「あらかた終わった―――か?」
「はい、委員長」
淀みない草壁の返答に頷き返しつつ、ザッと周囲を見回してみる。
夏の昼間でも日光が差し込みづらい位置に建設された此処は、数年ほど前まで工場として稼働していたらしい。しかし利益を重視し過ぎた経営陣が撤退し、労働者は路頭に迷い始め、設備等はそのまま放置された。取り壊すのにも費用が要るから理解できなくはない。予想外だったのは、建物全体が埃を被り始めるよりも早く、ここに不法侵入者が営巣を試みたことだろう。
私がまだ整頓していない、並盛近郊の不良たち。個々人なら塵芥同然なのに、群れを形成した途端に居丈高な振る舞いをし始める。いわば部屋の隅に積もっていく埃のような奴らだ。そんな奴らが、いまの並盛を実質牛耳った私を敵視しないわけがない。
スイミー曰く、雑魚でも群れが旺盛になれば巨大魚だって追い返す。彼らがスイミーを読破したかどうかは定かでないが、にっくき私を打ち倒すため、砂埃共は手を組んだ。作戦を企てんとこの廃墟に結集した奴らに急襲を掛けたのが、確か三十分ほど前。
腕利き以外を連れて行けば足手まといになりかねないので、突撃は私と草壁で行った。私としては一人で大丈夫だと目算していたのだが、「貴女は一人だと無茶をし過ぎる。何かあってからでは遅いんです」と草壁に窘められ、仕方なく彼だけ伴わせた次第だ。
屋内に転がる死屍累々を確認し、私は肩に担いでいた竹刀をようやく下ろした。
「数は多かったけど、個々の実力はそれほどでもなかったな。草壁、大丈夫?」
「問題ありません」
「ならよし。後始末しよう。ついでに救急車も何台か呼んでやって」
「はい」
待機させていた委員たちに連絡を取る草壁に目を側めつつ、手近な奴から懐を漁っていく。携帯電話あるいは生徒手帳に指先が行き当たれば次、と個人情報入手を繰り返す。
たった二人に制圧されたわけだから、こいつらもしばらくは大人しくしているだろう。けれど人間、喉元過ぎれば熱さを忘れるもの。再び決起されたとき、一々制圧するのは効率が悪い。なので情報化社会の現代のルールに与り、敗者からは個人情報を搾取することにしていた。これで随分と無駄なリベンジを繰り返す輩が減った。草壁がエクセルで数を管理しているので間違いない。
「そういえば委員長、あの子どもとはまだ付き合いが?」
連絡を終えて言問いてきた草壁に、私は軽く頷いた。流れてきた汗を拭う。
「何だかんだズルズルと。この二ヶ月、毎日毎日顔を見てるよ」
「委員長が子ども好きとは存じませんでした」
「気持ち悪いことを言うな。私は子どもが好きじゃない。ただ、……あれだけ年下だと、無下にするのは気が引けるだけ」
「なるほど。そういうことにしておきましょう」
しかつめらしい顔で首肯して、草壁も私と同じ行動に移った。
二人して敗者たちの懐を漁る。まるで死体を食む烏のようだ、なんて似合わない詩的なことを考えてしまったのは、きっと夏が暑いせいだろう。
「……おまえの弟も、あれぐらいじゃなかったか? あれ。いま幾つだったっけ、哲」
草壁には年の離れた弟がいる。遺伝子的に遠からず兄そっくりの老け顔になってしまうのだろう、と哀愁を覚えながら首を傾げると、草壁は微かに微笑んだ。
「いまは幼稚園の年長です。俺たちと同じタイミングで進学ですよ」
「そっかー。もう小学生になるのか、哲。頼むからおまえみたいな老け顔にはするんじゃないぞ。せっかくもちもちでふくよかな頬っぺをしてるんだから」
「そればかりは遺伝子に聞いてみないと」
草壁の笑みに苦味が混じった。
彼はわずかに声のトーンを落とし、話の穂を接げる。
「……委員長の進学先は、県外でしたか」
「返済不要の奨学金貰えたからね。草壁は並高だっけ」
「はい。……ですが、貴女がいなくなるのは……些か寂しくなりますね」
「似合わないことを言うなあ」
呆れながら振り返ると、草壁は「本音ですよ」と私に背を向けた。
「せっかくここまで――もうすぐ並盛どころか、この近隣一帯を統一できるのに」
「別に統一したくてやってたわけじゃないし。そういう王座は草壁にあげるよ」
「そんな虚しい玉座は要りませんよ」草壁の声がわずかに掠れた。「……そもそも俺は、貴女という錦上に花を添えたかっただけですから」
「…………草壁」
「はい。お叱りなら何なりと」
「難しい言葉を使うな」
「……委員長、よく奨学金貰えましたね」
喧しい。用済みの受験勉強知識などとうに忘却せしめただけだ。
草壁は笑いながら息を吐いた。そのとき外がにわかに騒然としてきたことに気付く。二人で出入口まで顔を出すと、見知った顔ぶれが並んでいた。
「「「委員長! 副委員長!
ビシッと、規律正しいお辞儀の行列が眼前に並ぶ。
ついいつものくせで近所迷惑どうこうと言いそうになったが、この近隣は無人地帯だったと思い出す。なら別にいいか。草壁の背を軽く叩くと、彼はそれだけで意図を汲み取ってくれた。「おまえら、鼠一匹見落とすんじゃねえぞ!」草壁の威厳ある喝に、これまた男臭すぎる返事が重奏した。
あとは草壁がどうとでもしてくれるだろう。
「じゃ、私は商店街の辺りでも見回ってから帰るわ。何かあったら連絡して」
「はい。お疲れ様でした、委員長」
「「「お疲れッしたァ!」」」
ただでさえ高い気温と非常に暑苦しいお見送りというコンボに若干げんなりしつつ、私は廃工場の日影から踏み出でた。
所属を示す意味合いもあって、休日だというのに制服を着込んだけれど、失敗だったかもしれない。まだまだ初夏と甘く見ていた。暑い。バイクで来ればよかった。
並盛商店街は昔ながらの店が多いけれど、最近は近代化が進み、色々と新しい顔ぶれも増えてきた。以前はコンビニなんて三キロ先にしかなかったのに、今や半径百メートル圏内に三店舗もある。並盛も一応二十一世紀に所属していたのだと、私は地味に感銘を受けたものだった。
休日ということもあってか、街並みはそれなりに賑わっていた。その大半は家族連れか若者で、中には女性二人でうろついている組もあった。以前なら女子供だけでは格好の餌食という暗黙の認識があって忌避されていたものだが、いまは改善傾向にあるらしい。風紀委員会の成果が出ている、なんて驕るつもりはないけれど、そうだったらいいな、とは思った。
「ねえねえ、そこの制服の娘! いま暇?」
「俺らと遊んでかない? 昼間からやってるクラブあんだよね」
「…………こういう輩もまだいる、か」
「え。何々、いま何て言った?」
「いえ、何でもないです」
思わず溜め息が漏れてしまったのは許してほしい。
私の進路を塞ぐように横に広がった男たちは三人。それぞれ私服だからどこの学生かまでは特定できないが、顔に残った幼さからして社会人ということはあるまい。
三人程度なら暴力で解決するのはひどく易いのだが――わざわざ賑やかな商店街で暴れるのも無粋だろう。なるべく穏便に処理したい。
さりげなく道の脇に移動しつつ、最善策を思考する。
「その制服、並中だよね? 並中にキミみたいなレベル高い子いるなんて知らなかったな〜」
「てかその袋なに? 部活とかやってんの? ウケる」
「俺ら黒高の番長の知り合いでさ。仲良くしといて損ないと思うよ」
「……いえ、せっかくのお誘いですが、すみません。先を急いでいますので」
それでは、と極力失礼のないように頭を下げて、彼らの脇を通り過ぎる。
「――この……っ待てよ!」
通過の寸前、一人に腕を掴まれた。私は反射で振り解こうとする――よりも早く、小柄な何かが相手の男の腹目掛けて突っ込んできた。しかし身長差の関係で腹より股間付近に直撃。私の腕を離し、男は力なく地面に膝をついた。
突っ込んできたその黒い頭には、見覚えがあった。私は知らず瞠目する。
「何だ、このガキ!?」
「おい、大丈夫か高橋!? ――クソが!」
男の一人が、その健脚で容赦なく少年を蹴り飛ばした。少年はあえなく路面に臥せる。男たちは仲間の仇を討たんと追撃を加えようとする。
「――――――」
何を考える余裕もなかった。身体が勝手に動いていた。
竹刀を袋から抜く時間も惜しかった。袋に入ったままのそれを思い切り薙ぐ。
ただそれだけで男たちは、最前の少年の倍ぐらい吹き飛んだ。
「な……なんだ、いまの……!」
「……竹刀……? 並中……? ……あ……あぁあ! お、おまえが、あの噂の!」
平和な商店街で突然勃発した諍いに、周囲がざわめく気配がした。
倒れていた少年の腹に腕を通し、脇に抱える。触診した感じでは、骨折などはしていないように思う。多少打撲と擦り傷を負ったぐらいか。思考は湖面みたいに冷静なのに、頭の一隅がやけに熱くてたまらなかった。
「喧嘩がしたいなら、そう言いな。いつでも買ってやるからよ」
竹刀袋を手にしたまま、大きく一歩踏み出す。
「ひ――ひぃィいいぃいいい!」
「お、おい! 一人で逃げるな!」
我先にと一人が逃げ出し、もう一人は地面で悶絶していた仲間を引きずるようにして、その後を追っていった。
知らず息が漏れた。商店街はすっかり先程までの平穏さを失っていた。
今日ほど近場に出来たコンビニの存在に感謝したことはない。
「い―――!」
「痛いのは当たり前。……まったく、訳も分からず突撃するなんて馬鹿にも程がある」
消毒液と絆創膏と冷却シート、というお手軽治療三種の神器をコンビニで購入した頃に、少年は意識を取り戻した。
いまは店横で二人並んで腰を下ろし、私は彼の手当てに呆れながら勤しんでいた。
「私があれぐらいの相手をどうこうできないとでも思ったのか」
「思わないよ。だってきみはつよいだろ」
「その通りだ。なら、何で突っ込んできた。声を掛けるなら、後でも問題なかっただろ」
「…………」
少年はキュッと口を真一文字に結んで、私から顔を背けた。
擦りむいていたもちもちの頬に絆創膏を貼ってやる。
さっきから何度も同じ旨の質問を繰り返しているのだが、きまって少年は口を閉ざす。そんなに言いたくない理由なのか、それとも後ろめたい何かがあるのか。
子どもの思考は、その年代を過ぎた者には手の届かない場所にある。それでもおおよその位置を予想するぐらいは出来るだろう、と私自身の年少時代を顧みてみた。私が彼ぐらいの頃は、どんなことを言いたくなかったっけな。
怒られること。
心配されること。
あとは――恥ずかしいこと?
「……まさか私が取られると思ったわけでもあるまいに」
ないない、と自分でも思いながら半笑いで嘯いた。
途端、少年はギョッとして此方に向き直った。いつもの色白肌が、いまはトマトもかくやというほど耳まで真っ赤に染まっていた。
…………アタリかよ。
「ふ―――ふふ、ははは、あははははははは!」
気付けば、私は腹を抱えて笑い転げていた。
その正面では、依然赤面の少年がムスッと頬を膨らませている。
「……なに。わるい?」
「い、いやいや。悪くはないよ、うん、悪くない悪くない。……ふふ、ふふふ」
「変にこらえるくらいなら、いっそ爆笑された方がマシなんだけど」
「拗ねるな拗ねるな」どっこいしょ、と私は身体を起こし。「久しぶりにこんなに笑ったな……。ご褒美にアイスを奢ってやろう。おまえは何がいい?」
「はーげんだっつ」
「オッケー、ガリガリ君な」
「選択権ないなら、何で訊いたの」
一層頬を膨らませた少年にまた腹筋を痛めつつ、私はコンビニへと舞い戻り、やはりそそくさと購入してすぐに出てきた。袋を二つ剥いで自分の分は口にくわえ、もう一つは少年へと手渡す。
勢いよくガリガリ咀嚼していく私とは対照的に――というか既視感を覚えることに、少年はじっと自分の分のアイスを睨みつけた。
「……これも食べたことないの?」
「ない」
「でもハーゲンダッツはあるんだな」
お坊ちゃまめ、と思わず内心で毒づいてしまう。
ヒマワリの種を貪るハムスターの域にいよいよ近付きつつあった私を横目に、少年はいかにも恐る恐るといった様子でアイスに口を付けた。
「ないよ。それもテキトウに言っただけ。よたかが言ってたから名前だけ知ってる」
「よたか?」
「ぼくの家の使用人。かりがねの次に使える奴」
「……ふぅん」
あの大屋敷を目にしてから薄々勘付いてはいたが、この年で「使える奴」なんて認識を持っているあたり、やっぱりこの少年は普通の環境とは程遠い場所で育ったのだろう。それがいいのか悪いのか、判断するにはきっと早すぎる。この問題は下ろす予定がない未定の棚に上げておくことにした。
「ねえ、今日も勝負してくれないの」
少年はアイスを齧りながら言う。「そうだよ」と私は素っ裸の木棒を唇にくわえた。
「何で勝負してくれないの」
「だって、おまえ弱いもん」
「――――――」
「あんな蹴り一発で沈んでちゃ、私の相手は務まらないよ。最低限草壁ぐらいの耐久力は欲しいな」
「……だれ、それ」
「
それから――ちょっとだけ迷って。
「やられるのって、悔しいでしょ」
少年はアイスを齧る口と手を止めた。
気温にやられて溶け始めたアイスが液体になって、垂れた一滴がコンクリートの地面に染みとなって沈んでいった。
「――――うん」
「嫌なものでしょ」
「……うん」
「二度と味わいたくないでしょ」
「うん」
「じゃあ、強くなりな」
どうやって、といまにも消え入りそうな声で少年は問うた。
「何に関しても、誰にも負けるな。自分にも負けるな。使えるものは何でも使え。死ぬ気で頭を回せ。形振りなんて構うな。勝てるまでやれ。……そうしてたら、いつの間にか強くなってる」
また、私は逡巡して。
少年のアイスがまた溶けて。
誰に言うでもなく、私は「そうだなあ」と一人ごちる。
「おまえと勝負するのは、それからかな」
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