第十六夜 | ナノ

十六夜

―意外にも優しい彼の言葉が嬉しかった






 じゃり、と地面と草履が擦れ音を立てる。
 私は本当に運がないらしい。…"薬"について調べようと部屋を出れば、早速彼と鉢合わせしてしまった。

「…ともかく、君は部屋に戻りなよ。子供が夜遊びする時間じゃないんだから」
「………」

 私の年齢的に、子供なのかどうか微妙すぎる。
 けれど、反論する気にもなれなくて、私はただはいと返事を返しただけだった。

「…もし、怖いものを見たら」
「怖いもの?」
「うん。もし怖いものを見たら、すぐに声を上げて助けを呼ぶんだよ」

 やっぱり子供扱いされているようにしか思えない。
 …けれど、どうしても今は反論する気にもなれないから私はただ頷いた。
 私だって普通の子供ではないと自覚しているけれど(女子で刀を持って戦うとか、色々な面で)
 一応、沖田さんの中では子供ということになっているのだろう。
 だからもう気にしないことにして、私は踵を返した。





 …踵を返して八木邸の自室へ引き返そうとしたとき。
 ふと、誰かの気配を感じて私は気配を消した。

(…山南、さん?)

 今確かに誰かが広間に入っていった。
 すぐに姿は見えなくなってしまったし、夜だから辺りは真っ暗。
 だから、普通ならば見えるはずもなかった。
 けれど、私は鬼という特殊な存在ということもあり夜目が利く。だからだろう、しっかりと広間に入っていった人物が誰か、私の両目は捉えていた。
 そして、足音を消し、…ゆっくりと広間の入口に近づいていく。

(―――あれは…っ)

 嫌な予感が当たったと思った。
 今、山南さんの手にはびいどろの小瓶があって…その中では赤い液体が揺らめいている。
 私の予想はばっちり当たってしまったのだ。
 …その小瓶に気を取られ、一瞬だけ意識がそちらへ向いたときに山南さんには悟られてしまったらしく、山南さんがゆっくりとこちらを振り返る。
 何とも言えないくらいに爽やかな…すべての悩みが解決したような爽やかな笑顔。
 …それで、私は全てを悟る。

「山南さん、それは…っ!」
「まさか君に見つかるとはね。正直、予想していませんでしたよ」

 山南さんは私の必死ともとれる声色には何の反応も見せず、手にある小瓶を揺らしてみせた。
 そして、その小瓶を見つめる瞳には狂気的な何かが宿っているようにも見えて、私は息を呑む。
 まさか、と。まさか彼が使うはずないと信じたかった。
 ――けれど、その淡い期待も簡単に裏切られてしまった…!

「山南さんッ!!」
「…これが気になりますか?」

 焦る私に対し、このような状況でも冷静さを失わない山南さん。
 それを見て、内心私は諦めてしまったのかもしれない。
 …彼はきっと本気だ。誰がどう言おうと変若水を煽るに違いない。…そんな確信が持ててしまうくらい、彼は冷静だった。

「それは…それは綱道が作った変若水でしょう!? 使っちゃ駄目です、それを飲んだ人がどうなるか…」

 それでも彼を止めたくて、私は声を張り上げた。
 …変若水を飲んだ人がどうなるか、それは私が直に目にしている。
 雪村家の当主としての意見というだけでなく、彼にあの狂った隊士たちのように狂って欲しくなくて、私は必死に抗議した。

 それを遮ったのは山南さんの激昂した声。

「こんなものに頼らないと私の腕は治らないんですよ!」

「山南さん…駄目…!!」

 私が小瓶を取り上げようと手を伸ばした時にはもう遅かった。
 彼は一瞬で小瓶の栓を抜き、小瓶の中身を煽る。

 床に転がる小瓶。
 彼の唇の端から朱色を引く一筋の雫。
 どくん、という心臓の音。

 割れて、滴って、響いた瞬間、山南さんはその場に膝をついた。

「山南さ…っ」

 …無理矢理にでも止めれば良かった、と私は自分の甘さを悔いた。
 肝心なところでは役に立たない自分。…まだまだだと言うことを実感する。
 まだまだ、私には足りないのだ。経験という自身を成長させる糧が。
 膝をついた山南さんから少しだけ距離をとって、彼の様子を伺う。
 …もしも狂ってしまったなら、今ここで楽にさせてあげなければならない。
 私は悔しさに唇を強く噛んだ。血が滲んだけれど、すぐにそれも消える。
 そしてゆっくりと腰に差していた小太刀を引き抜く。

 普通の太刀ではなく、家宝の小太刀を。
 最後までただひたすら新選組のことだけを考え、そして変若水を飲んでしまった山南敬助に敬意を。

 狂ってしまっているのなら、ここで排除するまで―――。


 ―――刹那、彼の右腕が私の胴を薙いだ。


(!!?)

 その速さは私の目でも追いつくことが出来なかった。
 ガッと小太刀の鞘に右腕が当たり、思い切り私は壁に体を打ち付けられる。

(…見えな、かった…?)

 …羅刹というマガイモノもただのマガイモノではなかったらしい。
 流石、元が西洋の鬼の血というだけはある。
 彼の一閃はどの剣士の一閃よりも重く、そして強かった。

「げほっ…!かはっ…はっ……」

 世界がぼやけて見え、私はごしごしと目をこする。
 だいぶ視界も元に戻ってきたところで…山南さんがこちらへ向かってくるのが目に飛び込んでくる。
 …さっきの一閃で目が慣れてくれたから、きっと次の攻撃は大丈夫だと思う。

 ……しかし、私の視界は回復しても、体はまだ打ち付けられた衝撃から立ち直れていなかったようで。
 すぐに反応することができず、こちらへ向かって歩いてきた山南さんに首をつかまれる。

 私の首を掴んだのは山南さんであって山南さんではなかった。
 薄暗い闇の中で浮き上がる変色した白い髪。
 前髪の間から覗く、狂気の瞳。

 ――私は、この目を知っていた。

 この、獲物を見るような目を知っていた。

 そう、京を訪れたあの日と同じ血に染まった浅葱の羽織をまとう人ではない"羅刹"の――。

「山…南……さん………!!」

 ふ、と私の首を締め付ける動きが緩んだ。

「ぐあ…ぁ……!」

 ……手が、離れた…?
 私はその場に膝をつき、指の跡が残る喉で懸命に酸素を貪る。
 体の方は十分に回復していて、先ほど思い切り打ち付けた左半身の痛みももう感じない。
 息を整えながら、私は山南さんの方へ顔を向ける。
 彼は、右手で自分の顔を鷲掴みにして苦悶の声を上げていた。
 けれど、先ほどとは違って指の合間から覗く瞳の奥には小さな理性の光が灯っている。

「…失敗…したようですね………。…自分で思うより私は賭けに弱かったようで……」

 …絞り出すように苦しげだけれど、この自嘲めいた響きは確かに山南さんだ。
 まだ頭が少しくらくらしたけれど、しっかりと体に力を入れて立ち上がる。
 そして苦悶の声を上げる山南さんに駆け寄った。

「山南さん…!…大丈夫ですか…?」

 考えれば、なんて馬鹿な問いだったんだろう。
 荒い息の下、山南さんは皮肉げにつぶやいてみせた。

「…人の心配をしている暇はないでしょう。……今のうちに……私を殺しなさい」
「………わかり、ました」

 …頷くことしか出来なかった。
 そして、私は先ほど抜いておいた小太刀を拾い上げ――山南さんの心臓に焦点を定めて。
 唇を噛みながらも、それを放とうとしたとき。

「ぐうぅ…ぐわあああ……!」

 山南さんが叫ぶ。
 私の動きが止まった。
 そして、山南さんは乱れた足取りで悶絶すると、ぷつりと何かが途切れるようにその場に倒れ込んでしまう。

「山南さん…!」

 私が小太刀を下ろし、山南さんへ駆け寄る。
 それと同時に、廊下の方から誰かがやってくる気配を感じた。

「千鶴ちゃん。……………山南さん」
「沖田…さん?」

 現れたのは沖田さんだった。…おそらく私の叫び声や壁に打ち付けられる音が彼の耳にも届いたのだろう。
 そして、彼は私の右手にある小太刀、白い髪の山南さんの順に目を向けて全てを理解する。

「…気を失ってるの?」
「……はい。薬を飲んだ直後はひどい衝撃で暴れたり苦しんだりするらしいですから、多分その衝撃に堪えかねて気を失ってしまったんだと思います」
「分かってたんだ。なら説明しなくても良さそうだね」
「一応、すべての情報は私に入ってきますから」
「どう言う意味?」
「ご想像にお任せします」

 そんな会話をさっと終わらせて、私は山南さんの横に膝を折った。
 …本当の苦しみは、これから。
 彼はこれから、吸血衝動という名の苦しみとともに生きていかねばならないのだ。
 そう思うと、自分が情けない。…止められなかった、自分がとても情けない。

「…申し訳ないです、私が甘かったばっかりにご迷惑をおかけして…」
「甘かった?」
「…最初から、小瓶をどんな方法を使っても取り上げておけば良かった筈なのに。…私のちょっとした甘さが、これです」

 …これは本音。
 もう何でも使って、鬼化でも私の持つある力でも何でも使って止めるべきだった。
 いいえ、"止めるべきだった"じゃない。"止めなければならなかった"だ。
 …やっぱり、私は災厄の種でしかない…。

 そんな考えを巡らせていれば、ぽん、と頭の上に大きな何か。
 目線をそちらへ向ければ、何とも言い難い表情の沖田さんが苦笑いを浮かべていた。

「君はそれくらいでいいんじゃない?」
「え…?」
「そういうところも持ち合わせていないと、…本当に君は人を殺すだけの人形に成り果ててしまうんじゃないかな」

 だから、この程度の甘さがあっても普通なんだよ。
 そう言って、彼は私の頭を優しく撫でてくれた。

 そして、沖田さんが山南さんを抱える。
 沖田さんの後に続く形で私も広間をあとにした。
 …遠くから、私たちの声や音を聞きつけたであろう幹部たちの足音が聞こえてくる。

 ―――私はただぼんやりと、遠くから彼らのやり取りを見つめながら佇んでいた。






*(20130331:公開)


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