第三夜
―推測と事実は違うんだって、あなたたちは早く気づいたほうがいい
「……あれ、倒れちゃった?」
「……そのようだが、どうやら意識を失っているだけのようだ。おそらく問題はないだろう」
斎藤は倒れた千鶴を抱え上げる。彼女の服装からして、きっと旅人なのだろう。
先ほどの様子からして、旅をして宿を探している最中にあれに遭遇したのだろうか。それならば、なんて運の悪い……。
「……総司、斎藤、屯所に戻るぞ。話はそれからだ」
「御意」
―――白く輝く月が、こんなに綺麗に見えたのはいつ以来か。
私も、彼らも、…もう手遅れなくらいに汚れてしまっているから、こんなに美しく思うのだろうか―――。
「……ん……」
……朝?
閉じていたまぶたを持ち上げれば見慣れぬ天井が目に飛び込んでくる。一瞬で意識が覚醒した。
そして、体じゅう――特に手首を締め付ける縄の存在に気づく。地味に痛い。
―――きっと、縄を私の体にぐるぐるに縛り付けたのは―――
「あ、起きたんだね。ちょうどいいや、おはよう」
ちょうどいいって何。
「…………」
「何黙ってるの? もしかして寝ぼけてる?」
「……いえ……。……ただ、ちょうどいいって何がと思いまして。貴方は昨日の?」
「あはは、やっぱり覚えてるよね。改めて自己紹介しよっか。僕は沖田総司といいます」
「何がちょうど良かったんですか?あ、私は雪村千鶴です。昨日はつい挑発に乗ってしまって申し訳ありませんでした」
「逆に挑発に乗ってくれて楽しかったよ?君って結構単純なのかな」
「気にしてるので言わないでください」
何が本当にちょうど良かったんだろう。
「そうそう、君の刀はこっちで預かってるから」
「……使わないでくださいね」
「でもあれ、いい刀だね。特に小太刀。……君が余計なことをして殺されちゃえば、きっとあれは売られちゃうかな?」
「余計なことはしませんのでご心配なく。私もそこまで馬鹿ではないので」
「逃げ出そうとすれば、僕と戦うことになるけど。……君ともう一回戦いたいな、逃げてよ」
「刀がない状態でどうやって戦えと?戦いたいなら刀返してください」
「あはは、やだよ」
そして、話は終わりだと言わんばかりに彼はゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、ちょとお話があるから僕と一緒に来てくれるかな」
「あ、はい」
返事をして立ち上がろうとすれば、見事に縄という存在に邪魔をされてしまう。腕を後ろ手に縛られているから手をついて立ち上がることもできない。
どうしようかと思案しても、思い浮かぶのは目の前の沖田に解いてもらうか自分で解くかしかないのだが――。
「ああごめん、縛りっぱなしだったね。それじゃ立ち上がれないか」
くすくすと沖田が笑いながら千鶴の体をぐるぐるに縛り上げていた縄を解く。
手首の縄はそのままに、千鶴はほとんど体の自由を取り戻した。
どうあがいても手首の縄だけは自力で引きちぎれないと悟り、千鶴は思案する。このまま後ろ手に縛られて連れて行かれれば――。
「あの、沖田さん」
「ん?何」
「手首の縄なんですけど……」
「それだったら解かないからね」
「いえ、違くて……。後ろ手に縛られていると転ぶので、前で縛って頂けませんか」
「……その発言さ、なんかいじめてほしいって自分から言ってるように聞こえるんだけど。君ってマゾ?」
「マゾってなんですか。ていうかいじめてほしいなんて思うわけないですありえないです。ただ転ぶから縛るなら前にして欲しいって言ってるだけで……」
だめだ、話が通じない。(しかも爽やか笑顔付き)
「なら転べばいいじゃない。そしたら僕が起こしてあげるよ」
「その起こし方が怖いので遠慮します」
沖田は一歩下がって千鶴のあとを付いていく。
そして、広間までもう少しというところで千鶴が転び、沖田に大笑いされたのは言うまでもない。
沖田に起き上がらされて、千鶴は痛む額を抑えることもできず涙目になる。
「あっははは!本当に転ぶとはね。君、普段は相当ドジなんじゃない?ていうかこんなところで迷惑かけないでよ」
「だから最初に手首を縛るなら前でって言ったんです……!」
(うう……恥ずかしい……!)
いい加減に笑われるのが嫌になってきて、千鶴は話題を切り替える。
「……私の刀はこれからどうするつもりですか?」
「んー……」
沖田はしばらく考える素振りを見せて、
「君が安全だったら、返してあげるよ」
と、意地の悪い笑みで千鶴に告げた。
「……そうですか」
なんとなく、この返答は予想できていたから、千鶴は別段驚いたりはしない。
沖田は千鶴の方を一瞥すると、『それじゃ、ちゃんとついてきてよね』と言いながら踵を返した。
しかし、これだけは忘れないとでも言わんばかりの声色で彼は最後にこう紡いだ。
「あ、でも。もし逃げようなんてしたら、斬っちゃうからね?」
千鶴にはそもそも"逃げる"などという考えはない。
もうここに捕われてしまったのだから、逃げたところでどうせ殺されるか、もしくは"マガイモノ"にされるかの二択だ。
…鬼としての誇りを持つ千鶴にとって、それは屈辱にしかならない行為。だから、彼女は逃げずにここに残るという選択をした。
「……私にとって、ここで"囚われる"のは偶然でも必然でもなかったようですね」
ポツリと千鶴がつぶやく。どういう意味なのか分からなくて、沖田は首を傾げた。
俯きぎみの彼女の様子から落ち込んでいるのかとも思ったが――どうやら違う。
彼女は落ち込んでも怯えてもいない。ただ、この状況を楽しんでいるかのように笑っていた。
***
「……じゃ、さっさと入ってくれるかな」
そう言われて千鶴は広間に足を踏み入れる。その場に広がっていた険悪な空気がより一層険悪さを増す。
鋭い、殺気の込められた視線が千鶴を突き刺そうとするかのようにじぃっと千鶴を見据える。
しかし、彼女はそれに怯むこともなく、まるでこうなることはわかりきっていたとでも言うくらいに堂々と広間の中央に立った。
殺気などものともせずに、静かな瞳に明確な意思を露わにして。
「……」
沈黙が落ちる。
千鶴がちらりと沖田を見やると、ちょうど彼も千鶴を見ていたらしく、ばっちり目線が合った。
パッと顔を逸らす千鶴。
「……あからさまに顔背けられるとちょっと悲しいかなー。君も座ったら? それから自己紹介してよ」
「何お前が仕切ってやがる、総司。……まあ総司の言うとおりだ、立ってられても話づれぇからな。座れ」
「……お言葉に甘えて」
しなやかな動作で千鶴が座る。それを見やると、土方が口を開いた。
「……一応聞いておく。昨夜、お前は何をした?」
「何をした、ですか? あなたたちも見てたでしょう。……"マガイモノ"である羅刹が血に狂った場面に遭遇して始末しただけですよ」
「……狂ったあれを護身のために斬った、と言うだけならまだ分かるんだがな。あれのことをお前はどこまで知っている?」
「……まずは一通り説明します。それを説明してからの方が分かり易いと思いますから」
―――私は、ある人物を探しに京に来ました。
千鶴の説明はざっくりと、要点だけをまとめているようなものだった。
きっと、細かく話せば倍以上の時間がかかるのかもしれない。
しかし、今それを追求している場合ではない。土方はまだ続く説明にしっかりと耳を傾ける。
「私の探し人は"雪村綱道"という蘭方医です。…きっと皆さんもご存じのはず…」
「……どうしてお前が綱道さんを探しているんだ」
「ああ、自己紹介がまだでしたね。申し訳ありません。……私は雪村千鶴といいます。雪村綱道は私の義父にあたる人で……。まあ、それはもう関係ないのですが」
「それはどういうことだ?」
「……あれは道を踏み外した。だから、私が責任をもって片さなければならない。……ただ、それだけですよ」
一瞬だけ、千鶴が悲しそうに瞳を揺らしたことに気づいたものは一人だけ。
冬の冷たい隙間風が、まるで千鶴の思考を凍らせてしまうかのように冷たくまとわりついた。
白銀に輝く下弦の月が、とても幻想的な輝きを放っていることを知る者はいない。
どこまで羅刹について詳しいのか尋ねられ、千鶴は自分の知っている"情報"のみを話す。
……羅刹の詳細については話すつもりもないから、情報だけを伝えて口を噤んだ。
結局、千鶴は曖昧に言葉を濁してしまったけれど、実のところを言えば目的はそれだけではない。
探し人は、もうひとり―――。
「……そういえば、明日の夕方だったか?」
「ん? 何がだトシ」
「あいつが戻ってくる日時だよ。……任務で地方に行かせてただろ」
「ああ……蒼君のことか。確かそうだったような……」
「あいつはとにかく目立つからなぁ……。銀髪に蒼い瞳、おまけに長髪ときた。……ああそうだ、近藤さん」
「ん? どうした?」
「……前に……あいつを任務に行かせる前なんだが、あいつこう話していなかったか? 江戸に残してきた妹のような存在の娘が居る――と」
「ああ、そうだな……。確か、その子はとても腕の立つ剣士だと聞いたような……」
―――まさか、な。
(20130206:公開、20130330:改稿)
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