幕間‐
―"彼"の面影は"彼女"の中にも
―――まさか、な。
幹部や千鶴はもちろん、近藤さえも去った広間でひとり、土方は眉間に皺を寄せた。
先程近藤と最後に交わした会話で浮かんだ、ひとつの可能性。
"雪村千鶴"が"蒼"の親類であるという、可能性。
それが実際どうなのか、土方にはまだわからない。けれど、これが本当ならいろいろと辻褄が合うのだ。
雪村千鶴が隠しているであろうもうひとつの目的。彼女は隠しているようだが、土方はなんとなく察していた。
その目的というのが蒼を探すことならば―――。
(……これが本当なのだとしたら。雪村千鶴が蒼の縁者であるのならば)
そんな思考が頭の中でぐるぐると回る。まるで脳内をかき混ぜられたように混乱する思考の中、土方は夜空を見上げた。
白銀に輝く月は、青白い光を放ちながら世界を包んでしまっている。
さわさわと、冬に似つかわしい冷ややかな風が体の中を突き抜けていく。その寒さにだんだんと思考が落ち着きを取り戻していくのがわかる。
その場を去ろうとするも、土方の体は凍りついたかのように動かない。
(そういえば)
―――俺は、自分の名前が嫌いです
いつだっただろうか。蒼がそう話をしていたのを聞いたことがある。
たしか、藤堂や原田、永倉が蒼にそう話を持ちかけたのが始まりだった。
食事中だというのに、どこかピリピリした空気になってしまって耐えられなくなった平助は途中でその話を切ったが。
―――嫌いなんですが……俺にはそれ以外に自分を示すものが無いんです
最後にぽつりと漏らしたその言葉を、その場にいた全員が耳にした。
ほかの者が話だそうとしても躊躇ってしまう。それの繰り返し。
そして、結局口を開いたのは蒼だった。
『ああ、こんな空気にするつもりは無かったんですがね。……少し聞いてくれますか? 俺の過去の話……』
聞きたくなければ聞かなくていい、そう続けられた言葉に返す言葉が出なかった。
『俺には家族がいないと言いましたが……一人だけ、家族のような存在がいるんです』
そう切り出した蒼の表情は今までに見たことがないくらいに緩んで、しかし、とてもさみしげだった。
『そいつをちょうど10年前くらいに助けましてね。俺はそいつに自分の剣技を叩き込んだんですよ』
『そりゃまた無茶な……』
『そう。普通なら左之さん、あんたのように無茶だと思うはずなんですよ。……けど、俺はそんなのお構いなしだった』
『そいつは何歳だったんだ? んで男か、女か?』
『そこ聞きますか新八さん。あとの質問は少し失礼だと思います。……あれはその時に丁度5歳になったばっかりらしかったんですよ。で、性別は女です。まあ、実際に叩き込み始めたのは彼女が8才あたりの頃でしょうか』
『女にそこまで無理強いするとは……お前らしくねぇじゃねぇか、蒼』
『そうですよね。でも、その時は』
―――どうしても、残したかった。
生きる希望を喪った哀れな少女に、生きるための意味を。存在意義を残してあげたかった。
『あいつはとても優しい。そしてとても哀れな娘です。……そして、天才的な剣の才能を持っていました―――』
『……どういうことだ?』
『あれは、まあ力では男性に負けますけど……、剣技については総司に等しいくらいの技量を持ち合わせている。しかも、それのほとんどが我流で生み出した技で――』
『総司と、おなじくらいの技量……。しかもそれのほとんどが我流……?スゲェな……お前が天才と認めるだけある』
『でしょう?そして、俺は行方をくらまして――あいつはきっと、もっと強くなっていると思います』
まるで本当に自分の妹だと言うかのように――蒼は誇らしげにその娘のことを話していた。
その時には土方もとても関心がその娘に行ったが……いつの間にか忘れてしまっていたようだ。
蒼は本当にその娘のことを大切に思っている。それは何も言われなくても見ればすぐにわかったこと。
『俺が名前を変えたりしないのは――あいつが頼りにしているのが俺だけだから、ですよ』
その"あいつ"が指すのは。
もしかしたら、雪村千鶴なのではないか。
『俺の存在は"名"で示されるのだと――……そう俺は思ってるんです。だからあいつのためにも名は変えられないし、変えるつもりもない……』
そう言い切ったあいつの表情は驚くぐらいに緩みきっていて、そしてとても清々しかった。
『あいつ……か。……そいつはどんな奴なんだ?』
『子犬みたいな奴ですよ。いつも俺の後をちょこちょこくっついてきて……。……初対面のやつにはめちゃくちゃ人見知り発揮してそれはもう困ったものだったんですが』
どうやらこの"蒼"という人物は、相当その"娘"にご執心らしい。
(……随分、懐かしい思い出だ)
――蒼が……明日帰ってくる。
これがどう転ぶのかは知らねぇが。
(――……穏やかな出会い方をしてくれりゃいいんだが)
今のところ、まだ雪村千鶴を信用することはできない。
総司と斎藤も未だに警戒心を解いていない。
この状況で、あいつが登場したとしてどう転ぶのか、それによって雪村千鶴の立場も変わる可能性がある――。
全ては明日の夕暮れ時に
(20130209:公開)
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