▼文字と神様。



私は文字がよめない。そう気づいたのはこちらに来てしばらくたった頃だった。

話が出来ていたので気づかなかったが、こちらの文字はアラビア語のようにも見える。せめて英語に近ければ良かったのに、とも思ったが、話せるだけでも感謝しようと思った。

こちらは眞王という存在が私の世界の神様と同じ位置にいるのだと聞いたが、それを教えてくれたアーダルベルトさんが苦虫を噛みつぶした様な顔をしていたのであまり良い思い出がないのかもしれないと思った。もしかしたら無神論者なのかもしれない。
だから私も、眞王とやらに祈るのはやめて、自分の世界の神様に感謝しようとしてふと気づいた。そもそもこちらにきてあんな目にあったのは誰のせいだ。

そう思えば私もあまり神様とやらとは相性が悪いらしい。むしろ嫌われている気がする。そんなことすら忘れていた私の脳味噌はよっぽどお花畑だ。しかしアーダルベルトさんに出会えた事だけは感謝してもいいかな、と思うことにした。

それから、文字を勉強することにした。神様に見放された以上、私はここで自分の力で生きていかなければならない。といっても多分、神様でなくてもアーダルベルトさんに見放された瞬間死ぬんだろうなとは思う。それはそれで仕方が無いとしても、アーダルベルトさんに迷惑をかけることはできない。常識もない子なんて、私だったら嫌だ。

おずおずと勉強したいという旨を言えば、アーダルベルトさんは驚いた顔をしたあと嬉しそうに笑った。そして教師役を名乗り出てくれた。私としては何か絵本のようなもので、辞書があればそれで一人で勉強するつもりだったから驚いた。
これ以上アーダルベルトさんに迷惑をかけるわけにはいかないと伝えたが、アーダルベルとさんの大きな手でわしわしと頭を撫でられて、俺がしたいからするんだと言われてしまえば何も言えなかった。

私はこの人の笑顔に弱い。まるで太陽みたいだと思う。でもアーダルベルトさんに教えてもらうのなら、私の良いとは言いがたい頭でもどうにかしてたたき込まないといけないと思った。今までなんの取り柄もない人間だったし、そんなに頭の良い大学に通っていたわけでもない。でも、出来の悪い生徒にはなりたくない。
それと、もしうまく出来たらアーダルベルトさんはまたあの大きな手で頭を撫でてくれるかな、とも。

目下の目標は料理の本が読めることになること、にした。人間目標は必要だ。そして、こちらの料理をちゃんとアーダルベルトさんに作ること。
今、家事全般を私が引き受けているが、作る料理はやはり地球の物になってしまう。私がこちらの料理をしらないのだから当たり前なのだけれど、それでも文句一ついわずに食べてくれるアーダルベルトさんに、ちゃんとしたものを作りたい。

そんな私の野望を知ってか知らずか、アーダルベルトさんの授業は私の予想のほかゆっくりと進んでいた。スパルタだったらどうしようかと思って覚悟もしていたが、きっとアーダルベトさんは私の頭があまりよいとはいいがたいこともお見通しだったのかもしれない。申し訳ない。

でも、今までに無いくらい真面目に勉強をした。キッチンにも覚えるための紙を張ったし(この頃ではキッチンは私の城になりつつあった)、家事の合間を見て勉強をした。アーダルベルトさんが出かけていていない日は、それこそずっと勉強していた。
時間が無いことを言い訳にばかりしていた高校の頃とは大違いだ。これがどこかの偉い人が言っていた隙間時間の活用、というやつなのかもしれない。

アーダルベルトさんにも、ほめられた。よくできたな、偉いな、賢いな、努力したな。彼の褒め言葉は単純で、ストレートだ。そして大きな手で私の頭をなでる。私の好きな笑顔を浮かべて。だから、もっともっと頑張れる、頑張ろうと思ったのだ。







名前が文字を学びたいと言い出したとき、感じたのは驚きと嬉しさと、少しばかりの寂しさだった。

確かにこちらの本も読めないのであれば、つまらないだろう。名前は馬鹿ではない。俺と話しているときも頭の回転は速い。知識も豊富だ。そして学ぶ意欲が沸いたということはこいつに生きる気力が沸いたということを意味する。

そしてこれが、名前からの初めての我が儘だった。いつだってこちらに遠慮しているようにしていた名前からの、初めての。それが嬉しかった。


勉強内容はかなり早めに進めているもかかわらずきちんとついてきている名前に、その努力を垣間見る。俺がいないときやあいた時間は必死に勉強していることを知っている。決して天才ではない。しかしその分努力する。
名前が何か大きな劣等感をいだいている事は感じていた。こいつは自分が劣っていることを酷く気にする。こちらの世界に来た時の事も原因の一つなのだろう。

最初出会ったときにこいつから感じたのは怯え、恐怖、諦め。それだけだ。暮らし始めてからは自身の後ろに鳥の雛のようにずっとついてきていた。
未だ家から出ることはハードルが高いらしいが、たくさんのことを少しずつ克服してきたのかもしれない。
もちろん克服したところで人間の土地で一人で出歩かせることはできないが、自分と共にであれば外に出してやることは出来る。しかしそれは今の閉鎖的なこの空間の終わりを意味する。

胸にくすぶったのは、小さな独占欲。

それを押し隠し、黙々と勉強する名前を褒める。褒められて子供のように嬉しそう微笑む表情に、胸の中の独占欲は増していく。
褒める言葉は心からだ。しかし自分がこの関係の存続を望んでいたとしても、彼女もそうとは限らない。

胸の痛みはきっと、手のかかる子供が独り立ちしたときに感じる寂しさだ。そういいきかせ、すこし歪んだ顔を名前にみられないよう自身の手に比べれば小さなそのあたまを優しく撫でた。



***
130711
夢主が文字を覚えるのはアーダルベルトの為だけだけど伝わってません。ここでもすれ違い。そしてまだ恋ではない。




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