あの日確かに恋をしていた | ナノ


  2 逃げていた。




『……きっと、困らせるだけだ』


あの時の山口君の顔が忘れられなくて。気が付いたら山口君を見かけると思わず目で追うようになっていた。
誰なんだろう、山口君の好きな人。授業中もぼんやりとそんなことを考えていた。

先輩かな? 後輩かな? それとも同級生? 同じクラス? 違うクラス?

別に山口君の好きな人が気になるとかじゃなくて、なんというか、私ばっかり山口君に情報を教えているような、そんな不公平な気がして……なんとしてでも山口君の好きな人を暴いてやろうと自棄になっているのだ。たぶん。
先生から言われた問題を解き終わり、ふと外を見ると体育の授業をしている生徒たちが見えた。トラックを走っているからマラソンか何かかな?

そこでふと目についた、一番後ろをぐだぐだと走る長身の二人組。あれは――


(……山口君と月島君だ)


そうか、体育は山口君と月島君のいるクラスだったか。私はそのまま頬杖をついてぼんやりと二人を眺めた。
相変わらず上手にサボるなあ、月島君。山口君はきっと月島君に付き合ってるだけだな。部活のロードワークの時もっと速いもん。……あ、さては山口君もサボりたいんだな。仕方なく月島君に付き合ってるフリしつつ実は自分もサボりたいだけだな!

そう、月島君と山口君の部活の練習量を増やすことに決めた瞬間だった。


(……あれ?)


走る二人の元に、クラスメイトらしき人が来て、二人に話しかけていた。
そこで私は、気付いてしまったのだ。


『……きっと、困らせるだけだ』


……そっか、そういうことだったんだ。







その日の部活が終わった後。相変わらず影山君はストイックに日向や残った後輩にトスを上げていた。まだ、まだだ、とトスを上げる。すごく綺麗なフォームで完璧なトスを上げているように見えるが、何かが彼の中で足りていないのだろう。日向も日向でもう一回、もう一回とスパイクを打っていた。後輩は追いつくのに必死だ。
ボール出そうか、と声をかけてみたが、レシーブの練習も兼ねているからと断られてしまった。

何もすることがなくて、仕事を探して体育館を見渡すと、入り口で座ってドリンクを飲んでいる山口君の後ろ姿が見えた。月島君はもう先に帰ってしまったらしい。
そっと近づくと、山口君はぼんやりと空を眺めていた。空は雲でほとんど覆われていたが、唯一満月に近い月だけが光を放っていた。それを見て、私は何も言わずそっと山口君の隣に座った。


「……月島君、だったんだね」


何が、とは言わなかった。でも山口君はハッと私を見て、そして私が何を言ったのか気付いたようだった。


「……バレちゃったかぁ」


また悲しそうに笑う山口君。


「ふふん。バレバレだったよ」
「はは、まいったなあ……」


冗談で言ったつもりだったのに何もツッコまず、はぁーっと息を吐いてタオルをかぶって下を向いた山口君。ツッコまれないのも寂しいものだよ、山口君。と声には出さず心の中で言っておいた。

あの時――体育で外を走る二人を見た時、山口君が月島君に向ける表情が、他の人に向ける表情と違った感じがしたんだ。

確信したのはさっきまでやっていた部活中。山口君と月島君は幼馴染みだからあれくらいの関係が普通なのかなとか思っていたけれど、そう″lえると合点がいく。
月島君が他の人と喋っている時にする山口君の表情も、月島君への行動も……全て合点がいったのだ。


「……隣にいたいだけなんだ」


山口君は、ぽつりぽつりと話し始めた。


「キス、したい、とか……それ以上のことをしたい、とか、そんなのは、全然、思わないよ。……でも、隣にいたい。ツッキーの隣にいるのは、俺じゃなきゃ、嫌、なんだ……」


ゆっくりと言葉を選んで震えた声で話す山口君の隣で、うん、うん、と相槌を打ちながら聞く。


「…………俺って、おかしいのかな」
「おかしくない」


私が即答したその声に、山口君はやっと顔を上げて私を見た。……相変わらず、情けない顔だったけど。そんな山口君の目を見て言う。


「好きな人の隣にいたいっていうのは、当たり前のことだよ。その相手が、山口君にとっては月島君だったってだけで」
「だって俺、男なのに」
「人を好きになって、何がおかしいの?」


私がそう言うと、山口君は視線をうろうろと動かした。私だって、もしかしたら好きな人が清水先輩になっていたかもしれない。好きになってしまった人が同性だったというだけで、それには何もおかしい所はない。私はそう思った。


「……初めて、このこと他人に話したんだけど、さ……」
「うん」
「初めて聞いてくれた人が、谷地さんで良かったよ」


ありがとう。そう言って、山口君は笑った。
どういたしまして、と私も笑った。


――その様子を見て苛立っている影山君には、気づきもせずに。







あの日から私たちは秘密を共有する、良き話し相手になった。……主に自分の好きな人自慢をしているだけだが。


「――でね、影山君はね」
「あのさ谷地さん」
「なあに、山口君」
「もう一度聞くけど、影山に告白は……」
「しません」
「ですよね」


何回も山口君はそのことを聞いてきた。でも私の返事も変わらない。現役で部活をやっている今はそっちが優先だ。
そんなに好きならいっそのこと告白してしまえばいいのに、と言われたこともある。いっそのことってなんだ、いっそのことって。いっそのこと玉砕してこいってことか。

まあ確かに、最早好き≠ニいう次元を超えているのかもしれない。自覚はある。何故なら最近はバレーのトスを見るだけで心が苦しくなるのだ。
マネージャーとしてベンチに座っているとたまに風に乗って影山君のタオルから影山君の匂いが漂ってくる時とかあるんですよ。それだけで心臓がドキドキして破裂しちゃいそうになる。

本人を前にすると不思議と落ち着くことはできるんだけど。いないところで無駄にドキドキしてしまう。
重症だね≠ニ度々山口君には言われた。

でも山口君も負けず劣らず重症だと思うんですよ!
口を開けばツッキーツッキー。小学生の頃から友達だからいろんなこと知ってるんだぜ、といろいろ話してくる。おかげで私はきっと本人と山口君の次に月島君について詳しいという自信がある。

ツッキーは最近シャンプー変えたとか、制汗剤の香りも変えただとか、匂いで判別しているらしい。月島君、大丈夫ですかあなたの幼馴染。
おまけに山口君のスマートフォンにはツッキーフォルダなるものがあり、数百枚の写真やら動画やらが保存されているらしい。月島君、本当に大丈夫ですかあなたの幼馴染。ストーカーされてませんか。

でも、そんなことを話す山口君は終始幸せそうなので黙っておくことにした。


「山口君は告白しないの?」
「しないってば」
「勿体ない」
「今の関係のほうが大事だからね」
「そっか」


私たちはこれ以上何も言わない。でも実はわかってるんだ。多分山口君も、わかってる。
わかってるから、何も言わない。


――私たちは、告白しないことにいろんな理由をつけて、現実から逃げているだけなんだ。


私たちにはこれしか道がないんだ。だから仕方がないんだ、と自分に言い聞かせて。




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