今時、正々堂々なんて流行らない。
策謀を巡らせ、思わぬ所から生え出る罠を飛び越え、相手の喉笛に牙を突き立てるそのときまで――勝利に辿り着くまで一瞬たりとて油断はできない。
しかしそれはあくまで『相手が邪道を用いてくる』場合の対処法であって、私自身の好みで言わせてもらえるのなら、正々堂々というのはむしろ好きだ。正面からぶつかって負けると、妙な清々しさすらある。あそこでああしていたら、なんて言い訳や後腐れがないのも素晴らしい。
なので、今回。
もとい並盛の支配者を決める、黒曜高校との一大決戦は非常に私好みのシンプルさであった。
相手の頭――つまりは黒曜高校の番長が男らしさを重んじる人種だった故だ。権謀術数にまみれた泥仕合すら想定していた私としては大変僥倖だった。並盛での最後の戦いとしては申し分ないだろう。
私たちの関ヶ原は、並盛と黒曜の境界線上にある川辺の空き地と相成った。
事前に打診して定めたルールは、たった一つ。
相手の
倒す手段は特に規定されていない。殴るもアリ、蹴るもアリ、数で圧倒するもアリだ。
つまり、黒曜側がざっと百を超える人数を集めてきたとしても、何もおかしくない。
浅瀬の川を挟んで向かい合った相手を見つめ、私は大きく頷いた。
「よし。やろっか」
「……軽いな」
黒曜集団の先頭に立つ番長は気が抜けたように眉を八の字にした。
「……おい、まさか本当におまえ一人で俺らの相手をするわけじゃねえだろうな」
「その通り―――と言いたかったんだけど、今回はこの子の修行も兼ててね。残念ながら私一人じゃないよ」
ぴ、と右斜め下を指し示す。
そこには雲雀少年が毅然とした立ち姿で佇んでいる。
番長は何度も己の目を擦り、疑念たっぷりに口を開いた。
「……ガキが……一人、いるように見えるんだが……」
「幽霊とかじゃないから安心していいよ」
「……弟、か?」
「いや他人」
「何で他人のガキを戦場に連れてきてんだよ!」
時代外れにも程がある番長なんて地位に付いているわりには、この男意外に良識がある。
「大丈夫大丈夫。手加減とかしなくていいから。一応それなりに鍛えてきたし、死んだら自己責任だって言ってあるし」
「いやよくねーだろ! 鬼かよおまえは!」
「だって喧嘩のやり方なんて身体で覚えるしかないじゃん。実戦あるのみよ」
というわけで、と笑顔をあえて形作り、私はおもむろに両手を叩いた。
「――始めよっか」
「戦果は?」
「五三」
「私は七二。まだ一人当たりにかける時間が多いか。もうちょっと敏捷性と一撃の威力を上げたいね」
「…………」
むう、と不機嫌オーラ全開で頬を膨らませる少年。
ぱっと見た感じ、大きな怪我はしていないように見える。擦り傷や打撲は少なくなさそうだが、中高生相手に致命傷を受けていないなら上出来だ。
鍛えていたときも思ったが、この少年には戦闘の才能があるのかもしれない。磨けば光ること間違いなしの原石を前にうずうずしないと言ったら嘘になるが、私に教える才能がないのも、教えるような時間がないのもまた事実。悲しいけれど勝手に育つことを期待するしかなかった。
すっかり赤黒くなってしまった竹刀を手にしたまま、ぐるりと周囲を見回す。
川原に沈む死屍累々から、番長を探し出すのは少し時間がかかった。
「ねえ」
気絶していた彼の頬を叩いて目を覚まさせる。
もはや起き上がる気力もないのか、番長は朧げな眼で私を力なく見上げる。
「……んだよ」
「私の勝ち。もう並盛近隣でおまえらは暴れないこと。おまえは下の奴らに目を光らせること。いいね?」
「分かってら。……くそっ、おまえ、マジで
「おまえらと私では人間としての性能が違うだけ。劣等感を覚える意味はないよ」
じゃあね、と私は番長の傍から離れた。少し離れた場所で佇立していた少年を振り返る。
彼と違って傷一つない私を、少年は面白くなさそうに見つめていた。
「帰ろう」
「……うん」
万が一の可能性とはいえバイクを壊されたくはなかったので、川原までは徒歩で向かった。必然的に帰りも徒歩になる。
私のエゴに他人を巻き込みたくなくて、今までこういったカチコミの帰りは一人だったのだが、今日に限っては背中に竹刀袋以外のものが乗っていた。
「おろして。自分で歩けるよ」
「帰る一歩目で顔を顰めたのは誰だったかなあ」
「……歩けるってば」
「いいから大人しく背負われてろっての」
ぶつくさ文句を垂れる、満身創痍の雲雀少年である。
大きな怪我は負わなかったものの、戦いの中で足を挫いていたらしい。たかだか挫いただけ、とは馬鹿にできない。癖になってしまえば、もっと厄介なことになる場合もあるからだ。
連れてきた責任もあって、私は彼を問答無用で担いでいた。
……しかしこの少年、軽いな。いくら小学生前後といっても、男の子なんだからもう少し
「おまえ、ちゃんとご飯食べてる? 軽すぎない?」
「食べてるよ。……だいたい、きみだって細い方だろう。どこからあんな馬鹿力が出てるの」
「上手い力の使い方ってのがあるんだよ。所謂八極拳とかの応用」
「どうやるの」
「それは自分で調べるんだね。こういうのは感覚だから、口で言ってもすぐ実践できるものじゃないよ」
少年が耳元で牙を鳴らした。けちんぼ、と今にも言い出しそうである。
「そういえば、私、明日から並盛出てくんだけどさ」
「――――――え?」
「県外の高校に行くの。あれ、言ってなかったっけ」
よく話題に挙げていたと思っていたが、あれは草壁とのことだったか。よくよく思い返してみれば、この少年には告げていなかったような気がしてきた。
「しばらく帰ってこないから、その間は一人で頑張ってね」
「……しばらく、って……いつまで……?」
「さあ。結構遠い所なんだよね。交通費も馬鹿にできないし、長期休みに帰ってくるかどうか」
「………………」
むっつりと黙り込んでしまった少年に、私は「だからさ」と話の穂を接げた。
「今日なら、ギター聞かせてやってもいいよ」
どうする、と振り向かずに尋ねてみる。
些かの間を空けて、少年は「聞く」と答えた。「了解」と私は知らず笑う。
気まぐれで「何が聞きたい」とリクエストを求めてやると、少年は「前と一緒のがいい」と言った。テキトーに弾いてやったアレがそんなに気に入ったのかと思うと少々不思議ではあったが、聴者がそういうのであればそれでいいのだろう。
二階の私室から下ろしてきたギターを、居間の少年の前で弾く。
この少年と知り合ったのは、確か春だった。知らぬ間に季節は巡って、もうすぐ冬が終わり、新しい春がやってくる。思えば彼と一年も共にいた。おかしな子どもだと愉快な気持ちを抱く。
最初は面倒なのに絡まれたと思っていた。
いまは―――そう悪くない。むしろ彼を気に入ってるのかもしれない。
「ねえ」
一曲弾き終わったタイミングで、少年がふいに開口した。
「―――貴女に勝ちたい」
宇宙を映す瞳が底まできらきらと輝いている。それは少年の覚悟だった。いまや並盛の支配者という地位を得た私を相手取るということは、並盛――いやこの一帯を敵に回すことと同義である。視野の狭い子どもの内では、世界全てを敵に回すのと同じだ。
それでも彼は「私に勝ちたい」と口にした。
出会った当初ならいざ知らず、曲がりなりにもそれなりの実力を身に着けたいまは彼我の実力差が分からないでもなかろうに。
負けると分かっていても挑むのは無謀であり、蛮勇であり、また偉業である。
だから、真剣に返さないといけないと思った。
「いまのおまえじゃ、どう転んでも私には勝てないよ」
演奏の手を止め、少年と視線を交わす。
「おまえが一歩歩く間に私は十歩進める。おまえが一人倒す間に私は三人を叩き伏せる。分かるね? 私にすれば、いまのおまえは今日戦った奴らと何ら変わりないんだ。年齢が問題じゃない、実力の話だ」
「…………わかってる」
でも、と少年は膝の上で拳を握りしめた。
「―――なので」
「……?」
「言ったろう、私は明日から並盛を空ける。だけどいつかは帰ってくる。地元だからね。――つまりこの間は、おまえにとっては実力を付ける為の猶予期間になるわけだ」
俯いていた顔を持ち上げ、少年が私を見遣る。
「私が帰ってくるときまでに、強くなっておきなさい。再会したとき、おまえが相手取るに相応しい実力であれば、そのときこそ本気で勝負をしよう」
「――――。……本当だね。約束だよ」
「本当だよ。……もっとも、私に勝つつもりなら並盛の秩序を守れるぐらいの実力は必須なわけだが。これは腕っ節だけの話じゃないよ」
からかうつもりで口にしたのだが、少年は真顔で「わかった」と首肯してみせた。
……まさか本当に並盛の秩序を守るつもりじゃあるまいし、本気で受け取らないでおこう。子どもに限らず人間はたまに勢いだけで頷くときがあるから。
「じゃあ、ちゃんときみも帰ってきてね。約束だよ」
「……約束じゃあ仕方ないな。……うん、ちゃんと帰ってくるよ。何なら指切りでもする?」
「する」
少年が即答して身を乗り出した。
ぴ、と可愛らしい小さな小指が私へ向けて差し出される。
思わず苦笑いして、けれど不思議と気分は悪くなくて。
――私と少年は指切りを交わした。
引っ越しは思っていたより簡単に終わった。私の荷物が多くなかったのも一因だろう。ベッドや折り畳み式収納棚、小物の詰まった段ボール箱数点にギターぐらいしかなかったから。
バイクだけは自分で乗って、新天地まで向かうことにした。バイク通学は許可されていない高校だけど、通学以外に利用するぐらいなら構わないだろう。平時における便利な移動手段は誰にだって不可欠だ。
並盛を出て一時間ほど滑走。合間に何度か小休憩を挟みながらも、新居直前の踏切に差し掛かった。
カンカンカン、と耳に引っかかる甲高い警告音。
降りてくるバーの前で停車する。
何気なく見回してみた風景は、分かっていたことだが並盛のそれとはまったく違った。住宅街と繁華街の中間ぐらいの街並みは私にとって異質に映る。けれど落ち込むまでには至らない。住めば都、何事も慣れだ。
カンカンカン、警告音は依然続く。
遠目に走ってくる列車が見えた。
そうして正面に視線を戻して――転がるボールとそれを追う子どもが目に入る。
この甲高い音が聞こえていないのか、逃げるボールしか目に入っていないのか、小さな少年は真っ直ぐこちらに向かってくる。合間に据えられた線路へと踏み込もうとする。
年の頃が似ていたからか、別人だと理解しているのに、私の中でその子どもが雲雀少年と重なった。
思わず我が目を疑っている内に、列車はもうすぐそこまで迫っていた。
――バイクが倒れた音がした。
どこで倒れたのだろうと頭の冷静な部分が言う。
飛び出した私の身体が知らず蹴倒していただけだった。
――突き飛ばされた子どもが大きく目を見開いていた。
どうして驚いているのだろうと不思議に思う。
勝手に動いた私の身体が少年を向こう側へと押し出したからだった。
――迫ってくる列車がやけにゆっくり走っていた。
「貴女は一人だと無茶をし過ぎる。何かあってからでは遅いんです」……何故だか、草壁の言葉を思い出した。
あれは存外正鵠を得た言葉だったのかと自嘲した瞬間、強い衝撃が身体に打ち付けられ―――私の意識は暗黒に染まった。
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