第二十夜
―気づいちゃった、ああでもこれはまだ始まり
「布団を敷くくらい僕にもできるんだけどなあ」
「その前に何で布団をしまわれたんですか。……風邪を引いていらっしゃるんですし、布団は敷きっぱなしにしておいてください」
「はいはい。……また千鶴ちゃんは僕を病人扱いして」
「実際病人です。……それとも何です、早く風邪を治して近藤さんの力になりたいとは思わない……とでも言うつもりですか?」
「そんなわけ無いでしょ。……はあ、どっかの誰かさんとおんなじ。千鶴ちゃんは過保護すぎるんだよ」
「それくらいじゃないと沖田さんは絶対無茶するでしょう。その誰かさんの考えに私は同意します。……もしもの場合は近藤さんにもご報告致しますので」
「それだけは絶対やめてよね。それとも何、千鶴ちゃんはそんなに僕を怒らせて……殺されたいわけ?」
「沖田さん一人相手なら、逃げ切る自信があります」
言ってくれるねと沖田が笑う。……どうやら今日は千鶴には逆らえないらしい。
布団を敷き終わった千鶴がどうぞと沖田を布団へ促すのに、苦笑しつつも沖田はそれに逆らわずに応える。
布団に潜り込めば、千鶴は布団を沖田の肩まで引き上げた。ここまで上げないでという沖田に対し、千鶴は病人なんだから黙っていうこと聞いてくださいと一括する。
……本当に、今日は立場が逆転しているなと沖田が苦笑した。
「……何、笑ってるんですか」
「いやあ、今日は千鶴ちゃんの下克上かなって」
「何馬鹿なこと言ってるんです。……そもそも私は居候の分際ですよ、下克上なんてありえません。沖田さんでもあるまいし」
「ちょっと、最後のところで失礼なこと言わなかった君」
拗ねるように沖田が口先を尖らせ、千鶴を見る。
千鶴の琥珀の瞳を見つめれば、その視線に気づいた千鶴と目線が交わった。
「……どうか、しましたか?」
「……千鶴ちゃん」
「はい」
「……今日は、ここにいて」
「邪魔になると思うんですけど」
「君、忘れてない?……もともと君は監視対象なんだよ、監視する人がいなくてどうするの」
「綺麗さっぱり忘れてました。……別に監視されてもいなくても、私のすべきことはここを脱してまでやらなければならないことではありませんし、逃げはしませんよ」
「……察してよ」
「何をですか」
掛け布団を顔まで引き上げ、なるだけ顔を見せないように努め始めた沖田を千鶴は不思議そうに見つめる。
沖田の言いたいことが分からず、千鶴はただ首を傾げた。
と、一瞬気を抜いたところで沖田が顔を出し、千鶴へ腕を伸ばしてくる。
それにすぐさま反応できなくて、千鶴はそのまま沖田にされるがままに引っ張られた。
「……っ沖田さ、」
「黙って」
「……………」
ぐい、と引っ張られた先に待ち受けていたのは、沖田の布団。
ぽすりとうまく布団と沖田の間に体が収まる。何が起きたのか理解できなくて、千鶴は目をぱちくりさせた。
ぱちぱちと何度目かの瞬きをしたとたん、沖田が笑う。
「あははっ、何その顔、面白いね」
「……っな、ななななにするんですか……っ!」
「でももう少しかな」
「何がですか!」
正直言ってもいいだろうか。
この展開、千鶴にとっては『嫌な予感』しかしない展開だ。
きっとこのあとは不意打ちのせいで赤くなった顔を見た沖田さんにからかわれるんだ、こう言われたらこう返してやる、などとこの状況で考えられる千鶴はある意味強者だと思う。
いつもいじめられているという現実はこういう時に限って役に立つらしい。
沖田は千鶴の手首を掴んだまま起き上がり、体制を整えた。
「……何で逃げようとしてるのかな」
「嫌な予感しかしないからです」
「嫌なことをするつもりは毛頭ないんだけど。……でもこの状態で僕が君を逃がすと思う?」
「思えないから逃げようとしてるんじゃないですか……!」
掴まれている手首をどうしようかと思案に入ったとたん、急に沖田の手の力が緩んだ。
……今だと千鶴が手を引っ込めようとした瞬間、沖田からかすれたような一声が聞こえてきて、千鶴はそのまま固まる。
「……沖田、さん?」
そして、沖田はその一瞬を予想していたかのようにまた手に力を入れた。
先ほどと同じ体制のため、千鶴が沖田を見るにはどうしても彼を見上げなくてはならなくて、必然的に首の後ろが攣りそうになる。
けれど、どうしても顔を逸らしてはいけないような気がして、千鶴はそのままの体制を保っていた。
「……君のことを、教えて」
「――……え……」
「探るなって言われたわけじゃないけど、さっきのは完璧に牽制だったでしょう?……でも、きっと詳しくは説明してくれないだろうし」
「……」
「言えないの……?それとも、……僕には、言いたくないことなの……?」
「……え、と………」
「僕のこと、そんなに嫌い?」
嫌いなわけない、と突拍子もなく喉をついて出そうになった言葉に自分で驚く。
沖田自身が嫌い、というわけではない。ただ、人間という存在すべてが憎い……ただの憎しみの対象だっただけ。
逆に、沖田のことはだんだん好きだと思えるくらいに心を許しているのだ。自分をそんなに嫌いなのか、と問われて千鶴が動揺するのも無理はない。
「沖田さんのことは、嫌いではないです……」
「………」
「……信じても、大丈夫ですか……?」
「大丈夫。……誓ってもいいよ。……だから、僕を信じて……ね?」
そう耳元で囁けば、驚いたように千鶴の身体がぴくりと揺れる。頭をなでてやれば、だんだんと落ち着きを取り戻したのか、こわばった身体から力が抜けていく。
千鶴は何か考え込むように黙り込み、その表情をくるくると変える。葛藤した表情はそれはそれで可愛らしい。
「……沖田さんだけ、ですからね」
「うん、知ってる」
「……私が泣いても、知りませんからね」
「うん、大丈夫」
「……じゃあ、話します。……私の持つ力についてだけ、ですけど――」
***
「……寝ちゃった、かぁ」
あまりこういう空間で安心されても逆に困るのは沖田だ。はたして今、沖田の横で寝息を立てている少女はその事実に気づいているのだろうか。
まだまだ子供だ、と思っていても、千鶴の身体はだんだん女らしく丸みを帯びてきている。
いつの間にか、時間は過ぎていた。気づかないうちに、この少女が自分の心をこんなにも穏やかにしてしまうくらいには長い時間が。
「何で、こんなに惹かれるのかな」
彼女の気高さ、彼女の高潔さ、彼女の志。全てが全て、ただの綺麗事だと抜かすには――あまりにも千鶴は純粋すぎた。
そう彼女を罵れたならどんなに気が楽か。早く、早くほかの町娘と同じだって思わせて欲しい。
きっとこの子は、どれほどの修羅場を潜っても――どれほどの苦渋を強いられても、どれほどの血を浴びたって、きっと美しいままだ。
「……こんなに綺麗なのに、簡単にこの子は殺めることができる」
それはもう、冷酷非情と言われる自身以上には冷酷に。
彼女の姿はきっと周りから見ればただの冷酷さしか持たない少女、かもしれない。
けれど、彼女はそれだけではないと――……沖田たちだけは、知っている。
純粋で、わかりやすくて、素直で、可愛くて、愛しくて――沖田はいつの間にか彼女にこんなにも絆されていた。きっとそれはほかの幹部も同様。
だからこそ、突如見せられる彼女の冷酷さには息を飲む。罪悪感をまるで感じていないかのような、逆に血を浴びることを楽しんでいるような高揚した瞳は今でも覚えている。
「ああ、そっか」
どうしてこんなに彼女に興味を持っているのだろうか、と自分でも疑問に思ったことがある。
ただ初めは単に、彼女の独自の剣術に不覚にも目線を囚われてしまったからだと思っていた。
それから何度も自分がわからなくなり、悩んだ。
ある日、仲間のある一言で全ては解決する。
『意識することは恋の始まりなんだよ。恐怖でも怯えでも執着でも興味でも――意識は意識だろ?』
―――今なら、彼の言った意味がしっかり理解できる。
(いつの間にか、僕は)
綺麗で美しい、けれども紅く儚い桜に惹かれていたんだ。
(気づいちゃった、気づいちゃった。ああでも彼はそれにしか気づかない)
(近づく未来、その先に待ち受けるのは)
(絶望か、希望か)
*(20130507:公開)