第十五夜
―決意はきっと、私を傷つける刃となって返ってくる
―――ある日の朝食後。
千鶴は大量のお茶をお盆に載せて広間へと向かっていた。
「…お茶が入りました」
こぼさないよう注意しながら、ひとりひとりに手渡していく。
この作業にも随分と慣れたものだ。
「おお。すまないね、雪村君」
「いえ」
千鶴がお茶を差し出せば、井上は目を細めて褒め言葉を並べた。
それに嬉しそうに微笑み、千鶴はほかの人にもお茶を渡していく。
…そして、蒼の前まで来れば。
「……………どうぞ」
「……………ああ」
(…土方さん、何なんだよあれ)
(俺に聞くな。…この間からあいつら、様子が何処かおかしい。…喧嘩でもしてんのか…?)
(そんな雰囲気じゃないですけどね。…何か、千鶴ちゃんの蒼に対する視線が変わりましたよ)
(視線?)
(まるで、風間千景を見るときのような感じがする―――って言えば、察しのいい土方さんなら分かりますよね)
…目でかなり重要な内容の会話を軽々とやってのける幹部たちはさすがと言えるだろう。
そう、彼らの言うとおり、ここ最近この二人の様子は何処かぎこちない。
というより、千鶴の態度が一方的に変わっているだけだが。
「…八木さんたちにも世話になったが…この屯所もそろそろ手狭になってきたか」
空気の流れを変えるかのように、土方がそう話を切り出した。
助かったとばかりに永倉や原田が口元に笑みを浮かべる。
「まあ、確かに狭くなったよなぁ。隊士の数も増えてきたし……」
「隊士さんの数は……多分、まだまだ増えますよね?」
千鶴自身もこの空気を払拭したかったらしく、土方の切り出した話に乗ってくる。
確かにこれからも隊士が増えるだろうということはなんとなく予想ができていた。
実際、今も平助が江戸に出張して新隊士の募集を頑張っているのだ。
隊士が増えるのは良いことだとは思うが、残念ながら屯所の広さには限りがある。
そして、とくに割りを食っているのは小部屋を集団で使う平隊士達だ。
「広いところに移れるならそれがいいんだけどな。雑魚寝してる連中、かなり辛そうだぜ?」
永倉がそう発言する。
確かに平隊士たちは、毎晩すし詰め状態での雑魚寝を強いられていた。
やむを得ない事情があるとはいえ、個室を使っている千鶴はかなり申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。
もしも広い屯所に移れるのならきっとみんなが幸せになれるのではないだろうか。
「…だけど、僕たち新選組を受け入れてくれる場所なんて何か心当たりでもあるんですか?」
軽い口調で沖田が尋ねると、土方は薄く笑って返答する。
「西本願寺」
それを聞いて、沖田はもちろん千鶴までもが楽しげに笑った。
「あははは!それ、絶対嫌がられるじゃないですか!」
(…ふふ、絶対楽しんでますよね沖田さん…)
とか思いつつも千鶴もこの話をものすごく楽しんでいるのだが。
「……反対も強引に押し切るつもりなら、それはそれで土方さんらしいですけど?」
「ですよね…」
思わず漏れた言葉にハッとする。
慌てて口を塞いで、そしてちらりと土方の方を見やれば。
「……………」(ガン見)
「……………」(フイッ
「あはははは!やっぱり面白いね千鶴ちゃん。普通はそこ、同意はしないと思うけどな」
「ごめんなさいうっかりです…!」
睨まれてる睨まれてる睨まれてる…!!
鬼の視線を背中に感じながらも千鶴は必死に振り向かないよう首に力を入れる。(ちなみに千鶴も鬼である)
土方は確か人間だったはずだが。
「…で、でもですね!それが確かに手っ取り早いですよ本当!ここは土方さんに役を買って出てもらうしか…っ」
「てめぇは俺を鬼とでも言いてぇのか!」
「冗談です」
睨まれてる睨まれてる睨まれてるよ怖い…!
という理由のため、未だに振り向けない千鶴。
沖田はクスクス笑っていて助けてくれなさそう。
…蒼は論外。原田も永倉も楽しんでいるとなっては…、
(さ、斎藤さん…っ)
「……(ため息)。………副長、話を続けてください。雪村、こちらへ戻れ」
「は、はいっ!!」
―――斎藤さんが神様に見える。(真顔)
内心、斎藤に土下座する勢いで感謝しながら千鶴は斎藤の隣へと座る。
そして、斎藤の影に隠れるように、寄り添うようにして正座すれば。
「……………」
「……………」
「……………」
…沖田の視線が突き刺さる。
「…雪村、総司のことは気にするな。理由は話が終わってからでも聞ける」
「…はい」
結論。
視線については気にしないが勝ち。
そして、伊藤さんと一悶着あり―――。
やっぱり私は伊藤さんが苦手だと再認識する。
「男たちの汗臭さへ浸りに行くのも、実に愉快なことじゃ御座いませんか!」
………うん、苦手だ。
今日の夕日は赤々と燃えて、なんだかとても綺麗に見える。
千鶴は気分転換のつもりで外に出てみたのだが…
「…寒い」
まだまだ春は遠いらしい。
そして、千鶴は考える。
…山南が心を病んでしまったのは"腕"の怪我のせいだ。
動かなくなった腕を治せれば…それが一番だと思う。
しかし、そんな方法があるのかと聞かれれば…あるとも答えられないし、ないとも答えられない。
なんとも不安定な答えであるということは自負しているつもりだ。
「…腕を治す方法…」
あるといえば、ある。
ないわけではないのだ。
…ただ、その力の使い手がどこにいるのかが分かっていないだけ。
―――北に住む"鬼"は、それぞれ特殊な能力を持つ者が多い―――。
その中に、一人か二人はいた。治癒能力を持った者たちが。
(…呼べる、かな)
…そこまで考えて、踏みとどまる。
―――私に、そこまで新選組に尽くす義理があるとでも言うの?
…少しは、あるかもしれない。
けれど。…どうしても、力を貸す気にはなれない。
(…うん、やっぱりそこまでやらなくてもいいかもしれない)
…ならば。
不意に思い出したのは、永倉と沖田の会話だった。
あの日、山南が手を怪我したと報告を受けたあと、二人が部屋を出ようとしていた時に口にしていた話。
『薬でも何でも使ってもらうしかないですね。山南さんも納得してくれるんじゃないかなあ』
『総司。……滅多なこと言うもんじゃねぇ。幹部が【新撰組】入りしてどうするんだよ?』
―――そうだ、薬。
確か綱道はこの新選組という場所で"変若水"の研究をしていたのではなかったか。
…ああでも、さすがにそれを山南に使わせるわけにはいかない。
もし使わせてしまったら最後、千鶴が始末しなければならなくなってしまう。
でも、今の山南の心境を考えたら―――使ってもおかしくはない。
(…嫌な予感がする)
もうすぐ日も暮れる。
そして、この胸騒ぎはけしていいものではない。
…きっと、今行かなければもしかしたら。
(思い切るしか、ないか…)
…迷いを振り切るかのように頭を横に振る。
きっと、もう大丈夫だ。
そう信じて、千鶴は前川邸の方へ足を踏み出した。
―――この決意が、また。
運命の歯車となることを、私はまだ知らない。
*(20130324:公開)