? そう言えばゆうべ主の部屋の近くで、怖い夢を見たから隣で寝てほしいと秋田藤四郎と五虎退が一期一振に頼んでいましたね。その泣き声が耳に残っていたんでしょう」
雨は止まない。啜り泣く声も止んでいない。
雨音は強まるでもなく弱まるでもなくただただ鳴り続いていたが、哀れっぽい声はその音に消されることもなく私の耳に届き、座ったままだった私はようやく腰を上げた。あの子を泣いているままにはできない。捜して、泣き止ませてやらないと。
「また啜り泣く声を? そうですか…大丈夫ですよ、夢は夢に過ぎません。ね?」
変わらず響く雨音と泣き声を聞きながら、本丸を歩き回る。誰もいない部屋をひとつひとつ覗いて、あの子の姿はないかと目を凝らした。声は聞こえているのに、どこにいるのだろう。待っていて、今行ってあげるから、すぐいってあげるから、泣かないで。
「声を探して? …一度そちらに明るい者に夢のことを話してみてはどうでしょう。悪い夢だとことですので」
雨の音が遠のいた。代わるように啜り泣く声が大きくなる。ああ、ここだ。この部屋から聞こえている。間違いない。待たせてしまってごめんなさい。今いくから、もう大丈夫よ。
「主、その障子を開けてはいけません。にっかり青江も石切丸もそう言っていたでしょう。開けてはいけません。声をかけるのもだめです」
もう完全に雨音は聞こえなくなっていた。悲痛な啜り泣きだけが耳をつきさく。戸の前で、じっと佇む。早くそばにいってあげたい。大丈夫だと優しく囁いてこの腕に抱いてあげたい。
ああでもだめだ。この戸を開けてはいけない。戸の向こうのあの子に、声をかけてはいけない。
「そうです、開けてはいけません。話しかけてはいけません。絶対にいけませんよ、主」
また障子戸の前で立ち尽くし、悲哀に満ち満ちた啜り泣きを聞く。戸に手を伸ばしては下ろし、口を開きかけては閉じ、それを繰り返した。泣かないで、ここにいるから、泣かないで。
「…開けても、いいですよ。声をかけてもいい。あなたがこれ以上窶れていくさまを、俺はもう見ていられません。主の御随意に」
許しを得た。雨音が再び聞こえていた。
目の前にある障子に手をかけ、迷うことなく戸を開ける。ああほら、もう泣かなくていい、そばにいてあげるから。
『長谷部、』
蹲って啜り泣く長谷部を抱き締めると、彼は謝りながら縋りついてきた。私を夢に誘っている自覚など微塵もなかったんだろう。自分の欲にすら気付けないなんて、どこまで健気でいじらしい愛し子だろうか。
さらさらとした煤色の髪を梳くように撫でていると、開け放ったままの障子の向こうから、雨音に混じってふたり分の溜め息が聞こえた。
「ああ、遅かった」
「そうだね、やはり開けてしまったようだ」
嗚呼、確信犯は誰だったか。
ゆめうつつ
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