愛されなかった女と、選ばれなかった女と、忘れられた女と。
どの女が、一番に不幸だと思いますか。

明日の天気をたずねるかのように、何の前触れもなく、そいつはただ唐突にそう問うた。


「妙なことを聞きやがる」

『答えてくださいよ、ねえ』


ソファに座って寛ぐおれに背を向けたまま、バルコニーに出た女は早く答えろと急かす。
そよぐ風が女の細い髪を揺らした。ほのかに漂ってくる花の香。


「愛されなかった女」

『理由は?』

「フフ、理由までいんのか、めんどくせえ」


サイドテーブルにあった女の淹れた紅茶をひと口煽ったが、もう冷め切っていてちっともうまくなかった。女は変わらず、空のほうを向いたまま。


「女って奴ァ、好いた男と愛し愛され、ってのが夢なんだろ。だったら愛されなかった女は不幸なんじゃねえのか」

『へえ、女をずいぶん可愛く理解しているんですね』

「癪に障る言い方すんなよ。殺すぞ」

『まあ怖い。ごめんなさい、冗談ですよ』


女がかすかに笑ったのがわかって、殺すぞなんて言った手前、妙に満足した。
味の落ちてしまった紅茶を飲むのは諦めて、お茶請けに出されていた女が焼いた菓子をつまむ。少し湿っぽくなっているような気がしなくもないが、冷めた紅茶よりいける。


『私は、忘れられた女が、一番不幸だと思うんですよ』

「へえ?」


女の言葉に適当に相槌を打った。もうしいて、女の話に興味は持っていなかった。それでもとりあえず、聞いている真似くらいはしておいて損はない。生返事でも相槌があれば、女と言うものは勝手にぺらぺら喋るのだ。


『…愛されなくても、選ばれなくても、少しでも記憶に残っていられれば、いいほうです』

「そんなもんか」

『そうですよ、だって、忘れられてしまえば、記憶にすらいられないんですもの』

「そうか」

『…ねえ、若様』


ふと呼びかけられ、最後の菓子を頬張りながら女のほうを見やれば、ようやく、こちらを向いた女と目が合う。心なし瞳が潤んで見えるのは、光の加減だろうか。


『私、そろそろお暇しますね』

「ああ、そうか」

『それじゃ、ごきげんよう』


すたすたとおれの前を横切ってドアへ向かう女。なぜか呼び止めたいような気がして、背を追うように手を伸ばしたが、どうしたことか、声が出せなかった。
呼び止めようにも、できないはずだ。
ノブに手をかけた女が振り向いて泣きそうな顔で笑った。


『若様、私の名前、ご記憶されてないでしょう』


そうだ、女の名前を、おれは、知らない。

忘れられた女


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