第十九夜 | ナノ

十九夜

―彼の想いは、ただ







 ―――気づかれていないみたいで内心安心している私がいる。
 …先程、風間さんの刀に亀裂を入れられたのは私の持つ符を使ったからだ。
 生憎、剣術については兄からしっかり学んだとは言え力勝負では勝てない。それが前々から分かっていたことだから、今回は私自身の力を使用させてもらった。
 感がいい風間さんならもう気づいていたはず。彼とは一回池田屋で戦ったことがあるから、あの時本気で打ち込めなかったとは言え力の差がかなり開いていることに気づかないわけがない。逆に気づいていなかったのなら、それはちょっとどうかと思うけど。
 北の――特に雪村の一族の者は必ずといっていいほど持って生まれるこの力。私の力は数種類にも及ぶといったけれど、大抵は符を媒体にしてその力を使う。
 その符がなければ力は使えないといっても過言ではない――。…でも、その符は紙ではなくてもいいという、個人的にはすごくありがたい条件がついていた。
 そして、今回もそれだ。…さすがにこの屯所で紙をもらったり、硯や墨、筆といった道具をいきなり借りるのは不自然すぎる。紙と違って、そこらに落ちている枯葉なら、軽い術を唱えておけば符の代用には十分だった。

 "増幅"という符を使ったけれど、まさかあそこまでできるようになるとは正直思っていなかった。
 足が早くなったのもきっとその符の効果だと思う。私の力は"代償"を必要とするものではなく、"制限"がついているものだから体にはなんの異状もないし一石二鳥。生まれて初めてこの力に感謝した。
 多分、もう風間さんは追ってこない。さっきので私の力を見せつけてやったから、迂闊に追いかけられないというのもあると思うけど。それでも、追いかけてこないでくれるというのがこんなにも気が楽だなんて思わなかった。
 人間相手じゃともかく、鬼が相手では逃げられる保証はどこにもないから。
 
 そして、私は今現在山崎さんと一緒に屯所に走って戻っている最中だ。
 あまり息切れもしないから、山崎さんにもう少し速く走っても大丈夫ですよと言ったら驚いた顔で呆然とされた。
 ということがあったので、今は山崎さんの全力疾走の速さで走っているところ。

「…山崎さん」
「なんだ?」
「こんな早く走ってるのに、息切れしてないなんてさすがですね」
「それを言ったら君もだろう。女子だというのに、よくついてこられたなというのが感想だ」
「よく言われてました」

 そう微笑んで言えば、山崎さんも微笑み返してくれる。滅多に見ることがない彼の微笑みに、私も笑顔を作る。
 だんだん屯所の入口が見えてきて、私は安堵のため息をつく。今日はいろいろと忙しすぎたかもしれない。

「……俺は、副長たちの所へ戻る。今の屯所にそれほど隊士は残っていない。沖田さんか藤堂さんの所に行くといい。…恐らく、そこが最も安全だ」
「はい」
「とは言っても、あの風間相手にあれだけ立ち回ったのを見てしまえば…君は自分で自分を守れると勘違いしてしまいそうになるのが本音だがな」
「……………でも、……私は自分の力を過信できませんから。…………沖田さんの所へ行きますね」
「ああ。そうするといい」

 そして、山崎さんの姿は闇に溶けて見えなくなった。


「…沖田さんのところに行かないと」


 そう言って踵を返せば、…やけに静けさが耳について落ち着かない。一刻も早く誰かの声を聞きたい。誰でもいいから、この静かな空間をぶち壊して欲しい。
 …そう、切に願うのは駄目なのだろうか。
 早く抜け出せと警鐘を鳴らす脳内に対し、足取りはとても走ってきた時とは比べ物にならないくらい重かった。




「―――あれ、千鶴ちゃん…?」
「はい」

 私が広間に入れば、沖田さんは刀の手入れをしている最中だった。そう言えば私の刀は大丈夫だろうかと今更ながら心配になる。
 あとからしっかり手入れをしようと決心して、まずは沖田さんに状況を説明しなければと彼の目の前で膝を折った。
「…何かあったんだ」
「はい。…簡潔に言えば、"鬼"達――風間・天霧・不知火の3名が私を狙ってきた、というだけです」
「今すっごいサラっと言ったけどさ、結構…いや、かなり深刻なことだよね?」
「そうかもしれないですね。…でも、個人的には逃げられる隙があるくらいですし…捕まる可能性は低いと思いますよ」
「…戦ったの?」
「一応は。…欠けてないかものすごく心配なんですけどね。…不知火さんには少し悪いことをしたかもしれないです」

 "欠けてないかものすごく心配""不知火さんには少し悪いことをしたかもしれない"――。
 …尋常じゃない文章がつらつらと並べられて、初めは平然と聞いていた沖田も違和感の正体にすぐさま気づく。
 刀と刀がぶつかり合って欠ける―――…男と男ならありうるかもしれないが、女である千鶴と鬼である風間達の戦いだ。沖田の中ではどうしてもイメージが重なり合わない。

「…ちょっとした工夫を施しまして」
「工夫を施したからってそこまで出来るわけ?」
「はい」
「で、その工夫って?」
「ええっと…」

 この質問は来るとわかっていたはずだけれど。…どうしても言葉に詰まってしまい、沖田が訝しげに顔を歪める。
 それを見て失敗した、と悟る。

「……人に話せないような工夫なんだ」
「…説明しづらい工夫なんです」

 こういうのを苦し紛れの言い訳と言うのだろう。
 沖田の瞳はいつの間にか鋭さを帯びていて―――千鶴に突き刺さんばかりの目線を向けた。
 言葉に詰まり、千鶴はただうつむいて続ける言葉を探そうとする。

「…恐らく、土方さんたちが戻ってきた時に」
「え?」
「きっとこう質問されるはずなんです。――"お前は何者だ"と」
「……?」
「その答えはきっと沖田さんが求めるものと同じようなモノのはずだから」

 ―――だから、これ以上余計な詮索はするな。そうやんわりと釘を刺され、沖田は口ごもる。
 …確かに彼女が"鬼"という種族であることは沖田以外に知る者はいないし、当然その不可解な出来事の疑問はすぐ話題に上がるだろう。
 不自然すぎるくらいの腕力、脚力。この間とは桁違いすぎる速さ。何もかもが違いすぎて、そしてそれはかつてない衝撃を与えた。

(だからこそ)

 きっと、もう隠せはしないだろう。
 恐らく、……

(私は、人間にはなれない)

 だって、私は鬼。傷だってすぐに治るし、腕力も脚力も桁違い。それに何より、

(人にはない、力)

 呪符を扱うのは幼い頃から当たり前のことだった。
 人間が符を持たず、刀でしか戦う術を持たないと知ったのは村が滅ぼされてすぐの頃。
 どうしようもない、悔しさが溢れ出す。
 なぜ、あの時に私たちは勝てなかったんだろう。そう思うと胸に鋭い痛みが走る。

(でも、今はそれは関係ない)

 軽く頭を振って、少しだけ思い出した昔の記憶を振り払う。いい加減慣れてもいいんじゃないかと思うくらい、この一瞬はつらいものだ。
 どうせなら、あの時。みんなが死んでしまったショックで記憶を全て忘れられたらよかったのにと、そう思ってしまう。
 でも、あの記憶があるからこその今の千鶴がいる。だから決してあの記憶は無駄なんかじゃない。

 と、そのとき。
 沖田が千鶴から離れて後ろを向いたかと思えば、何回か咳を繰り返す。まさか風邪だろうか、ならもう寝てもらわなくてはと千鶴が沖田の方を向けば。

「沖田さ……っ!!」

 千鶴は目を見開く。……沖田の口を抑えた手の指の合間からちらりと見えたのは、赤い、……死の色。

「来るな!」
「……沖田さん……っ」

 まさかと思った。……今の咳で喉が傷ついたとか、そんなんじゃない。もしそうだとしても、沖田がここまで声を張り上げて千鶴を止める理由は。
 自分の行動はただ千鶴に悟らせるだけだったと沖田が気づいたときにはもう遅い。千鶴は沖田のそばに駆け寄った。

「……来るなって言ったのに」
「……誰にも言いません。これでお互い様でしょう。……まさか、沖田さんは……」
「まさか。……僕が、重い病でも抱えてるって言いたいの?」
「……………」

 沈黙は肯定。千鶴は沖田が重い病を抱えていると、肯定した。
 たとえ義理の父親だったとしても、千鶴は医者であった綱道と暮らしていた。医学の知識もそれなりには持っている。
 ……だから、すぐに察した。

「……今見たことは、忘れて。……いや、忘れなくてもいいから誰にも言わないで。……これで、おあいこだから」
「……………」

 千鶴は頷かない。……ここで、誰かに言って治療を始めれば、治る可能性が高くなるのだ。
 でも、嫌ですと拒否もしない。沖田の気持ちも分かったから。
 ここで、自分が治療に専念してしまえば、いつ復帰できるかもわからない。……近藤の剣になるために京へ来たというのに、それでは意味がない。
 沖田にとって、それはきっと一番避けたいことだと思うから。

「……その時に応じて、判断しようと思います」
「……言わないとは言ってくれないんだ」
「命に関わる一大事ですよ。……けど、沖田さんの気持ちも分かるから」

 だから、今日はとりあえず布団で大人しくしていてください。
 そう言えば、沖田は素直にそれを聞き入れた。千鶴が今にも泣きそうなくらいに悲しい顔をしていたからだろうか。
 それとも、千鶴がすぐに言ったりしないという言葉への感謝の気持ちからそうしたのか。
 それは、沖田にしかわからない。

「……千鶴ちゃん」
「はい」
「君も、一緒に来て」

 その時の沖田の声は、とても弱々しくて。
 千鶴はただ、今日はこの人のそばにいてあげたいと、切実にそう思った。





*(20130427:公開)


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