第十七夜
―私が、片割れの姿を見間違うなんてありえないもの
…そして、ひとまず峠を超えた山南さんは今現在別の部屋で眠っている。
その様子は見に行けないけれど、彼があまり苦しむことがないよう願うしか私にはできない。
――ふと、思う。
私の管轄下の鬼たちの中に"治癒能力"を持っているものは一人二人くらいなら当然いた。
彼らの力を借りていたら、もしもその治癒能力で山南さんの腕を治していたのなら、…何かが変わった?
……ううん、絶対に変わっていた。
だって、それを使っていたなら山南さんは変若水を飲むこともなかったのだろうし、剣も再び握れて戦うこともできただろうから。
――私が、彼らを使わなかったから?
だから山南さんは変若水を…?と、そこまで考えて私は首を振った。
私はどうやら彼らに心酔しすぎているらしい。彼らを"使う"なんて、モノ扱いするような言葉を使ってはいけない。私の中ではどうやら鬼たちよりも彼ら新選組の方が優先されているようだ。…それに、私にそこまでしてあげる義理はないと考えていたはずなのに、いつの間にかこんなにも彼らは私の心を絆ていた。
人間は、信じてはならない。
それはあの日、全てを失った時に私が立てた誓いの言葉だった。
でも、いつの間にか彼らは私の中にこんなにも侵入してきていて。
「…私は、私だけは」
(人間を許してはならない)
はずなのに。
どうしてこんな、私が罪悪感を感じる必要があるんだろう。
(分からない)
どうすればいいのか、私にはもう分からない。
答えは一体誰が知っているのだろう―――。
「そう言えば、平助君と一緒に巡察に出るのは久しぶりだね」
「ん? ああ、そっかもなー。オレ、長いこと江戸に行ってたし。オレが留守の間、新八っつぁんとか左之さんにいじめられたりしなかったかー?」
「されてないから大丈夫だよ」
ある日の巡察中。そんな彼の口調に釣られて私は思わず頬を緩めた。
彼と話していると、何処か心が安らぐと思えるのはきっと気のせいなんかじゃない。
平助君がいてくれることが、今の私にとってはとてもありがたいことだった。
「巡察の時もすごく気にかけてくれるし。…あれ…じゃなかった、綱道さんの手がかりはまだ見つからないけど」
「江戸にあるおまえの家の場所聞いてたからオレも立ち寄っては見たんだけどな…」
「帰っていなかったんでしょう?」
(私から狙われている身でもあるのに、帰ってきていたほうが馬鹿だ)
ごめんな、と表情を曇らせる平助君をみて、私は慌てて言葉を繕う。
気にしないで、と言えば、彼は本当にごめんな、ともう一回言った。
「…平助君、ありがとうね」
「へ?何が…」
「………ふふっ」
「ちょ、なんだよ、教えろよー」
「秘密。…あ、あれ沖田さんじゃない?」
「へ?あ、ホントだ、総司ー!そっちはどうだった?」
平助君は私の言葉に合わせて後ろを向いて、遠くに見えた浅葱色の羽織を羽織った沖田さんに向かって手を振った。
それを見て沖田さんはこちらへ向かってくる。
「別に何も。普段通りだね」
平助君の問いに、そんな風に簡潔に答える。沖田さんも別の順路で巡察中だったらしい。
私が挨拶すれば、そんな私に返礼の視線を向けてから、面白いことを期待する子供みたいに沖田さんはくすりと微笑んだ。
「でも、将軍上洛の時には忙しくなるんじゃないかな」
「上洛……将軍様が京を訪れるんですよね?」
「そう。だから近藤さんも張り切ってるよ」
「あー、うん、近藤さんはそうだろうな…」
…私は、いつもの平助君らしからぬ反応に首をかしげる。
今日の平助君は、いつもの彼らしくない反応ばかりを見せていた。
さすがの私にも人の心を読むことはできないから、彼の内面はよく分からないけれど…。
そっと、そばで支えてあげられたらいいなと思う。
「……けほっ……こほ」
「沖田さん?…大丈夫ですか?」
沖田さんの方から咳をする音が聞こえて、私はそちらへ顔を向ける。
…彼は苦しげに顔をしかめ、小さな咳を繰り返していた。
私の方に一度目を向け、――でも、彼の視線はそのまま私を飛び越して、何を見出したのか不意にその眼光が鋭くなった。
…と、その眼光がにわかに細められ、急に横へと投げられる。それにつられて私も目線を横に向けた。
「…あ」
―――私の周りの時間だけ、全てが止まった気がした。
彼の目線の先には、一人の桃色の着物を着た女の子が男共に囲まれ腕を掴まれている姿。
しかし、私にとっては彼女が絡まれているなんていうのはどうでもよかった。
ありえないものを見る目でもしていたのか、不意にこちらを向いた沖田さんが私の名前を呼んだ。
…でも、それは私には聞こえない。
すべてが、ゆっくりと動く。
人の歩く速度がぐんと遅くなったように見える。
目の前の少女の目線が少しだけこちらを向いたように見えた。
「…おい、千鶴!?」
平助君が私を呼んでる。
…でも、私は目の前の少女から目線を逸らすことができずにいた。
佇む私を役に立たないとみなしたのか、沖田さんがその少女を助けに割り込む。
あっという間にその男共はどこかへと姿を消した。
「……………かおる」
―――ようやく喉から絞り出した声は、そんな弱々しい声だった。
私は結局そこから動くことができなくて、沖田さんや平助君が彼女と話す姿を遠目に見ているだけ。
そして、彼女は私の方へと目を向け―――驚いたように目を見張る。
「…どうした?あいつの知り合いなのか?」
平助君がそう彼女に問いかけているのが聞こえた。
でも、彼女にはその声が届いていないようで、ただこちらを見つめるだけ。
「……………かお、」
「それでは失礼させていただきます。……助けてくださってありがとうございました」
でも、彼女――…ううん、薫は、私に悲しそうな目を向けただけで踵を返して行ってしまう。
…きっと、この時の私の表情はとても泣きそうだったんだろう。
平助君が心配そうに駆け寄ってきて、大丈夫かと聞いてくる。
でも、ここで口を開いたら、きっと泣いてしまったから。
―――私はただひたすら、顔を横に振ったのだった。
「で、千鶴ちゃんはあの子と知り合いなの?」
「え…?」
「それに、顔はすごくそっくりだったし」
…確かに、薫と私は双子だから、顔が似ていても不思議じゃない。
けれど、普通であれば他人でそんな似ている顔があるとも思えない。
きっと、彼は分かってる。
私と薫がきっと深いつながりのあることを分かっていてなお私にこんな問いをぶつけたのだ。
「……………」
「…あまり自分のことを周りに言いふらされるのが嫌なら僕と君だけの秘密にしてもいいけど」
「沖田さんは口が軽そうなので嫌です」
「言ってくれるね。…でも僕はからかいのネタになるようなことは言いふらすけど、重要なことは言いふらしたりはしないから安心して?」
「そこ、安心してもいいところなんですか?」
「いいから。…ね?教えてくれるよね」
有無を言わさない声色に私は覚悟を決めた。
(正確に言えば決めさせられた、なのだろうけど)
「………誰にも、言わないでくださいね」
「うん」
「…おそらく…いえ、間違いなく薫は…私の双子の兄です」
「兄?」
…確かに薫は女装をしていたから(しかもかなり似合っていたし)男装した私を女と見破れても、女装した薫を男と見破ることは沖田さんでも難しかったらしい。
なぜ薫が女装をしているのか、私にはなんとなく分かる。だからこそ申し訳なかった。
でも、薫と同じくらいに酷い人生を送ってきたのは私だって同じだ。
薫はきっと、人を殺したのはあっても1、2回程度だ。もし、もっと殺していたのなら、あんな澄んだ瞳はしていないはずだから。
…私のように、たった10歳程度の年齢から殺しをしてしまうくらいだったら、…きっと薫も幸せだったのかもしれないね。
それはきっと、歪んだ幸せ。
幼い私には、過酷な運命に抗うにはそれしか方法がなかったから。
薫は、南雲と名乗った。
あの有名な女鬼を欲してやまない分家筋の分家。
あの家が、薫を傷つけ、罵った。そして薫が変わってしまったのもきっとあの家のせい。
人間の血が濃いくせに、まだ鬼の血を欲しがる輩。
そんな輩も、私は好きにはなれない。
「千鶴ちゃん?」
「…薫は」
―――薫は、きっと私を憎んでる。
何も知らず、のうのうと暮らしてきたと思い込んでるに違いない。
だって、薫の瞳の奥には憎しみの炎がちらついていたから。
「私の兄ですが、きっと敵となるでしょうね――」
理由は話さない。
なんとなく、話す気にはなれなかった。
沖田さんは、そんな私を何も言わずに見つめていた。
*(20130401:公開)